知らない土地の仕事
翌日の昼前、エドガーはヘレナの店で代金を払った。
買ったのは加熱台と、予備の石を一つ。
冷却箱は帰りの運び方を決めてから、風を送る道具はもう少し考えることにした。
「お預かりは十日ほどでよろしいですか?」
「ああ。それより延びそうなら、先に知らせる」
「では、お名前をこちらへ」
ヘレナが差し出した帳面へ名前を書く。
受け取った控えには、品物と支払った額、引き取りの期限が記されていた。旅先で買った物を預かることには慣れているらしく、話は早かった。
「引き取る時に、石へ魔力を入れる方法も教えてくれ」
「ええ。鍋に水を入れて、実際に使いながら説明します」
控えを懐に収める。
これで、帰った後に湯を沸かす手間が一つ減った。
店を出てしばらく歩くと、レオンが隣で言った。
「楽しみですね」
「ああ」
「今度は返事を隠さないんですね」
「金を払ったからな」
レオンが笑った。
通りでは、荷車を押す男と、籠を提げた女が道を譲り合っていた。軒先に干された布が風に揺れ、その下を子供が二人、パンを分けながら歩いていく。
着いた時にはどの角も同じように見えたが、宿へ戻る道はもう覚えた。
ただ、一つ通りを外れると、知らない看板がいくらでもあった。
「夕方までは、まだ時間がありますね」
レオンが言った。
今日はギルドでロルフと会う約束になっている。護衛の途中で倒した岩顎の討伐部位を売り、その代金を分けてもらうためだった。
「早めに行って、依頼を見ておくか」
「いいですね。この辺りで何が出るのかも、聞いてみたいです」
エドガーもそのつもりだった。
買い物だけなら、店と宿の間を歩いていれば済む。
仕事をするとなれば、街の外を知らないままではいられなかった。
*
ギルドの掲示板の前には、昼を過ぎても人がいた。
外套を着た二人組が一枚の紙を見比べ、その脇では、片腕に革の籠手をつけた獣人が職員へ何か尋ねている。
エドガーは人の切れ目を待ち、近場の依頼から目を通した。
荷の護衛。畑を荒らす魔物の討伐。川沿いの道の見回り。
内容だけなら、フェルデンでも見かける仕事が多い。
違うのは、そこへ書かれた地名だった。
「この村、近いんでしょうか」
レオンが指した依頼には、街を出てから徒歩半日とあった。
「半日と書いてあるが、道を聞かないとな」
「川を渡るみたいですね」
小さく添えられた略図に、渡し場が描かれている。
半日で着いても、帰りに舟がなければ戻れない。
エドガーは依頼の紙を外さず、空いた受付へ向かった。
「しばらくこの街にいる。近場で仕事をしたいんだが、土地勘がなくてな」
職員は二人の冒険者証を確かめると、帳面を開いた。
「討伐を中心にお探しですか?」
「ああ。まずは道が分かりやすい所がいい」
「でしたら、川向こうより、街と同じ側の依頼をお勧めします。渡し場は水かさで止まることがありますので」
やはり、紙にある距離だけでは分からない。
職員が出した数枚の中から、エドガーは果樹園の依頼を手に取った。
石尾が入り込み、作業ができなくなっているという。
「石尾か」
レオンも横から覗いた。
「見たことはあります。前の仲間といた時に、一度」
「こっちでは珍しくないのか?」
「川沿いの石積みや、古い排水路に棲みつきます。今回の果樹園は、街から歩いて二時間ほどです」
石尾は、胴の長い大きな蜥蜴に似た魔物だった。低く這うため草の中では見つけづらく、硬い節のある尾を振るう。
エドガーも討伐したことがある。
ただし、ここにいる個体まで同じ大きさとは限らない。
「何匹見た?」
「二匹が同時に出たと聞いています。それ以上いるかは、まだ」
「怪我人は?」
「足を打たれた方が一人。治療は済んでいますが、仕事には戻れていないそうです」
依頼は、確認された個体の討伐と、棲みついている場所の確認。
石積みを崩す必要が出た場合は、持ち主へ相談するよう書かれていた。
「果樹園に、人は出てるのか」
「被害のあった区画には入らないようにしています。ほかの区画では作業を続けていますが、明日は案内の方がつくそうです」
エドガーは紙をレオンへ渡した。
レオンは条件を最後まで読み、報酬の欄を見てから顔を上げた。
「俺はこれがいいです。場所を確認してから動けますし」
「ああ。詳しい話を聞こう」
*
道順と受付を済ませるうちに、窓から入る光が傾き始めた。
二人で壁際の長椅子に座り、受け取った控えを確認していると、入口からロルフが入ってきた。
後ろにはダリアとユストもいる。
「待たせたか」
「少し早く来てただけだ」
「仕事を探してたのか?」
ロルフの目が、エドガーの手元へ向いた。
「明日、果樹園へ行く。石尾が二匹出たらしい」
「あそこか。道は聞いたな?」
「ああ。橋を渡らず、川沿いの道を行く」
ロルフは頷き、向かいの椅子へ腰を下ろした。
「先に、こっちを済ませよう」
小さな革袋から硬貨を出す。売却の控えと照らし合わせながら、五人分に分けていった。
岩顎は四頭。その討伐部位の代金だった。
エドガーも枚数を確かめ、レオンとそれぞれ受け取った。
「これで護衛の分は全部だ。助かったよ」
「こちらこそ。知らない道で、あんたたちがいてくれてよかった」
ロルフは軽く顎を引いた。
ダリアが卓上に肘をつき、レオンを見る。
「もう買い物は済んだのかい?」
「一つ買いました。湯を沸かす魔道具です」
「旅先で買うには、なかなか重そうだね」
「帰るまで店に預けた」
エドガーが答えると、ダリアは納得したように笑った。
「なら、あとは仕事をするだけか」
「まだ見たい物もあるぞ」
「それが増えるんだよ。店が多い街ではね」
ユストが、卓上の依頼の控えへ目を落とした。
「そこの果樹園なら、前に荷を取りに行ったことがあります。入口まで荷車が通れるので、道は困らないと思いますよ」
「園の中はどうだった?」
「木の間は歩きやすかったです。ただ、奥に古い石垣がありました。草に隠れて、足元が見えない所も」
エドガーは頷いた。
今回の依頼にも、石積みの近くで目撃したと書かれている。
「水の流れてない溝もあったはずだよ」
ダリアが付け加えた。
「車輪を落としかけたから覚えてる。畑の端だったかな」
「明日、案内の人に聞いてみます」
レオンが答えた。
ロルフが二人を見比べる。
「石尾は、そっちにも出るのか」
「たまにな。俺が見たのは、尾まで入れて人の背丈くらいだった」
「この辺りも、大抵はそのくらいだ。ただ、石垣の隙間へ頭を突っ込んで探すなよ。見えてるのが一匹だけとは限らん」
エドガーは苦笑した。
「そこまで近くで見る気はない」
「ならいい」
話はそれで済んだ。
土地のことを知っている者から、知っている分だけ聞ける。それだけで、初めての仕事へ向かう足はずいぶん軽くなる。
ロルフたちは、数日後に別の荷を護衛して街を出るという。
「また道で会うかもしれんな」
「その時はよろしく頼む」
エドガーが言うと、ロルフは立ち上がり、椅子の背にかけていた外套を取った。
ダリアが片手を上げ、ユストも会釈して続く。
八日間、同じ荷馬車と歩いた三人は、それぞれの用事へ戻っていった。
*
宿へ帰る途中、エドガーは道具屋で短い柄の手鍬を一本買った。
依頼に合わせて、果樹園の草や土を少し除くための物だった。石積みを崩すつもりはないが、足跡を見るにも、隙間を確かめるにも使える。
レオンは店先に並ぶ縄を眺めていたが、手持ちで足りると判断したらしく、何も買わずに戻ってきた。
「石尾をやった時は、どんな場所だった?」
歩き出してから、エドガーは尋ねた。
「使われなくなった窯の跡です。マルタが見つけて、外へ出てきたところを三人で囲みました」
「尾は?」
「ヨハンの槍に当たりました。折れはしなかったんですけど、柄が少し曲がって」
レオンが、自分の腰の剣へ目を落とした。
「まともに受けるのは避けたいですね」
「ああ。明日は果樹もある。どこでやるか、見てから決めよう」
レオンは頷いた後、少し先を歩く男を避けてエドガーの隣へ寄った。
「木の間だと、向こうも尾を振りにくそうですね」
「こっちも剣を振りにくいかもしれんぞ」
「確かに。間隔次第ですね」
そこで話が途切れた。
まだ見ていない場所を、今ここで決めつけても仕方がない。明日はまず、案内人の話を聞くところからだった。
宿の小鳥の看板が見えてきた。
入口を開けると、焼いた玉葱と脂の匂いがした。食堂では、薄切りの肉を皿へ盛っている。
エドガーは宿の女主人に、翌朝は早めに出ると伝えた。朝食のパンとチーズは、包んで用意してくれるという。
二階へ上がり、部屋の壁際へ手鍬を置く。
弩の弦と矢を確かめ、靴底に挟まった小石を取った。レオンも寝台に布を敷き、剣の刃を見ている。
窓の向こうでは、革細工の店が品物をしまい始めていた。
フェルデンなら、明日の行き先を言えば誰かの顔が浮かんだ。果樹園の持ち主も、道沿いの家も、大抵はどこかで会ったことがある。
ここでは、まだ何も知らない。
「明日は、少し早く出るぞ」
「はい。途中も見ながら行きたいです」
レオンは剣を鞘へ収めた。
エドガーも矢筒を閉じる。
道を覚え、人に会って、仕事をする。
この街での暮らしも、そうして始めればよかった。




