第二話 兄妹の関係と齟齬
兄ジョシュア視点です。
「やあ、ジョシュア。久しぶりだね。元気かい?」
「ああ」
持ち前の柔らかい微笑みを浮かべながら、こちらに近づいてきた人物に小さく返事をした。
学園に通うようになってからできた唯一の友人であるジェラルド・オルクス。
オルクス侯爵家の嫡男で今は宮廷文官として働いている。同じ王宮で働いてはいるが部署が違うため、普段はほぼ会うことがない。
ただ時折、こうして彼のほうから会いに来ることがある。
昔から人と話すことが苦手な俺にとって、学生時代から変わらないジェラルドの態度はとてもありがたいものだった。
「最近、どう?」
「……何が?」
「あ、いや……君の家族、とか?」
妹セレーナは彼の婚約者だ。最近は会えていないのだろうか。それで、様子でも聞きに来たのか。
「セレーナは相変わらず、だ」
「そう……」
時々、ジェラルドの考えていることがわからない時がある。今のように。
そもそもセレーナとの婚約を望んだのはジェラルドだった。
『君、妹がいるんだって? 今度、紹介してよ』
そう言って、話しかけてきたのが始まりだった。
ラスウェル伯爵家のことは割と有名であるが、口数も表情筋も乏しいその家の嫡男である俺に話しかけてくるような物好きはジェラルド一人だけだったのだ。
この国では自由恋愛が認められ、学園内で婚約者を見つける者も多い。しかし、侯爵家嫡男の婚約者を選ぶとあれば、誰でも良いというわけにはいかない。
侯爵家であれば、ラスウェル伯爵家についてもっと深く調査しているはずだ。
だからこそ、妹セレーナに興味が湧いたのだろう。
公爵家の血を引く伯爵家。
そして、その血を引く兄妹。
オルクス侯爵家はその血が欲しいのだ。
聖女と呼ばれるほどの治癒魔法を持っていた母は、俺が十歳の時に儚くなった。その母の力を引き継ぐかのように、俺には膨大な魔力と治癒魔法が発現した。
婿養子で肩身の狭かった父や、ゆくゆくは異母妹にラスウェル伯爵家の座を渡したいと目論む義母にとって、俺の大きすぎる魔力の発現は恐らく計算外だったのだろう。
隠しもせず、あからさまに嫌な顔をされた。
(その顔をしたいのはこちらのほうだ)
母の喪も明けぬうちに再婚し、義母とその娘を連れてくるなど――ありえない。
母が生きていた時から、何となく感じてはいた。父と母は政略的な結婚で、そこに愛情などなかったことに。
母は伯爵の仕事をこなしながら、聖女としても身体を酷使していた。そして、俺たち兄妹の子育ても。
父親などいなくても、幸せだったのだ。母は俺たちにたくさんの愛を注いでくれていたから。
俺には母と、血を分けた妹セレーナだけがいてくれればそれでよかった――はずなのに。
『さあ、二人とも。今日からここが君たちの家だよ』
『わぁ……大きなお家ね、ママ』
『こら、シャーロット。ママではなく、お母様と呼びなさい。君はもう伯爵令嬢なのだから』
『はぁい、パパ』
『シャーロット、パパではなく――』
『お父様』
『よくできたね』
俺たちには見せたことのない、柔らかな笑顔。そして、それを当たり前のように受け入れている少女。
彼女が異母妹であるということが、幼い自分にでも一瞬でわかってしまった。
『お兄様……あの子、だあれ?』
いつの間にか、隣で服の裾を掴んでいたセレーナが不安そうな瞳で俺を見た。
『新しい家族、みたいだ』
『じゃあ、私の妹?』
『……かもな』
『わぁ……仲良くできるかな?』
『さあ……どうだろう』
仲良くなどできるわけないと、彼女たち二人を見ただけでわかった。
俺たちを見る義母の瞳には憎しみがこもっていたし、シャーロットは悪戯を思いついたような表情をしていたのだから。
『私たちはあなたのせいで日の当たらない生活を送ってきたんだから、当たり前でしょう?』
そう言っては義母とシャーロットはセレーナを使用人のように扱った。
魔力を発現した俺には手出しができなかった分も、全部セレーナが請け負った。
最初こそ、泣いたり、謝ったり、許しを請ったりしていたセレーナも、そのうちその仕打ちを受け入れたように何も言わなくなった。
俺にできることといえば、セレーナの傷を覚えたての治癒魔法で癒してあげることだけだった。
まだまだ未熟で拙い魔法。自分にもっと力があったら。自分の身だけでなく、セレーナも護ってあげられるのに。
唯一の希望はセレーナが十歳になり、俺と同じように膨大な魔力を発現してくれること。
そうすれば、彼女たちも手が出せなくなる。
そう――期待していたのに。
セレーナに発現したのは収納魔法だけ。
誰もが基礎として持っている基本の魔法、ただ一つ。
その日から、セレーナにとって本当の地獄が始まった。
父親からはいないものとして扱われ、義母からはさらに蔑まれ、シャーロットからは――
『アハッ、どうしちゃったの? 異母姉様。シャル、まだまだ練習し足りないんだけど?』
シャーロットが放った風魔法の攻撃を受け、庭園の芝に倒れているセレーナを右足で踏みつける。
セレーナの服がじわじわと赤く染まっていく。
『早く立って!』
踏みつけていた右足で腹を大きく蹴り上げる。
『うっ……げほっ、げほっ……かはっ』
『うっ、わ。きったなーい。私の靴が汚れちゃったじゃない! どうしてくれるのよ!』
セレーナが口から吐き出した液体で赤く染められた靴をシャーロットは俺に向けた。
『異母兄様、綺麗にしてくださる?』
俺は無詠唱で浄化魔法をかけた。
『うわぁ……新品みたい。さすが異母兄様ね』
機嫌を直したシャーロットは弾むような足取りで屋敷の中へと戻っていった。
足元に横たわっている異母姉の存在など忘れてしまったかように。
俺はセレーナに近づき、芝に膝をついた。
『お前な、もっと上手くやれよ』
何年もかけ続けた治癒魔法はすでに上級の域に達していた。
十六歳になった俺は学園に通い始める。
自分がいない間、セレーナに何かあったらと思うとつい語気が荒くなってしまった。
セレーナが悪いわけじゃない。
そんなこと、わかっている。頭では理解している。悪いのはすべて――あのクソ親父とクソ異母妹だ、と。
そして、あんな奴らと自分にも――
『同じ血が流れているかと思うと、ゾッとする』
思わず零れ落ちた本音に唇を噛み締めた。
学園に通い始め、妹一人護れない自分に腹が立っていた俺に『妹を紹介してほしい』と言ってきた侯爵家の嫡男。
(もしかしたら――セレーナをあの家から救い出してくれるかもしれない)
ジェラルドがセレーナと結婚すれば、セレーナはあの家から出られる。
例え家柄や血筋が目当てだとしても、今の境遇よりずっとマシだろう。
俺はジェラルドにセレーナを紹介し、セレーナが学園に入学した年、二人は婚約を結んだ。
セレーナが学園を卒業した後、オルクス侯爵家へ嫁ぐ、ということになった。
そして、もうすぐセレーナは学園を卒業する。
いまだにシャーロットの魔法の実験台になっているようで今日も傷だらけだった。
嫁入り前の身体に痕が残らないよう、慎重に、丁寧に治癒魔法をかけた。
「あまり治し過ぎないでくれない? 次はもっと酷くやられるから」
セレーナの言葉に思わず眉を顰めた。
(今、見えているところは、結婚式でも見えるところだろう。――まあ、いい。後々傷痕を消すこともできるのだから。今はセレーナの希望を叶えてやるか)
見える場所以外の傷を完璧に治し、立ち上がった。
常に薄暗く、半分しか光の入らない窓と、三歩しか歩けないこの部屋での生活もあと僅か。
「学園を卒業するまであと少しだな」
扉の前で立ち止まる。
背中にセレーナの視線を感じた。
「オルクス侯爵家では上手くやれよ」
宮廷魔術師の制服である白いローブをふわりと翻し振り返る。
「ジェラルドならお前を――いや、ジェラルドは俺の友人だからな。煩わせるなよ、いいな?」
「わかっているわ」
(これで俺の役目は終わる。ようやく――セレーナは普通の幸せを手に入れるんだ)
月明かりに照らされたセレーナの瞳がなぜか驚いたように見開かれた。




