第5話 暁の太陽
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ミーナの家は、リヴァージュの港へ続く坂道の途中にある、こぢんまりとした、しかし清潔で温かみのある建物だった。
彼女に案内された居間には、使い込まれた木製のテーブルと、手入れの行き届いた数脚の椅子が置かれ、壁際の棚には薬草やポーションの瓶が整然と並べられている。冒険者を支える裏方の家、という雰囲気が漂っていた。
「お風呂、沸いてますから。まずは体を温めてください。着替えは……父の古いものですけど、無いよりはましだと思いますので」
ミーナはそう言って、少し大きめの服を俺に手渡してくれた。俺は、礼を言うべきか、断るべきか逡巡したが、泥と汚水、そして乾いた血にまみれた自分の姿を見て、素直にその厚意に甘えることにした。
「……染みる」
温かい湯が、凍えきった体を芯から解きほぐしていく。傷口がひりついたが、それ以上に、久しぶりに感じる人間らしい温もりが、ささくれだった心を優しく撫でてくれた。
同時に俺は、湯船の中で、裏切られた瞬間から張り詰めていた何かが、ぷつりと切れるのを感じた。
風呂から上がり、借りた服に着替えて居間に戻ると、テーブルの上には湯気の立つ野菜スープと、焼きたてのパンが用意されていた。俺が椅子に座ると、ミーナは向かいに腰掛け、にこりと微笑んだ。
「お腹、空いているでしょう。ほら、どうぞ」
「……何故だ」
俺は、尋ねずにはいられなかった。
「どうして俺にここまでしてくれる、俺は街中の嫌われ者だぞ。貴方にも、迷惑がかかるかもしれない」
俺の問いに、ミーナは少し困ったように眉を下げた。
「迷惑なんて思いません。私はただ、信じているだけですから。それに……」
彼女は、自分の手元に視線を落とし、少し間をあけてから小さな声で続けた。
「それに……困っている人がいたら、助けるのは当たり前のことじゃないですか」
その、あまりにも純粋で、真っ直ぐな言葉に、俺は何も言えなくなった。俺は黙って木製のスプーンを手に取り、無心でスープを口に運んだ。じわり、と体の内側から温かさが広がっていく。
それは、ただスープが温かいから、というだけではなかった。人の優しさが、こんなにも五臓六腑に染み渡るものだということを、俺は、この時まで忘れていた。
夢中で食事を終えた、その時だった。
家の奥へと続く扉が、ギイ、と音を立てて開いた。
「ミーナ、お帰りー。って、あれ?」
ひょこりと顔を出したのは、大きな丸眼鏡をかけた小柄な少女だった。魔術師がよく着る、ゆったりとしたローブを身にまとっている。彼女は、俺の姿を認めると目を丸くして固まった。
「え……あっ、あ、あの……もしかして、黄金の五芒星の、ロゼットさん?」
その声には驚きと、少しの恐れを含んでいた。
「ラークス、戻ってたのね……ええ、そうよ。この方はロゼットさん」
ミーナが紹介すると、ラークスと名乗った少女の後ろからもう一人、別の少女が姿を現した。
長い銀髪を一本のポニーテールに結い上げた、凛とした佇まいの弓使い。その鋭い瞳は、まるで獲物を狙うかのように俺を睨むと、すぐに厳しい光を宿して、ミーナに向けた。
「ミーナ、説明してちょうだい。どうしてあの男が、ここにいるの?」
その声は、弓のように張り詰めた、硬質な響きを持っていた。
「リーゼ! そんな言い方!」
ミーナが咎めるが、リーゼと呼ばれた弓使いは止まらない。
「街の噂は聞いているでしょう! パーティーの金を横領した裏切り者よ! そんな人間を助けて家に上げるなんて、何を考えているの!」
その言葉に、俺は食べ終えた食器を静かに置いた。彼女の言うことはもっともだ。俺のような厄介者をこれ以上置いておくわけにはいかないだろう。そう思いながら俺は、食器を置いて立ち上がった。
「……世話になった、ありがとう」
「待ってください、ロゼットさん!」
すると、ミーナが慌てて俺の腕を掴んで引き止めた。
「私、ただの同情で助けたわけじゃないんです!」
「……じゃあ、何だって言うんだ」
続けてミーナは意を決したように、まっすぐに俺の目を見て言った。
「あなたに、私たちのパーティー、『暁の太陽』に入ってほしいんです!」
「……は?」
俺は、思わず間抜けな声を出した。
「仲間に入る、だと……?」
予想だにしない言葉だった。俺は、彼女がただの親切心で、行き倒れの男を助けてくれただけだと思っていた。その先に、こんな思惑があったとは、露ほども気づかなかった。俺が呆然としていると、リーゼが呆れたようにため息をついた。
「ミーナ、本気なの? 私たちのパーティーが今、どんな状況か分かってるでしょう。リーダーもいなくて、Cランクの依頼ですら失敗続き。その上で、こんな素性の知れない男を入れている余裕なんて……」
「だからよ!」
ミーナが、リーゼの言葉を遮って叫んだ。
「だから、ロゼットさんの力が必要なの! ラークスは才能ある魔術師だし、リーゼだって腕のいい弓使いよ。でも私たちには、戦闘を組み立ててくれる司令塔がいない、"あの子"も当分は戻ってこれない。みんながバラバラに戦っているだけじゃ、これ以上は絶対に上には行けない……それに、ロゼットさんは絶対に無実だから……そう信じているから」
ミーナの悲痛な訴えに、ラークスは俯き、リーゼも悔しそうに唇を噛んだ。図星なのだろう、彼女たちの苦境が、痛いほどに伝わってくる。あの子、ここにいない誰かがリーダーなんだろうな、それで何かがあって戻って来れなくなった、そういったところか。
俺は、そんな三人の姿を見ていた。リーダーがいない、弱小パーティー。連携が取れず、伸び悩んでいる仲間たち。その光景が、黄金の五芒星にいた頃の自分と重なった。
俺は補助魔術師として、仲間を支える存在であるはずだった。だが、結局どうだ。仲間が不正に手を染めていくのを、俺は止めることができなかった。気づかなかった、気づけなかった。支えるどころか、何もできていなかったじゃないか。
その後悔が、胸の奥に溜まっていた。だが今、目の前には、支えを必要としている者たちがいる。そして絶望の淵にいた俺を、信じてくれた女性がいる。気づくとかじゃない、この目の前にいるんだ。
今度こそ。
今度こそ、俺は。
俺は、向き直ると、ミーナだけでなく、ラークスとリーゼにも向かって、深く、深く頭を下げた。
「……俺をパーティーに、加入させてくれないか」
突然の俺からの懇願に、今度はミーナたちが驚いた。
「え……ロゼット、さん?」
「訳ありの無一文の男だ。何の役にも立てないかもしれない。街の噂のせいで、パーティーに迷惑をかけるだけかもしれない」
俺は、顔を上げずに続けた。
「だが、俺は補助魔術師だ。そして俺は本当の意味で、仲間を支えたい。だから、お願いだ。俺に、そのチャンスをくれ」
俺の、魂からの叫びだった。ラークスは、大きな眼鏡の奥の瞳を戸惑わせながらも、俺の真摯な態度に何かを感じ取ったようだった。
リーゼは腕を組んだまま、厳しい表情を崩さない。だが、その瞳に宿っていた敵意は、少しだけ和らいでいた。
「……まだ、あなたを信用したわけじゃないわ」
長い沈黙の後、リーゼが口を開いた。
「でも、そこまで言うなら、見せてもらうことにする。あなたが、本当に仲間を支えることができる人間なのかどうか」
そして、彼女はミーナに向き直った。
「いいのね、ミーナ。こいつを入れるのよ」
「……うん!」
ミーナは涙ぐみながらも、力強く頷いた。
ぎこちない空気が、部屋を支配する。
だがそれは、絶望的なものではなかった。不信と、期待と、そしてわずかな信頼が入り混じった、新しい関係の始まりを告げる、緊張感に満ちた静寂。
俺は、この温かいスープの匂いがする場所で、もう一度、パーティーに所属する冒険者としてやり直すことを決意した。暁の太陽……地に堕ちた俺にとっては、あまりにも眩しすぎる名前に感じられた。
「じゃあ、ロゼットさんは父の部屋に」
「えっ」
「ああ、もういないんです。どうぞ、宿舎も追い出されてるでしょう。場所が決まるまでは」
こうして俺は、ミーナの家でしばらく暮らすことになった。
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