家へ持ち帰るもの
オットーに教わった店は、大通りから一本入った場所にあった。
入口の脇には、蓋を外された金属箱が置かれている。奥から聞こえてきたのは、硬い物をこつこつと叩く音だった。
「すみません。オットーさんに紹介されて来たんですが」
声をかけると、作業台の向こうで女が顔を上げた。髪を布でまとめ、袖を肘までまくっている。
「魔道具を見に?」
「ああ。家で湯を沸かす物と、食い物を冷やしておける物を探してる」
女は手にしていた道具を置き、前掛けで指を拭った。
「それなら、こちらへどうぞ。ヘレナです。修理も受けていますから、使い方で分からないことがあれば聞いてください」
案内された棚には、大きさの違う加熱台が並んでいた。
エドガーが目を留めたのは、短い四本脚のついた黒い鉄の台だった。鍋を載せる部分は平たく、側面につまみがある。
「鍋はどれくらいの大きさですか?」
エドガーは懐から紐を出した。
家を出る前に、鍋の幅に合わせて結び目を作ってある。ヘレナは受け取った紐を台へ当てた。
「これなら載りますね。普段は料理に?」
「それもあるが、身体を拭く湯を沸かしたい。少し使うためだけに火を起こすのが面倒でな」
「では、実際に沸かしてみましょうか」
ヘレナは棚の下から鍋を出し、水瓶から水を注いだ。
台へ載せてつまみを回すと、側面にはまった石が淡く光った。
すぐに何かが変わるわけではない。薪を燃やした時のような音も、煙もなかった。
「沸くまで、ほかの品をご覧になりますか」
「ああ。その前に、石を替えるところを見せてもらえるか?」
ヘレナが一度つまみを戻し、側面の小さな蓋を開けた。
中には指二本ほどの長さの石が収まっていた。端に小さな印が刻まれている。
「交換する時は、必ず止めてから。同じ形でも使えない物がありますから、この印を確かめてください」
エドガーは身をかがめ、刻印を見た。
「フェルデンでも手に入るか?」
「フェルデンでしたら……」
挙げられた修理屋の名には覚えがあった。普段の買い物で寄る店ではないが、場所は分かる。
「そこへは同じ物を卸しています。在庫がなければ取り寄せになるでしょうけれど」
「魔力を入れ直すこともできるんですよね」
レオンが尋ねた。
「できます。ただ、慣れていない方には交換を勧めています。たくさん流し込めばいいというものでもありませんので」
「壊れるんですか?」
「加減を間違えれば。ご自分でなさるなら、買われた時に説明しますよ」
ヘレナは石を戻し、蓋を閉めてから再びつまみを回した。
エドガーは鍋を見た。
水を入れて、つまみを回す。それだけで、ほかのことをしている間に湯ができる。
朝の顔を洗うにも、仕事から戻って身体を拭くにも使える。煤のついた鍋底を洗う手間も減るだろう。
「気に入りました?」
隣からレオンが覗き込んできた。
「顔に出てるか」
「返事が早いので」
「まだ買うとは言ってない」
「でも、置く場所は決めてますよね」
エドガーは答えず、もう一度台の幅を確かめた。
*
冷やすための箱は、部屋の隅に置かれていた。
腰を下ろせそうな大きさで、上に厚い蓋がついている。ヘレナが開けると、内側は白っぽい板で覆われていた。
「手を入れてみてください」
エドガーは箱の中へ手を差し入れた。
外とは明らかに温度が違う。
中にあった陶器の水差しに触れると、井戸から汲み上げたばかりの水を入れたように冷たかった。
「凍るほどにはなりません。この程度の冷たさを保つ物です」
「肉も入れられるか?」
「ええ。ただし、冷えているからといって、いつまでも食べられるわけではありませんよ」
中には、水差しが六つほど入りそうだった。
家の台所を思い浮かべる。棚を少しずらせば置けるだろう。蓋を開けることも考えると、上には物を置けない。
「隙間なく詰めても大丈夫ですか?」
レオンが箱の縁へ手をかけた。
「少し空けてください。その方が冷えます。それと、火から下ろしたばかりの鍋を入れるのは避けてくださいね。冷やすために魔力を余計に使います」
「先に冷ましてから、ですね」
「そうです」
ヘレナが箱の裏へ回り、小さな蓋を開けた。
石と、それを囲む金属の部品が見えた。
「石の交換はこちらから。中の板は外さないでください。汚れた時は拭いていただければ」
「壊れたら、箱ごと持ってくるのか」
「蓋や金具なら、近くの職人でも直せます。冷えなくなって、石を替えても駄目な時はこちらへ送ってください」
運ぶ手間は加熱台よりずっとかかる。
値を聞くと、エドガーは一度箱から手を離した。
払えない額ではない。しかし、気に入ったからと、その場で持ち帰るような買い物でもなかった。
帰りの荷をどうするか。使い続ける間に、どれほど金がかかるか。
考えることはある。
「値段も書いてもらえるか。さっきの台と、これ」
「ええ。石の値段も一緒に書いておきます」
*
店の奥には、胸ほどの高さの台が置かれていた。上部の丸い金属枠に、幅のある羽根が収まっている。
レオンが足を止めた。
「……扇風機だ」
ぽつりと漏れた言葉に、エドガーは隣へ目を向けた。
レオンは一度口を閉じ、それからヘレナを見た。
「これは、風を送る物ですか?」
「ええ。動かしてみましょうか」
ヘレナが台の脇にあるつまみを回した。
羽根がゆっくり動き始め、やがて輪郭がぼやける。届いた風が、エドガーの額にかかった髪を揺らした。
懐かしい名だった。
だが、口にすれば、今度はこちらが説明することになる。
エドガーは風に顔を向けたまま、コートの襟元を少し開いた。
「涼しいな」
「そうですね。風があるだけでも、随分違います」
レオンが答える。その顔には、もう品物への興味が浮かんでいた。
「強さは変えられますか?」
「二段階です。ただ、冷たい風が出るわけではありませんよ。部屋の空気を動かすものですから」
ヘレナがもう一段つまみを回すと、羽根の回る音が少し高くなった。
レオンは手を近づけすぎない位置で風を受け、そのまま横へ動いた。
「羽根の形で、風の強さも変わるんですか?」
「変わりますよ。大きさも、傾きも。ただ、風が強くなればいいというわけでもありません。回す側に無理がかかることもあります」
「これもヘレナさんが?」
「回す仕組みは私が。羽根と軸は金物師に頼んでいます。軸がずれたり、羽根が曲がったりすると、揺れて音が出ますからね」
レオンが頷いた。今度は台の後ろへ回り、羽根を支える部分を眺めている。
家の作業台で、木片を並べている時と似た顔だった。
「さっきの箱で冷やした空気を送れば、冷たい風にはできますよね」
ヘレナは冷却箱を振り返った。
「一時的には。ただ、冷やした空気を出せば、代わりに暖かい空気が入ります。この箱は蓋を閉めて使うための物ですから、開けたままでは追いつきません」
「もっと大きな仕組みが必要になるんですか」
「部屋ごと冷やしたいなら、そうなりますね。使う魔力も増えます」
レオンは回っている羽根へ目を戻した。
「人が座るところだけでも、少し冷たい風が来たら気持ちよさそうですけど」
「それなら、風の量を絞って試す余地はあるでしょうね。どれだけ長く冷たさを保てるかは、別ですが」
ヘレナはつまみを戻した。
羽根がゆっくりになり、一枚ずつ見えるようになる。
レオンは完全に止まるまで見ていた。
「羽根だけなら、木でも試せそうですね」
「作業台に載る大きさにしとけよ」
エドガーが言うと、レオンは笑った。
「最初は小さい物にします。回すところまで作れるかも、まだ分かりませんし」
その返事を聞いて、エドガーは止まった羽根を見上げた。
家を出る前には、湯を楽に沸かせれば十分だと思っていた。
いざ店に来ると、それだけでは済まなくなる。
*
鍋の蓋が小さく鳴った。
ヘレナが布を持って持ち上げると、湯気がふわりと広がった。底から上がる泡が、水面を絶えず揺らしている。
「沸きましたね」
エドガーはつまみの位置を確かめてから、自分で止めてみた。
石の光が消える。
「止めても、上はしばらく熱いままです。片づける時は気をつけてください」
「ああ」
薪も、火口も使っていない。灰を捨てる必要もない。
エドガーは鍋の脇へ手をかざし、残る熱を確かめた。
「これの値段は、さっき聞いた額で全部か?」
「石が一つついて、その値段です。予備を買われるなら別になります」
「予備があれば、切れてもすぐ替えられますね」
レオンの言葉に頷く。
ヘレナは三つの品の値段と、交換用の石の値段を紙に書いた。加熱台に使う石の印も、その横へ描き添える。
受け取った紙へ目を落とすと、一つずつ聞いた時より、買い物の大きさがよく分かった。
「今日は持ち帰って考える。しばらく、この街にいるから」
「ええ。加熱台はほかにもあります。冷却箱は、これが売れたら次ができるまでお待ちいただくことになりますが」
「分かった」
店を出ると、通りには昼の食事を買う人が増えていた。
焼いた肉の匂いがする。少し先の店で、男が大きな平鍋から皿へ料理を盛っていた。
「何か食べますか?」
「ああ。座れるところにしよう」
歩きながら、エドガーは紙を折った。
「全部買うと、帰りの荷物が増えますね」
「買うとは決めてないぞ」
「湯を沸かす方もですか?」
エドガーは少し間を置いた。
「……まず飯だ」
レオンが笑い、店の空いた席を指した。
冷たい水も、風の来る椅子もいい。
だが、何より先に浮かぶのは、仕事から帰った夜だった。泥のついた装備を外している間に湯が沸き、身体を拭いてから飯にできる。
エドガーは席へ腰を下ろし、折った紙をもう一度開いた。
加熱台と、予備の石を一つ。
まずは、その二つを足すことにした。




