石橋の向こう
ルッツは、話をしながら相手の顔を見る男だった。
ギルドの卓を挟んで向かい合うと、まずエドガーへ、それからレオンへ目を向けた。短く刈った髪には白いものが混じり、日に焼けた首には襟の跡が残っている。
「ベルクまで、荷馬車が二台です。私と御者が二人。荷を卸す倉庫までお願いしたい」
卓上に置いた依頼票を、指で押さえる。
「順調なら七日ほど。ただ、雨で道が悪くなれば延びます。日が暮れてから走るつもりはありません」
「泊まる場所は?」
「使い慣れた宿があります。間に合わなければ野営ですが、できるだけ屋根の下で眠りたいですね。馬も休ませたいので」
食事と宿泊の負担、予定が延びた場合の報酬を確かめた後、エドガーはレオンを見た。
レオンも頷いた。
「こちらはそれでいい」
「では、もう一つ。お二人は、普段どう分担されていますか?」
「俺が弩で、こいつが前だ。近くまで来られれば剣も使う」
「私は離れた敵には手が届かないので、馬車のそばで迎える方が動きやすいです」
レオンの答えを聞き、ルッツは少し身を乗り出した。
「荷を追って森へ入るようなことは、していただかなくて結構です。馬と人が無事なら、落とした荷は諦められます」
「ああ。そのつもりでいる」
エドガーが答えると、ルッツは初めて背もたれへ身体を預けた。
「助かります。前に、逃げる獣を追いかけて護衛がいなくなったことがありましてね」
「戻ってきたのか?」
「戻りましたよ。立派な毛皮を持って。私たちは、その間ずっと道で待っていました」
苦笑する声に、レオンも小さく笑った。
笑いながらも、その目は依頼票へ戻っている。
ルッツは二人の名前をもう一度確かめ、集合する場所と時刻を伝えた。
*
出発の朝、エドガーは台所の棚を開けた。
傷みやすいものは食べ切ってある。レオンの持ち帰ったチーズも、最後の一切れを今朝のパンに挟んだ。
火床に熱が残っていないことを確かめ、裏口と窓の掛け金を見て回る。
「二階も閉めました」
レオンが階段を下りてきた。
背負い袋には、着替えと毛布が括りつけられている。腰には剣と幅広の短剣。普段の仕事へ出る時より荷は増えていたが、余計なものを詰め込んだ様子はなかった。
「忘れ物は?」
「今のところ、思いつきません」
「なら行くか」
戸を閉め、鍵を回す。
ブルーノには昨日、しばらく街を離れると伝えてきた。帰る日を聞かれて、まだ決めていないと答えると、そうか、とだけ返された。
その後で、買った物を置く場所くらいは測っておけと言われた。
もっともだったので、台所の空きと戸口の幅を紐で測ってある。結び目をつけた紐は、背負い袋の底に入っていた。
「どうしました?」
レオンに尋ねられ、エドガーは扉から手を離した。
「いや。閉まってる」
「何回も確かめたくなりますね」
レオンも一度、家を見上げた。
エドガーは鍵を内ポケットへしまい、通りへ向いた。
*
荷馬車は、門に近い広場で待っていた。
二台とも幌が掛かり、荷台には布で包んだ反物や木箱が収まっている。後ろの馬車では、若い御者が縄を締め直していた。
ルッツが手を上げる。
「おはようございます。荷物は後ろへ載せてください。すぐ取り出すものだけ、お手元に」
エドガーは毛布と着替えの入った袋を預けた。水袋と矢筒は身体につけたままにする。
御者たちと挨拶を交わし、馬の扱いに慣れているかを尋ねられた。
「手綱を取るほどじゃない」
「分かりました。驚いた時は、こっちで抑えます。馬の鼻先だけ空けてもらえれば」
年嵩の御者が、馬の首を撫でながら言った。
止まる合図を決め、レオンは先頭の馬車の脇へ向かった。エドガーは後ろにつき、二台の間が開きすぎない位置を取る。
車輪が石畳を踏み始めた。
門を抜けると、朝の風がコートの裾へ入ってきた。畑へ向かう人々と行き違い、その先で道が緩やかに上っている。
ここまでは、何度も歩いた道だった。
いつもの分かれ道を通り過ぎても、今日は曲がらなかった。
*
最初の二日は、穏やかに過ぎた。
朝に宿を出て、馬を休ませながら進む。昼は荷台から食料を下ろし、夕方には次の宿へ入った。
道は乾いていたが、窪みに残った泥を避けるため、馬車を一台ずつ通す場所もあった。
そういう時は、レオンが先へ回って地面を確かめる。エドガーは馬車の後ろに残り、道と周囲へ目を配った。
何も起きなければ、御者の礼に短く答えてまた歩く。
三日目の昼前、道の先に石橋が見えた。
いくつもの石のアーチが、川の上へ連なっている。橋へ続く道には荷馬車が数台並び、向こうから来る一行が渡り終えるのを待っていた。
「今日は少し混んでますね」
ルッツが御者台から身を起こした。
「橋の手前で休みましょう。あちらの馬車も、しばらく動かないでしょうから」
街道脇には、荷馬車を寄せられる広場があった。水桶と馬を繋ぐ柵があり、その奥に食事を出す店が並んでいる。
二台を止めると、御者たちは馬の様子を見に向かった。
レオンは橋を眺めていた。
「見てきたいんだろう」
エドガーが声をかけると、レオンは振り向いた。
「顔に出てました?」
「あれだけ見てれば分かる。先に飯を買ってきてくれ。その帰りに見てこい」
「エドガーさんの分も?」
「ああ。肉の入ったやつがあれば、それで」
「分かりました」
レオンはルッツにも声をかけ、店の方へ歩いていった。
エドガーは荷馬車の脇へ腰を下ろした。弩は手の届くところへ置き、水袋を開ける。
川を渡る風には、湿った石の匂いが混じっていた。
「若い方は、橋がお好きなんですか」
帳面を閉じたルッツが尋ねた。
「物を作るのが好きでな。どう組んであるのか気になるんだろう」
「石工で?」
「いや。木の方だ。椅子なんかを作ってる」
「それはいい。座り心地の悪い椅子に当たっても、自分で直せますね」
「宿の物を勝手に削ったら怒られるぞ」
「確かに」
ルッツは笑い、御者台の縁へ腰を掛けた。
荷台から出した小さな包みを開き、布の端を確かめている。淡い灰色の織物だった。
「ベルクでは、それが売れるのか」
「これは注文分です。染めずに使う店と、向こうで色を入れる店があります」
布を畳む指が、ほつれた糸の前で止まった。
「同じ物でも、土地によって欲しがられる色が違うんですよ。こちらで残ったものが、次の町では先に売れる」
「運んだ分、上乗せしてもか?」
「ええ。ただし、欲しがる相手を知っていれば、です」
ルッツは糸を内側へ折り込み、包みを結び直した。
「知らない町へ持ち込む時は、少なめにします。売れたから次は倍、と思うと、今度は皆が同じ物を運んでいる」
エドガーは頷いた。
実家でも、そんな話を聞いたことがある。子供の頃は、売れたのなら喜べばいいのにと思っていた。
今なら、次も同じようにいくとは限らないことくらいは分かる。
「難しいもんだな」
「それでも、うまく売れると次も行きたくなるんです」
橋の上で、空の荷車が大きく跳ねた。
木の軋む音が川へ響き、御者の声が続いた。ルッツはそちらへ目を向け、それから自分の馬車の車輪を見た。
「無事に届いてからの話ですけどね」
*
レオンが戻ってきた時には、橋を待つ列は半分ほどになっていた。
持ってきたのは、刻んだ肉と葱を生地で包んで焼いたものだった。二つ重ねた葉の上に載せられ、割れ目から湯気が上がっている。
「熱いですよ」
「お前も食ったのか?」
「まだです。先に持ってこようと思って」
エドガーは一つ受け取り、半分に割った。
肉汁が指へ落ちそうになり、慌てて葉を寄せる。挽いた胡椒に似た香りがしたが、辛みは強くない。
レオンも馬車の脇へ腰を下ろした。
「橋は見たか?」
「店の横から、下が見えました。石が全部、少しずつ形を変えてあるんですね。あの曲がったところ」
「ああ」
「どうやって並べたのか聞きたかったんですけど、店の人もそこまでは知らなくて」
レオンは橋へ目を向けた。
「石を積む人が、最初から最後までいるところを見てみたいです」
「しばらく帰れなくなるな」
「大きい橋じゃなくてもいいんですけど」
言いながら、レオンは焼いた生地へかぶりついた。
エドガーは橋の下へ視線を移した。
水際の石は黒ずみ、上の方には古いものより明るい石が交じっている。継ぎ足しながら、長く使ってきた橋なのだろう。
いつもなら、馬車が通れるか、崩れそうなところはないか。それを見て先へ進む。
今日は、石の継ぎ目を少し長く眺めていた。
食事を終えた頃、御者から声がかかった。
「そろそろ行けます」
エドガーは葉を片づけ、弩を取った。
橋へ入ると、足の裏へ石の硬さが伝わった。欄干の向こうを川が流れ、下から吹く風が汗を冷やしていく。
前の馬車の脇で、レオンが一度だけ川を覗いた。
それから顔を上げ、行く先へ目を戻す。
エドガーも後ろの馬車に合わせて歩いた。
対岸には、低い屋根の続く宿場があり、その先まで街道が延びていた。




