噂の向こうの顔
翌朝、宿の食堂で、レオンがパンをちぎりながら指を曲げ伸ばししていた。
「手を痛めたか?」
エドガーが尋ねると、レオンは首を振った。
「いえ。昨日、石を運んだので。少し張ってるだけです」
「今日は休むか」
「歩く分には平気ですよ。市場も、まだ全部見てませんし」
皿には、温めた豆と、薄く切ったチーズが載っていた。レオンはパンで豆をすくい、残さず食べた。
エドガーも食事を終え、水を飲む。
「先にギルドへ寄るぞ。明日以降の仕事を見ておきたい」
「はい。その後で、金物の店も見ていいですか?」
「昨日、手鍬を買った店か?」
「あそこもですけど、作ってる所が見られる店があれば」
買う物がなくても、見たい物は尽きないらしい。
エドガーは立ち上がり、椅子の背からコートを取った。
*
ギルドへ着く頃には、朝の混雑が少し引いていた。
入口近くで荷物をまとめる者と入れ違いに中へ入る。掲示板の前には空きがあり、二人で並んで紙を見ることができた。
昨日あった依頼がなくなり、新しい物が数枚増えている。
エドガーが川沿いの見回りへ目を通していると、入口の方で、知り合いを呼ぶ声がした。
「戻ったのか」
返事とともに、幾つもの足音が入ってくる。
先頭は、短い外套を着た若い男だった。
良い仕立ての服だが、裾には乾いた泥がついている。腰に剣はあるものの、後ろを歩く槍持ちの男ほど、防具を厚くしてはいなかった。
続いて、丸い盾を背負ったドワーフの女。弓を持つ犬の獣人。それから、杖を携えた若い女が入ってきた。
五人とも、靴と脚絆が土に汚れていた。
入口脇で待っていた職員が近寄る。
「ヴィクトルさん。報告はこちらへ」
エドガーは掲示板から目を上げた。
レオンも、その名に気づいたらしい。
先頭の男が職員へ頷く。整った顔立ちに疲れは見えたが、背は伸びたままだった。
「先に討伐部位を確認してくれ。報告は、その間にする」
声はよく通った。
槍を持った男が荷袋を下ろし、犬の獣人と一緒に、職員の示した場所へ運んでいく。
盾を背負った女は、入口を塞がない所で荷を下ろした。
その手が背負い紐へ回ったところで、ヴィクトルが振り返る。
「ベルタ。盾はそのまま修理に出していい。縁も見てもらってくれ」
「分かってる。次に割れたら、持たせたあんたに請求するよ」
「今回の分から出す。控えだけもらっておいてくれ」
ベルタと呼ばれた女は満足そうに頷いた。
盾の縁には、金属の歪んだ箇所があった。
エドガーはそれを一度見て、依頼の紙へ視線を戻した。
*
気になる依頼を二枚選び、受付が空くのを待った。
レオンは壁際に置かれた周辺の略図を見ている。
エドガーが隣へ行こうとした時、先ほどの槍持ちが荷袋を抱えて戻ってきた。通路で身体をずらすと、男も足を止めた。
「すみません。通れますか」
「ああ。大丈夫だ」
男は袋を抱え直してから、エドガーの手元を見た。
「川沿いの見回りですか?」
「まだ決めてない。この街の仕事を少しずつ覚えてるところだ」
「なら、渡し場の方は先に水の具合を聞いた方がいいですよ。昨日、上流側で岸が崩れていましたから」
エドガーは紙へ目を落とした。
「この道か?」
「いえ、その先です。ただ、荷車がこっちへ回ってくるかもしれません」
男は片腕で袋を支え、空いた指で略図の道を示した。
見回りの範囲とは離れている。だが、通る人や荷車が増えれば、歩く時に気を配る場所も変わる。
「助かる。受付でも聞いてみる」
「まだ報告中なので、少し待ってもらえると確かです」
男は笑った。
近くで見ると、レオンより幾つか上くらいだろうか。槍の柄には握り直した跡があり、肩当ての革もよく馴染んでいた。
「マティアスです」
「エドガーだ。こっちはレオン」
呼ばれたレオンが略図から離れた。
「レオンです。よろしくお願いします」
頭を下げると、マティアスも軽く会釈した。
「二人で来たんですか?」
「ああ。フェルデンから、護衛をしながらな」
「それは遠かったですね。しばらくこちらに?」
「そのつもりだ」
マティアスは頷いた。
「また顔を合わせそうですね」
そう言って、袋を持って受付へ戻っていった。
*
報告が終わるまで、少し時間がかかった。
壁際の長椅子へ座ったレオンが、声を落とす。
「話しやすい方でしたね」
「ああ」
エドガーは依頼の紙を膝に置いた。
受付では、ヴィクトルが職員の広げた図を指していた。隣にマティアスが立ち、時折、言葉を添えている。
詳しい内容までは聞こえない。
やがて図が畳まれ、別の紙が差し出された。
「追加で、こちらもお願いできませんか」
職員の声が聞こえた。
ヴィクトルは紙を読み、眉を寄せた。
「今日か?」
「できれば。場所は街からそれほど離れていません」
「今日は受けない。戻ったばかりだ」
返事は早かった。
「移動を含めても、半日ほどかと」
「半日なら、休む時間が半日減る」
少し離れた席で、犬の獣人が大きく頷いていた。
職員が言葉を継ぐ前に、マティアスが紙へ目を向ける。
「人が襲われているんですか?」
「いえ。今のところ、通行人が姿を見たという報告です」
マティアスはヴィクトルを見た。
「それなら、明日の朝にもう一度話を聞こう。状況が変わるかもしれない」
「ああ。場所と数を確かめておいてくれ。この内容のままでは、報酬も決められない」
ヴィクトルは紙を返した。
愛想のいい断り方ではなかった。
だが、盾を修理に出す仲間がいて、ほかの者も荷を下ろしてからほとんど動いていない。帰ってきたばかりの一団を、そのまま別の仕事へ送り出す話ではある。
エドガーは膝の紙を揃えた。
今聞こえたやり取りだけなら、自分も今日は断るだろうと思った。
*
五人が受付を離れたところで、マティアスがこちらへ顔を向けた。
「さっきの道の件、伝えてあります」
エドガーは立ち上がった。
「ありがとう」
「知り合いか?」
ヴィクトルが尋ねる。
「今、知り合った。フェルデンから来た二人だ。しばらく滞在するらしい」
ヴィクトルの視線が、エドガーからレオンへ移った。
「ヴィクトルだ」
「エドガー。よろしく頼む」
「レオンです。よろしくお願いします」
挨拶を返すと、ヴィクトルは二人の装備へ短く目を走らせた。
「護衛で来たのか」
「ああ。着いてからは、近場の討伐を一つ」
「何を?」
「石尾だ。果樹園に二匹」
ヴィクトルは頷いた。
「市内の依頼もあるが、討伐なら川沿いより森側の方が多い。地図だけで入ると、古い伐採道を間違えやすいから気をつけてくれ」
忠告というより、知っていることをそのまま伝える口調だった。
「ああ。案内が必要なら雇う」
「それがいい」
話を終えようとしたところで、レオンが口を開いた。
「皆さんは、長く一緒に活動されてるんですか?」
ヴィクトルがレオンを見る。
「今の五人では、二年ほどだ」
「そうなんですね。こちらで評判を聞いたので、一度お会いしてみたいと思っていました」
ヴィクトルの表情が、少し和らいだ。
「仕事の評判なら、悪くないはずだ」
「それ、自分で言う?」
盾を背負ったベルタが、横から言った。
「違うか?」
「間違ってはいないけどね」
ベルタは笑い、背負い紐を引き直した。
レオンもつられて笑った。
「仲間を強くするスキルだと聞きました。そういう力を持つ方に会うのは、初めてで」
「珍しいとは言われる」
ヴィクトルはそう答えた。
「ただ、動くのはそれぞれだ。こちらが力を上乗せしても、使えなければ意味がない」
隣でマティアスが、槍を持ち直した。
レオンはすぐには次を尋ねなかった。一度頷き、五人を見た。
「戦い方も、皆さんで合わせてるんですね」
「そういうことだ」
背後で、犬の獣人が荷袋を担いだ。
「ヴィクトル。話すなら飯を食いながらにしてくれないか。腹が減った」
「もう終わる」
ヴィクトルはそちらへ返事をしてから、二人へ向き直った。
「では、また。ここに通うなら会うだろう」
「ああ」
五人が出口へ向かう。
最後を歩いていた杖の女が、扉の脇へよけた職員に礼を言った。マティアスは片手を上げ、仲間に続いた。
扉の向こうから、どの店へ行くか言い合う声が聞こえた。
*
エドガーたちは、受付で見回りの詳しい話を聞いた。
道の崩れた場所は依頼の範囲から外れているが、荷車の迂回についてはまだ確認できていないという。決めるのは、その情報が揃ってからにした。
外へ出ると、レオンが一度ギルドの扉を振り返った。
「もっと大勢で活動しているのかと思っていました」
「五人でも、役割は揃ってたな」
「はい。俺が前にいたのは三人だったので、魔法を使う人がいると、どう変わるのかも気になります」
エドガーは歩きながら頷いた。
スキルだけを見ていたわけではないらしい。
盾を持つ者、槍を持つ者。弓と杖。その後ろから、全体を見る指揮役。
レオンには、自分たちの三人組と違う部分がいくつも見えたのだろう。
「一緒の仕事になることがあれば、分かるだろう」
「そうですね」
レオンは前を向き、通りの先を指した。
「あの辺りから、鉄を打つ音がしませんか?」
確かに、槌の音が聞こえた。
エドガーは店先に馬具の金具が下がっているのを見つけた。その奥に、炉の赤い光がある。
「見るなら、店の人に声をかけてからだぞ」
「はい」
レオンが足を速めかけ、エドガーに歩調を合わせ直した。
今日は急ぐ仕事がない。
エドガーはそれを言おうとして、やめた。代わりに自分も少しだけ歩幅を広げ、開いた店先へ向かった。




