(二十一)
「常盤っ!」
目線をなんとか朱火たちに向けていた有脩が、苦しげに言葉をはく。
鵺の牙と鍔迫り合いを演じる印を結んだ拳は、いまにも押し切られそうだ。部下たちより呪力を注がれていても力の差は明らか。
彼の青ざめた表情、滝のように流れる汗からは絶望しか読みとれない。
ようやく来た助けであったが、今回の襲撃者たちはあまりにも強大だった。
常盤は大天狗の団扇のひと振りで吹き飛ばされ、屋敷の壁に叩きつけられぴくりとも動かない。
鵺も管狐の一撃で、一瞬ひるみはしたものの、すぐに体勢を立てなおし襲ってきた
彼の脳裏に駆血の姿が映りかけたが、すぐに霧散する。仮に駆血がこの場にいたとしても事態が違ったとは思えなかった。それくらい今回の襲撃は違う。遠くに見た大百足も、この襲撃に関係しているのかもしれない。
「いったい何が起きているのだ」
徐々に顔に迫る鵺の牙に、有脩はぼやかずにはいられなかった。
一方、大天狗の一撃で地面に転がることになった常盤も彼と同様に、現状に光を見いだせずにいる。
彼女の望みに従い、大天狗と鵺に一撃を叩き込み戻ってきた管狐が、心配そうに鼻をこすりつけてくるが、指一本動かせない。どうやらただ風に飛ばされた訳ではなく、妖力を叩き込まれたようだ。指すら動かせない。
(朱火様!)
いやらしい笑みを張り付けた大天狗が、朱火に歩み寄る。動かない体に気持ちばかりが焦る。
そんな彼女の心をなだめるような、柔らかな風が彼女の頬にふれる。
(日護女様の従者よ。我は空狐)
凛とした声が頭に響く。
(空狐……様)
頭の中で名前を反芻する。聞き覚えはない。常盤の妖の知り合いは管狐とのっぺらぼうだけ。
(いま骨川殿を送っておるが、まだ、いくばくかの時が必要。妖力の一部を先に送ったが、それだけでは日護女様をお守りできぬ)
(私にできることが?)
自分の頭に話しかけてきたということは、何か策があるのだろうと問いかけた。とりあえずこの事態をなんとかできる術があるのなら、空狐が何者かを問うのは後回しにする。
(幸いにも、そなたは眷属の血脈を引いておる。我の妖力となじむ。しばし身体を貸してたもれ)
(ご随意に……)
迷いなく答えた常盤の意識が、ふわふわとした毛皮のような気配に包まれた。
「さあ日護女よ。我らの愛の巣へと参ろうぞ。ここはいささか騒がしいゆえな」
朱火の前でかがみこみ、彼女を抱きかかえようとした大天狗の目が、突然大きく見開かれ、顔が勢いよく屋敷へとむけられる。
いままさに、その鋭き牙で有脩の手の甲の皮を突き破ろうとしていた鵺もまた、毛を逆立てそちらに顔をむけた。
彼らの視線の先には、常盤の姿をした何かがいた。
光に包まれ中に浮く彼女の頭からは白い獣のような耳がはえ、指の爪は長く鋭い。
「すこし尻が窮屈じゃのう」
鋭い爪で着物の尻のあたり傷をいれた。フサフサの白いしっぽが飛び出してくる。
「おいおい、なんじゃあの妖力は。まさか天狐? いや、まだ空狐か?」
大天狗はごくりと唾を呑みこむ。
常盤が急に姿をかえた理由はわからないが、事態が彼の望まぬ方向に動き出したのは間違いない。
「ひょう!」
危険を察知したのか、鵺が吠えると同時に、常盤めがけて駆けだす。
素早く距離を詰め地面をける。宙に浮いていた彼女に妖の牙がせまる。
「力技だけの獣ごときが……頭が高い!」
空狐が鵺に向けた指先をクイッと地面をむけた。
瞬間、鵺が頭上に現れた地面に叩きつけられる。
フワリと舞い降りた空狐は、容赦なくその顔をふみつけた。鵺がじたばたするが空狐は気にもとめない。
「こやつ、やはり化身が近いな!」
眉間に皺をよせた大天狗が団扇をふるう。それに合わせ、空狐も薄笑いをうかべ腕をふるった。
ふたつの風の塊がぶつかり合い爆発する。
有脩たち陰陽師と烏天狗、朱火に近づこうとしていた有象無象の妖たちが吹き飛ばされる。
残されたのは空狐と鵺に大天狗、そして何事もなかったかのようにたたずむ朱火とのっぺらぼうのみ
「大天狗よ、退け。日護女様は誰かが独占してよい方ではない。お主はこの理性のないケダモノとは違うであろう?」
空狐の余裕ある態度に、大天狗は内心歯噛みする。
空狐は千年以上生きた妖狐。それであれば大天狗であれば充分に勝ち目がある。しかしながら目の前の空狐の妖力は、その上の三千年生きた妖狐である天狐のそれにちかい。おそらくあとニ・三百年もたてば天狐に化身するのであろう。おまけに、今は人間の女に憑りついているだけのようだ。もし本体がこちらに向かっているのであれば、大天狗ですら万が一にも勝ち目がない。
大天狗が迷っているさなか、唐突に裾が引っ張られる。彼が視線を落とすと、朱火がつぶらな瞳で見上げていた。
「どうした、日護女。いまは、ちと立て込んでおるのだが?」
「来た」
彼女は裾を掴む手に力をこめると、あらぬ方を指さす。
大天狗の首がつられるように動く。
先程まで遠くで揺らめいていたはずの影が、こちらへと恐るべき勢いで存在感を増していた。




