(二十五)
朱火を包みこむように抱きかかえた信長は、慎重に馬を走らせる。
彼女を抱きかかえていると、不思議と昔のことが思いかえす。
「小僧。お前、このままだと死ぬぞ」
原因不明の熱に身体を蝕まれた幼き信長の枕元に、火を纏う不思議な猫がたたずむ。
「このままお前の魂を食らうこともできる。だが、お前の魂は綺麗だ。生きておればもっと多くの魂を呼び寄せるかも知れん」
猫は前足を彼の額に乗せる。
「生きたくば我を受け入れよ。我の力を受け入れれば、父親よりも勢力を拡大できるかもしれんぞ」
信長はぼんやりとする頭で必死に考える。物心ついてから織田家の嫡男として厳しく教育されてきた。力で織田家の立場を守る父の背中を見て、幼き彼が、自分も強くありたいと願うの当然のこと。
「父よりつよくなれるのか?」
「我とひとつになれば、いかなるものにも屈しない強き心を手にできよう」
信長は乱れる息を必死で整える。
「よかろう。そなたが何者かは知らぬが、力を手にできるのならば、たとえ魔王でも構わぬ」
「その覚悟やよし。戦え。敵を殺せ。魂を我が食らえば、お前もさらに強くなれる」
猫はにんまりと笑う。
「我は火車。小僧よ、我とともにこの世を炎で包みこんでやろうぞ」
言い終えると猫の姿は消える。
翌日には熱は嘘のようにひいていた。
ただ、彼がそのことを思い出したのは、一昨日、あの珍妙な刀を持つ男に出会ってからだ。さらには昨日の地震が起きる少し前。何者かの声が聞こえたのだ。目覚めよと。それからは信長というより火車として行動していた。
「尾張に戻るまで大人しくされよ、日護女殿。そなたの血を考えれば、マムシ殿の娘と破断し正室に迎えることもできよう」
信長とひとつになった火車の記憶。この娘の妖力は妖に力を与える。火車とひとつになった信長も例外ではない。
朱火は逆らう事なく彼に身を任せていたが、赤い瞳で信長を見あげる。
「一緒には行けないよ、猫さん」
朱火の言葉に信長が笑う。
「やはりわかるか。しかし混ざりが進んだのはお主の従者に出会ってからだ。あの刀もなにやらいわくつきのようだな。お蔭でそこらでふらついている魂まで食えるようになったぞ」
「躯血、従者じゃないよ。友達」
「お主たちの関係など、我には関わりなきことよ」
話を終わらせた信長が鼻をひくひくさせる。
「もう追いついて来たか。大天狗め、なかなか厄介なやつ」
短兵衛に急ごしらえで作らせたシカの皮製の鞘から、短筒を引き抜き頭上を見上げる。
そこに空はなかった。なにか重みのあるものが彼の視界を塞ぐ。思わず手綱を強く引き驚いた馬が立ちあがる。片手を短筒でふさがれていた信長は耐え切れず、朱火を抱えたまま馬から落ちた。
「お主も投げられ上手になったな。見事だ」
信長の顔から放れたのっぺらぼうが朱火の手を引き、地面に降り立った大天狗と駆血に駆け寄る。
ふたりは仲良く彼の足をわけあいしがみつく。
「さて、貴殿は織田殿であって織田殿ではないのか?」
ゆらりと立ちあがる信長の目は、すでに人のものではない。
「その目、よく知っておる。化け猫か」
信長の瞳孔が針のように細くなる。
「人に化けるだけの猫と一緒にするな! 我は人の魂を統べる由緒正しき神ぞ!」
「騙されるなよ。あれは死体を漁るいやしい猫だ。名を火車という」
「織田殿は憑りつかれておるだけか?」
「なにを言う。この小僧は肉体が魂から抜けそうだったのは我が中に入りひとつになってやったことで生きながらえたのだ!」
牙を剥きだし吠える。
「どうやら宿主と結びつきすぎておるな。アレだけをなんとかするのは無理であろう。それにしても……」
大天狗は躯血の股間に目をむける。
「ずいぶん情けないことになっておるが、戦えるのか?」
「せめてこっちを見て言え」
益荒男を拳に巻きつけようとしていた彼が、ギロリと大天狗をにらむ。
「大天狗に妖刀に見せられた者か。どちらもなかなかうまそうな魂ではないか。我の養分にしてやるゆえ感謝するがいい!」
火車が短筒を駆血たちに向けてすぐ発砲音が轟く。
彼は咄嗟に益荒男をひきのばす。甲高い音が響いたかとおもうと妖刀が震え、鉛玉がポトリと地面に落ちる。
「あやつ、火縄を使わずに撃ちよった」
「火車はその名の通り火を使う。そのような小道具など必要あるまい」
大天狗は獰猛に笑う。
「だが所詮は猫。わしの風の前では火など無力!」
彼は大団扇をちから強くあおぐ。
「阿呆が、燃えるように生きる魂を甘く見るな」
信長の前面に大きな炎の壁が吹き上がり大天狗の生み出した風を正面から受け止める。多くの風を巻き込んだ炎はさらに勢いを増し、広範囲に火をまき散らす。哀れ巻き込まれた馬は悲鳴を上げるまさえなく消し炭の化した。
「この阿呆が! 相手の力を強くしてどうする!」
躯血は両脇に朱火とのっぺらぼうを抱え、後方へと駆ける。慌てて大天狗も続く。
「火車ごときの炎がここまで強いと誰が思うか!」
時は戦国。しかも今日では非業の死を遂げた魂があまりにも多い。魂を食らう火車がこれまでよりも強い力を得たとて不思議ではなかった。
「逃がさんぞ」
耳元で火車の声がしたかと思うと、彼らは横殴りの炎に吹き飛ばされる。
「安心しろ。お前たちの魂も、日護女の存在も我の糧にし日ノ本の国を強くしてやる。それがこやつの、我のいまの望みぞ」
火車は短筒に新しい弾をこめながら、ゆっくりと躯血たちに近づく。
いち早く立ちあがった駆血の煤けた顔を見て笑う。
「言うておくが、力をなくしたその刀では我は斬れんぞ。我の妖力の源は人の肉体の内側にあるでな」
銃口をしっかりと躯血にあわせる。
「終りだ。この第六天魔王が天下布武を成し遂げるのを地獄から見届けるがいい」
容赦のない発砲音が天を引き裂いた。




