↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
85/96

幕間・後編 もう一歩、速く

 牙犬が向き直るより先に、レオンは間合いへ入った。


 強く踏み込む。


 ただし、加速するのは一歩だけ。


 次の足で身体を支え、右の剣を振り下ろした。刃が首の付け根へ食い込み、牙犬の前脚が折れるように崩れた。


 今度は、通り過ぎなかった。


 剣を引いた時には、もう残る二頭が見えていた。


 大きな一頭が正面から迫る。その脇を、小柄な一頭が回ろうとしていた。


 レオンは後ろへ跳ばず、横へ動いた。


 大きな牙犬の身体が、もう一頭との間に入る。


 その位置で、ほんの一瞬だけ足を緩めた。


 牙犬が跳んだ。


 レオンは斜め前へ踏み込んだ。開いた顎の外へ抜け、突き出された前脚を左の手甲で受け流す。


 肩に重さがかかった。


 靴底が土を噛む。強化された脚が、身体を支えた。


 目の前に、牙犬の胸があった。


 左の短剣を突き入れる。


 すぐに抜き、身体をひねって脇へ逃がすと、大きな牙犬が地面へ落ちた。


 残る一頭が、その向こうから飛び出してきた。


 レオンは右の剣を返した。


 刃先が鼻先を掠め、牙犬が急に足を止める。


 そこへ、もう一歩。


 さっきより短く。


 相手が退く前に追いつき、首の横へ剣を走らせた。


 牙犬が倒れる。


 レオンは剣を下げず、半歩退いた。


 荒い息が聞こえた。


 自分のものと、地面に伏せた大きな牙犬のものだった。


 まだ動く。


 レオンはほかの三頭を確かめてから回り込み、大きな一頭が頭を上げようとしたところで、とどめを刺した。


 再び距離を取る。


 草が揺れていた。


 それ以外に、動くものはなかった。


     *


 レオンは、ゆっくり息を吐いた。


 左腕を開き、閉じる。


 手甲には新しい擦り傷がついていたが、腕に痛みはない。脚も、まだ軽かった。


 勝った。


 四頭とも倒した。


 それ以上に、最後の数歩が頭から離れなかった。


 踏み込んで、斬って、次へ向く。


 今までもやっていた動きだ。ただ、今日は斬り終えたところに、次の敵がいた。


 探すために振り返らなくてよかった。


 走りすぎた分を戻す必要もなかった。


「……今の、よかったな」


 声に出すと、嬉しさが増した。


 もう一度、足を動かしたくなった。


 だが、先に周囲を確かめる。


 林の縁を見渡し、耳を澄ませる。新たな足音も、唸り声も聞こえなかった。


 牙犬が動かなくなったことを確認し、ようやく剣先を下ろした。


 身体に流していた魔力を緩めると、風の冷たさが頬に戻ってきた。


 額の汗を袖で拭う。


 力を増やしたわけではない。


 いつもの力を、使う場所が少し変わった。


 それだけで、こんなに違うのか。


 レオンは、倒れた牙犬のそばに残る自分の足跡を見た。


 初めの一頭を斬ったところには、長く土を擦った跡がある。止まるために、余計な距離を使っていた。


 最後の踏み込みは短かった。


 もちろん、短ければ何でもいいわけではない。敵が遠ければ届かないし、足元が崩れれば踏ん張れない。


 だが、いつも全速力で抜ける必要はなかった。


 相手が動き始めるまで待ち、その一瞬だけ速くなる。


 覚えておきたい感覚だった。


     *


 死骸を集め始めると、先ほどまでの軽快さはどこかへ行った。


 引きずるだけなら簡単だ。


 ただ、牙が草に引っかかる。脚が変な方へ折れて、途中で止まる。持ち直せば、今度は自分の服が汚れた。


「そこ、引っかかるのか……」


 誰に言うでもなく呟き、牙犬の身体を少し浮かせる。


 戦っている時より、よほど時間がかかった。


 討伐部位を取り、処分する場所を整える。火に使うものを集め、水を飲み、また運ぶ。


 気づけば、腹が減っていた。


 手を洗って食料を出した時には、陽は随分高くなっていた。


 硬いパンを齧りながら、レオンは自分の左手を眺めた。


 短剣を握っていた指を、軽く曲げる。


 最後の大きな一頭には、右の剣を振る場所がなかった。近すぎたからだ。


 それでも、左が使えた。


 剣に合う距離まで離れ直すより、あのまま踏みとどまって短剣を使う方が早かった。


 速く動くことばかり考えていたが、押されても姿勢が崩れないことも、次の一撃につながる。


 何か、繋がり始めている気がした。


 レオンはパンを飲み込み、水を飲んだ。


 前世なら、画面の中の動きを見て、格好いいと思っていただろう。


 今は、その一歩を自分の脚で踏める。


 うまくいかなければ、どこで身体が流れたかも分かる。


 それが、たまらなく面白かった。


     *


 村へ戻った頃には、服に煙の匂いが染みついていた。


 羊を失った男へ四頭を倒したことを伝え、討伐部位を見せる。


 男は大きな牙を確かめ、深く息を吐いた。


「これで、あの辺へ戻せるな」

「今日見つけたのは、この四頭です。明日の朝、もう一度周りを見てから帰ります」

「分かった。今夜も、納屋を使ってくれ」


 レオンが礼を言うと、男は家の方へ声をかけた。


 夕食には、羊肉と根菜を煮込んだものが出た。


 肉は柔らかく、骨の近くに脂が残っている。香草の匂いがして、昼の硬いパンとは違ううまさだった。


 レオンがよく食べるので、男の妻が鍋を卓へ寄せてくれた。


「まだあるよ」

「いただきます」


 遠慮するより先に、返事が出た。


 男が笑う。


「一人で四頭を片づけりゃ、腹も減るか」

「運んで、焼く方が長かったです」

「ああ、そっちもあるな」


 男は自分の椀へ目を落とし、それから言った。


「うちの犬も、今日は少し飯を食った。脚はまだ引きずってるが」

「そうですか。よかった」


 帰りに様子を見せてもらおうと思った。


 レオンは骨から肉を外しながら、窓の向こうへ目をやった。


 昼間、丘から見た岩肌を思い出す。


「そういえば、森の向こうに見える、白っぽい崖。あそこは何ですか」

「あれか。昔、石を切り出してた場所だ」

「今は使ってないんですか」

「もっと奥では、まだやってる。向こうの町へ出すんだと」


 男はパンで椀の汁を拭った。


「古い切り場の近くに、石の橋がある。谷を跨いだ、大きいやつだ」

「橋?」

「ああ。ここからは見えんがな。町へ行く道が通ってる」


 レオンは匙を置いた。


「歩いて、どのくらいですか」


     *


 翌朝、林の周りを確かめた。


 新しい牙犬の姿はなかった。


 処分した場所も確認し、村へ戻って報告を済ませる。


 噛まれた犬は、小屋の入口で横になっていた。近づくと頭を上げたが、知らない人間を歓迎する様子はなかった。


 レオンは少し離れたところにしゃがんだ。


「早くよくなれよ」


 犬は鼻を鳴らし、また頭を下ろした。


 男がその背を撫でた。


「帰りは丘を越えるのか」

「はい。橋は、また今度にします」


 昨夜、道を聞いてみると、石橋へは別の谷を回る必要があるということだった。


 見に行けば、予定より帰りが遅くなる。


 急いで往復するより、向こうの町まで歩いてみたかった。どんな依頼があるのかも、気になっている。


「次は、あっちへ行くつもりで来ます」

「そうか。なら、また寄れ」

「はい。ご飯、おいしかったです」


 礼を言って、村を出た。


 荷物には、小さな塊のチーズが増えていた。


 土産に買いたいと頼んだら、男の妻が食べ頃のものを選んでくれたのだ。


 羊を連れて帰るより、ずっといい。


 レオンは一人で笑った。


     *


 丘の道へ上がる前に、荷物を下ろした。


 平らで、地面の締まった場所だった。


 少しだけ確かめたかった。


 剣は抜かず、足へ魔力を通す。


 一歩。


 前へ出て、次の足で止まる。


 昨日ほど強く踏まなくても、思っていた場所へ届いた。


 続けて横へ動き、身体の向きを変える。


 今度は、少し上体が流れた。


「ああ、こっちは……」


 足を置く向きが違ったらしい。


 もう一度やる。


 今度は止まれた。


 思わず笑った。


 誰も見ていない道端で、何をしているのだろうとも思う。だが、さっきできなかったことができるのは、やはり嬉しい。


 昨日の一度だけではなかった。


 まだ滑らかには繋がらないが、練習すれば使えそうだった。


 以前の仲間といた頃にも、こういうことがあった。


 剣がうまく通った日。走りながら息が乱れなくなった日。別々に考えていた動きが、ふと一つに繋がった日。


 そのたびに、次の仕事が楽しみになった。


 レオンは荷物を背負い直した。


 今日、ここで全部仕上げる必要はない。


 帰ってからも、試せる。


     *


 丘の上まで来ると、風が強くなった。


 草地の向こうに、白い岩肌が見えた。


 あの先に、まだ見ていない橋と町がある。


 昨日までは、ただ遠くに見える崖だった。それが今は、行きたい場所になっていた。


 レオンはしばらく眺めてから、街へ続く道を下り始めた。


 途中の店で、チーズと葱の入ったパンを買った。


 熱いものを一つ、その場で食べる。


 もう一つは包んでもらった。


 帰り着く頃には冷めてしまうだろう。それでも、鍋か鉄板で温め直せば、少しはあの香りが戻るかもしれない。


 エドガーに話すことが、幾つもできた。


 牙犬の足並みが変わったこと。


 短く踏み込んだ時の感覚。


 丘から見えた景色と、その向こうにあるという石橋。


 どれから話そうかと考えて、レオンは袋の口を締めた。


 たぶん、先にパンを渡す。


 それから、剣を振れる場所へ誘ってみよう。


 見てほしかった。


 昨日までとは、少し違う動きができる気がするのだ。


 レオンは坂道を軽やかに下り、フェルデンへ向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。