川沿いの交易都市
街の屋根より先に、帆柱が見えた。
川沿いの道へ出た時、エドガーはそれを裸の木だと思った。だが、進むにつれて横木と巻き上げられた帆が見え、その下に船の舳先が現れた。
岸に繋がれた船は、一艘ではなかった。
腹の広い荷船が並び、桟橋と倉庫の間を人が行き来している。川の中央では、帆を張った船がゆっくりと向きを変えていた。
「着いたな」
近くを歩いていたダリアが言った。
ベルクを出て八日目だった。
岩顎と遭遇した後は大きな支障もなく進めたが、予定より手前の宿で泊まった分を、無理に取り戻すことはしなかった。
フェルデンを離れてからは、途中の休みも含めて二十日近くになる。
エドガーは荷馬車の向こうへ目をやった。
レオンも帆柱を見ていた。そこへ前の馬車から声が回り、顔を街道へ戻す。
「門のところで少し詰まってるそうです」
「こっちも聞こえた」
車輪の音が緩やかになった。
道沿いには、街へ入る前から店が続いていた。馬具を吊るした小屋、車輪を立てかけた修理場、湯気の上がる煮炊きの店。その間を、空の籠を積んだ荷車が抜けていく。
フェルデンより、人も荷も多い。
エドガーは最後尾の馬車との距離を詰め、列からはみ出した木箱を避けた。
*
門を通ってからも、仕事は続いた。
ロルフが先頭の御者へ道を伝え、ユストが交差する通りの荷車を確認する。エドガーたちは、四台の間へ人が入り込むたびに声を掛けた。
川に近づくにつれ、湿った木と縄の匂いが濃くなる。
倉庫の前では、大きな樽を二人がかりで転がしていた。上の階から突き出した梁には滑車が下がり、袋を吊った縄が軋んでいる。
馬車は、その隣の門へ入った。
中庭に四台が収まると、商会の担当者がようやく帽子を脱いだ。
「お疲れさまでした。確認を済ませますので、少しお待ちください」
御者たちが幌を外し始める。
レオンが荷台から降ろした背負い袋を受け取り、エドガーは庇の陰へ置いた。
すぐそばで、ダリアが御者と車輪を見ていた。ユストは弓を肩から外し、弦を確かめている。
旅の間に見慣れた動きだった。
何かあれば声を掛ければよく、返事を待たずとも、誰がどこを見ているかがおおよそ分かる。
その一行も、荷を届ければ解散になる。
「この後、宿は決まってるのか?」
ロルフが尋ねた。
「まだだ。部屋を見てから決める」
「しばらくいるんだろう」
「ああ。一週間は泊まるつもりだ」
「なら、川から少し離れた方がいい。ここは朝から荷揚げの音がする」
ベルクでも似たことを言われた。
エドガーがそう返すと、ロルフは笑った。
「商人には便利なんだがな。休む側には都合が悪い」
ロルフは大通りへ戻る道と、宿の多い通りを教えてくれた。
ダリアが話に加わる。
「湯を使いたいなら、泊まる前に聞いときな。部屋代は安くても、湯を頼むたびに取るところがあるから」
「覚えとく」
「冷たい水でもいいなら、どこでも困らないけどね」
「いや、湯は欲しい」
エドガーが即答すると、レオンが隣で頷いた。
「そこは二人とも同じです」
荷の確認は、昼を少し回った頃に終わった。
商会の担当者から完了の書面を受け取り、道中で倒した魔物の証明部位は、ロルフがギルドへまとめて届けることになった。売却分は、確認が済んでから五人で分ける。
「明後日の夕方、ギルドでいいか」
「ああ」
エドガーは頷き、肩へ荷を掛けた。
「世話になった」
「こちらこそ。また行き先が合えば頼む」
ロルフと手を交わす。
レオンがダリアとユストにも礼を言い、二人で倉庫を出た。
*
ギルドで護衛の報酬を受け取ってから、宿を探した。
最初の一軒は部屋が埋まっていた。
二軒目は空いていたが、案内された部屋の窓の下が荷車の出入り口だった。三軒目で、ようやく二人とも頷いた。
細い通りに面した、三階建ての宿だった。
看板には、枝に留まる小鳥が描かれている。
案内された二階の部屋には、寝台が二つと、窓際に小さな卓があった。寝具は乾いていて、窓の掛け金もきちんと留まる。
エドガーは窓を開け、下を見た。
向かいは革製品を扱う店らしい。軒先に袋が吊られ、店主が椅子に座って縫い物をしている。荷馬車が列を作るような通りではなかった。
「湯は夕方に用意するよ」
宿の女主人が言った。
「朝も欲しければ、前の晩に言っておくれ。洗濯は別料金。朝飯は部屋代に入ってる」
「まず七晩、頼みたい」
「二人で?」
「ああ。延ばす時は、いつまでに言えばいい?」
「二日前には。今は空きがあるけど、先のことは分からないからね」
値段を聞き、レオンと目を合わせる。
フェルデンで泊まっていた宿よりは高いが、考えていた範囲には収まった。
「ここでいいか」
「はい。静かそうですし」
一週間分を払い、鍵を受け取った。
女主人が出ていくと、レオンが荷物を寝台の横へ下ろした。
エドガーも剣帯を外し、椅子へ腰を下ろす。
部屋の外を、誰かが桶を持って歩いていった。階段を下りる足音が遠ざかり、窓から店先の話し声が入ってくる。
「着きましたね」
レオンが言った。
「ああ」
「思ったより歩きました」
「帰りもあるぞ」
「今は聞かなかったことにします」
エドガーは笑い、靴紐を緩めた。
今日はもう、馬車の出発時刻に合わせなくてよかった。
*
少し休んでから、二人で外へ出た。
昼食を取るつもりだったが、レオンが川を見たそうにしていたので、先に川沿いへ向かった。
荷を背負わずに歩くと、肩が軽い。
途中の通りでは、ガラスの器が店先に並んでいた。色のついた小瓶や、薄い縁の杯。エドガーは値札を見て、歩みを止めずに通り過ぎた。
レオンも同じものを見たらしい。
「あれ、持ち帰る途中で割ったら嫌ですね」
「買う時の方が嫌な汗をかきそうだ」
「確かに」
大通りを抜けると、川が開けた。
向こう岸にも建物が続いている。橋を渡る人の列が小さく見え、川面には船の影が揺れていた。
荷揚げ場から少し離れた石段に、腰を下ろして食べている人々がいた。近くの店では、焼いた魚とパンを売っている。
二人も買い、荷運びの邪魔にならないところへ座った。
魚は皮を強めに焼いてあり、割ると中から白い身が出た。小骨は多かったが、塩と香草の味だけで十分うまい。
エドガーが骨を外している間も、レオンは船を見ていた。
岸では太い縄を引いて船を寄せ、桟橋へ板を渡している。渡し終えるのを待って、荷役の男が空の背負い籠を担いで乗り込んだ。
「あれだけ積めるなら、運ぶ量が違いますね」
「馬車を何台も連ねるより、一度に運べるんだろうな」
「川沿いに店が多いのも分かります」
レオンが魚へ目を戻した。
エドガーはパンをちぎりながら、対岸の倉庫を眺めた。
大きな街には来たことがある。船を見たのも初めてではない。
それでも、こうして座って見ていると、岸で働く者たちの動きが目に入った。縄を渡す者、板を押さえる者、荷の数を確かめる者。
隣でレオンが、空になった船は帰りに何を積むのだろうと言った。
エドガーにも分からなかった。
「帰りの荷が揃うまで、ここで待つのかもしれんな」
「その間、船の上で暮らすんですかね」
「気になるなら、後で店の人に聞いてみろ。船乗りが飯を食いに来るだろうから」
レオンは頷いたが、すぐに立ち上がろうとはしなかった。
パンを食べ終え、しばらく川を眺めていた。
エドガーも同じように過ごした。
*
宿へ戻る途中で、魔道具を扱う店を一軒見つけた。
窓の向こうには、金属の台に載った石と、蓋のついた小さな箱が並んでいる。奥では店の者が客へ何かを説明していた。
エドガーが足を止めると、レオンも隣へ来た。
「入ります?」
「今日は場所だけ覚えておこう。ほかの店も見たい」
「そうですね」
店の看板と、通りの角にある井戸を確かめる。
エドガーは窓越しに、もう一度品物を見た。
台の大きさからして、鍋を載せる湯沸かしの道具だろう。家の台所に置くなら、火床の横を少し空ければ収まりそうだった。
実際に湯が沸くところを見たい。
魔力の補充はどれくらい要るのか。鍋は選ぶのか。濡れた手で触っても問題ないのか。
聞きたいことが幾つも浮かんだ。
「明日は、ここからですね」
レオンに言われ、エドガーは窓から顔を離した。
「ああ。朝飯を食ったら来るか」
「分かりました」
帰り道には、洗濯を引き受ける店と、靴屋もあった。
エドガーはそちらの看板も覚えておいた。
この街で過ごす用事が、少しずつ増えていく。
宿の小鳥の看板が見えたところで、レオンが先に扉を開けた。中から、温めた湯を運ぶ女主人の声が聞こえた。
エドガーは礼を言い、階段へ向かった。
明日は朝から歩くことになるだろう。
だが、行き先は自分たちで選べた。




