第4話 裏切り者
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夜明けの光が、俺に宿った新たな力を祝福しているかのように感じられた。
ヴァレストから授かった力は、傷を癒しただけでなく、俺の魂そのものを一段階、引き上げたような感覚があった。もう絶望はしない、したくない。
俺は、真実を暴くために戦うのだ。そんな鋼の決意を胸に、俺はリヴァージュの街へと戻った。
だが、街は、俺が知っている街ではなかった。
リヴァージュの北門をくぐった瞬間、門番をしていた衛兵たちの空気が変わった。昨日までなら敬礼してきたはずの彼らが、今はまるで汚物でも見るかのような目で俺を睨みつけ、ヒソヒソと囁き合っている。
「おい、見ろよ。裏切り者のロゼットだぜ」
「よくもまあ、のうのうと戻ってこれたもんだ。面の皮が厚いにも程がある」
逮捕される様子はない。だがその視線は、刃物よりも鋭く俺の心をえぐった。裏切り者、か。俺は、胸に込み上げる不吉な予感を押し殺し、街の中心部へと続く大通りを歩き始めた。
そして、市場に足を踏み入れた瞬間、俺はシグルドの言葉の意味を、骨の髄まで理解させられた。
「追放されたお前の言葉など、誰も信じはしない」
その言葉の通りだった。
朝の活気に満ちていたはずの市場が、俺の姿を視界に入れた途端、水を打ったように静まり返った。魚を捌いていた男の手が止まり、野菜を並べていた女が息を呑む。
昨日まで、俺に喝采を送ってくれていたはずの人々が、今では憎悪と軽蔑が入り混じった冷たい視線を向けてくる。
「あれが、黄金の五芒星を裏切った……」
「ああ、仲間のお金を盗んだんだって」
「なんて卑しい男だ。今まで騙されていたんだな」
「シグルド様は、慈悲で衛兵には突き出さなかったそうよ」
そんな彼らの囁き声が、俺の耳に入る。一晩で、俺は英雄から、パーティーの金を盗んだ卑劣な犯罪者に成り下がっていた。シグルドの策略は、完璧だった。彼らは自らの手を汚すことなく、噂という見えない刃で、俺の社会的生命を完全に絶ったのだ。
俺は、唇を強く噛みしめた。
怒りで体が震える。今ここで、ヴァレストの力を使えば、この人々を黙らせることなど容易いだろう。だが、そんなことをすればどうなる。それこそ、シグルドたちの嘘を、俺自身が肯定することになってしまう。
俺にできることは、ただ耐えることだけだった。
その時だった。
一人の子供が、足元の石ころを拾い上げ、俺に向かって投げつけた。
カツン。
乾いた音がして、石が俺の足に当たる。痛みは、ない。だが、心の奥深くに、何かが突き刺さったような、鈍い痛みが走った。その一投を皮切りに、群衆の悪意は形を持ち始めた。
「泥棒!」
「裏切り者!」
「この街から出ていけ!」
罵声と共に、野菜のくずや、果物の芯、そして石ころが次々と俺に投げつけられる。俺は、ただその場に立ち尽くし、雨のように降り注ぐ侮辱と攻撃を、黙って受け止め続けた。頭から浴びせられた生魚の汚水が、頬を伝っていく。
「おい、何だ!」
騒ぎを聞きつけたのか、巡回中の衛兵が二人駆け寄ってきた。だが彼らは騒ぎを止めるどころか、俺の胸倉を掴み、壁際まで乱暴に突き飛ばした。
「おい、問題を起こすなよ、『元』英雄さん」
唾を吐きかけるような口調で、衛兵が言う。
「お前が何をしたか、俺たちは知ってるんだぞ。しかしな、シグルドさんがお前の罪を不問にしてくださったんだ。その慈悲を無にするような真似をするな。分かったら、さっさとどこかへ消えろ」
慈悲、だと?
あれは慈悲などではない。騒ぎを大きくせずに、噂だけで俺を社会的に抹殺するための、狡猾な計算だ。俺が衛兵に捕まれば、取り調べの中で、俺が反論する機会を与えてしまうかもしれない。だが、この状況なら、俺に弁明の余地はない。俺はただ、街中の人間から蔑まれるだけの存在となる。
俺は、人々の罵声と軽蔑の視線から逃れるように、人気の無い路地裏へと逃げ込んだ。そして壁に背を預け、ずるずるとその場に崩れ落ちる。
(何のために、力を得たんだ……?)
ヴァレストの力があっても、現実は何も変わらない。むしろ、悪化している。あそこで死ねばよかった、なんてことも思いついてしまうくらいに。
ポツリ、ポツリ……
空が、俺の絶望に同調するかのように泣き始めた。冷たい雨粒が、俺の頬を伝う。雨は次第にその勢いを増し、あっという間に、世界を洗い流すかのような土砂降りとなった。
この街に、俺の味方は一人もいない。孤独が、冷たい水と共に、心の隙間を満たしていく。もう、どうでもいいか。こんな街、こんな世界、滅んでしまえばいい。絶望はしたくない、したくないが、ここまで来たらもう。
俺は、ずぶ濡れになりながら、ただ俯いていた。もう、何も考えたくなかった。
と、降り注いでいた雨が、俺の頭の上だけ、当たらなくなったことに気づいた。
ゆっくりと顔を上げると、そこには一人の女性が、俺に傘を差しだして、静かに立っていた。
栗色の髪を質素なリボンで束ねた、ごく普通の街の娘といった風貌だった。だが、雨に濡れるのも構わず、俺をじっと見つめるその優しい瞳には、強い意志の光が宿っていた。
「……誰だ?」
俺は、警戒心をあらわにしたまま尋ねた。
「……石でも投げに来たんじゃないのか?」
自嘲気味に吐き捨てた俺の言葉に対して、彼女は静かに首を横に振った。
「いいえ、違います!」
凛とした、透き通るような声だった。
「私は、ミーナ・アストリッドと申します……あの、黄金の五芒星のロゼットさん、ですよね?」
「そうだと言ったら、どうする」
「……やっぱり!」
彼女の顔が、ぱっと明るくなった。
「私、ずっとファンだったんです。あなたの補助魔法は決して派手ではないけど、いつも的確で、仲間を守ろうとする意志に満ちていました。だから……」
彼女は一度言葉を切ると、俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「だから私は、あなたがパーティーのお金を盗むなんて、そんな卑しいことをする人じゃないって、信じています!」
その真っ直ぐな言葉が、俺の凍りきった心のど真ん中に突き刺さった。この街の誰もが俺を疑い、蔑み、石を投げつける中で。
たった一人。
たった一人だけ、俺の戦いを、俺という人間を、正しく見てくれていた人がいた。
「……」
俺は、何も言えなかった。言葉を発すれば、堪えていた何かが、決壊してしまいそうだったからだ。ミーナは、俺のボロボロの服や、顔に残る汚れを見て、胸を痛めたように眉をひそめた。
「酷い……こんなところにいたら、風邪をひいてしまいます。それに、その怪我……」
彼女は、少し恥ずかしそうに頬を染めながらも、はっきりとした口調で言った。
「あの、もしよかったら、私の家に来ませんか? ここからすぐなんです。温かいスープ、ありますよ」
俺は戸惑った。見ず知らずの、それも街中の嫌われ者である俺を、家に招き入れるだと。正気の沙汰とは思えない。
だが、彼女の瞳には、嘘も計算も、そして憐れみさえもなかった。そこにあるのは、ただ、純粋で、揺るぎない信頼と善意だけだ。
ずぶ濡れの俺の体とは対照的に、心の中に、小さな温かい光が灯るのを感じた。それは、あまりにも久しぶりの、人の温かさだった。
俺はミーナ・アストリッドという女性に向かって、力ないままに一度だけ、こくりと頷いた。
「じゃあ、行きましょうか」
彼女は、嬉しそうに微笑むと、俺の冷え切った手をそっと取った。その手は、驚くほど温かかった。俺は彼女に手を引かれるまま、雨の降る路地裏を、一歩、また一歩と歩き始めた。
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