積み重ねたもの
数日後、エドガーはギルドで小さな革袋を受け取った。
街道の魔物を倒した分の報奨金と、調査に同行した手当だという。
窓口で中身を確かめると、マークが受取簿を差し出した。
「荷の回収も終わりました。あの休憩場所は、また使えるそうです」
「そうか。森の方は?」
「今のところ、同じような魔物は見つかっていません。巡療会の報告を添えて、周辺の村にも知らせています」
エドガーは名前を書き、ペンを返した。
変異個体の姿と、長い前脚。倒れたように見えても、まだ動いたこと。
あそこで見たものが、次に通る誰かへ伝わるなら、それでいい。
「それから、少しお時間をいただけますか」
「報告で足りないところでもあったか」
「いえ。階級のことで、お話があります」
革袋をしまう手が止まった。
隣で依頼票を見ていたレオンが、こちらへ顔を向ける。
マークは、いつもと同じ調子で続けた。
「二級への昇級を、推薦したいと考えています」
*
奥の机には、何冊かの帳面が用意されていた。
レオンは表で待つと言ったが、エドガーが呼び止めた。
「お前も聞いておけ。前に、階級の話をしてただろう」
「いいんですか」
「ああ」
マークにも確かめてから、二人で椅子に座った。
「まず、今回の救助については、護衛の方々と、救援に出た兵から話を聞いています」
マークは一枚の紙を手元へ寄せた。
「討伐した魔物の危険性も、調査の報告と一致しています。報奨金とは別に、昇級の審査へ進めるだけの働きだったと判断しました」
「あの一頭でか」
「今回の一件だけではありません」
そう言って、帳面を開いた。
日付と依頼の内容、その下に短い記録が並んでいる。
道沿いの魔物の討伐。荷馬車の護衛。戻らない御者の捜索。
見覚えのある仕事ばかりだった。
「この街で受けていただいた依頼も、確認しています。討伐した後に周囲を調べて、依頼に書かれていなかった危険まで報告されていることが多いですね」
「残ってたら、また人がやられるだろう」
「ええ。それを、毎回きちんとやっていただいています」
エドガーは帳面へ目を落とした。
依頼を終えた後に、何を話したかまでは覚えていない。
矢の残りや、雨が降りそうだったこと。帰り道に買うつもりだった食料。そういうことを考えながら、窓口で伝えた話もあったはずだ。
それが、ここには残っている。
「今回も、救援を先に頼み、現場では怪我人を逃がす場所を確保されています。討伐後も、ご自身だけで帰らず、搬送に加わった」
「動けないのを置いて帰れんだろう」
言ってから、少し強く聞こえたかと思った。
マークは気にした様子もなく頷いた。
「はい。ただ、助けようと思っても、どう動けばいいか分からなくなることはあります。現場にいた方々は、声をかけてもらえて助かったと話していました」
荷車の下の男を、無理に引き出さないこと。
怪我をしたオルフには、運ぶ役を任せないこと。
動ける者を集め、誰がいないのか確かめること。
必要だと思ったことを、順にやった。
特別なことをしたつもりはない。それでも、サラも同じことを言っていた。
「魔物を倒せる人が、現場を任せられる人とは限りません。二級への推薦では、その点も見ています」
マークは帳面を閉じなかった。
エドガーは、並んだ日付をもう一度見た。
*
「昇級したら、何が変わる」
エドガーが尋ねると、マークは別の紙を差し出した。
「受けられる依頼の範囲が広がります。他の街へ移る時にも、二級として紹介を出せます。難しい護衛や、被害の大きい魔物への対応などで、声がかかる機会も増えるでしょう」
「断ることはできるんだな」
「できます。階級が上がったからといって、依頼を引き受ける義務はありません」
そこは知っている。
だが、断れることと、声をかけられずに済むことは違う。
今までなら別の誰かへ回っていた話が、自分のところへ来る。
人数が足りない。ほかに頼める者がいない。
そう言われた時、毎回きれいに断れるかは分からなかった。
「部隊の指揮なんかを、任されても困るぞ」
「そうした仕事は、指揮の経験がある方に相談します。二級なら何でも同じようにできる、という扱いではありません」
マークは少し間を置いた。
「ただ、期待されることは増えます。それが負担になるという方がいるのも、承知しています」
簡単に、何も変わりませんとは言わなかった。
その方が信用できた。
横で聞いていたレオンが、口を開いた。
「同じ依頼でも、二級の人が受けると報酬が増えるんですか」
「基本の報酬は同じです。ただ、任せる役目や条件が違えば、その分を相談することはあります」
「階級だけで決まるわけではないんですね」
「ええ。三級でも、ある土地の魔物については誰より詳しい方がいます。そういう仕事なら、その方にお願いしたいでしょう」
レオンは頷き、机の紙へ視線を落とした。
エドガーも、書かれた依頼の例を読んだ。
どれも、誰かが引き受けなければならない仕事だった。
その中で、普段の弩や剣だけで済ませられるものが、どれだけあるだろう。
助けを求める人が目の前にいれば、あの日と同じように動く。レオンに獣が飛びかかった時も、そうだった。
だが、それを当てにされる暮らしを、自分から選びたいかといえば、話は別だった。
「……あまり、目立つ仕事を増やす気はない」
「はい」
「今回みたいなのを、いつもできると思われても困る」
マークはペンを置いた。
「毎回、一人で危険な魔物を倒してほしいという推薦ではありません。引き受けられるか、応援が必要か、退くべきか。そうした判断を含めての評価です」
エドガーは椅子の背へ身体を預けた。
「慎重なだけだ」
「その慎重さに、助けられた方がいます」
すぐには返事が出なかった。
マークも、重ねて言おうとはしなかった。
*
「今日、返事が必要か」
「いえ。推薦を受けて審査に進むかどうか、考えていただければ結構です。見送られても、今の依頼に影響はありません」
「少し時間をくれ」
「分かりました」
差し出された説明の紙を受け取り、折ってしまう。
話が済むと、表のざわめきが急に近く感じられた。
窓口では、皮の傷みについて職員と話している男がいた。掲示板の前には、荷運びの依頼を指して相談する若い二人組がいる。
いつものギルドだった。
マークが窓口へ戻るのを見送り、エドガーは掲示板の方へ歩いた。
レオンも隣に来たが、すぐには依頼票を見なかった。
「二級には、上がりたくないんですか」
「今のままで、仕事は足りてるからな」
「そうですね」
それで話を終えるかと思ったが、レオンは少し考えてから続けた。
「でも、推薦されるのは分かります」
「お前まで言うか」
「一緒に仕事をしてますから」
エドガーは横を見た。
レオンは笑ってはいなかった。
「何かあった時、エドガーさんなら先に気づいているんじゃないか、と思うことがあります」
「気づかん時もあるぞ」
「はい。だから、俺も見るんですけど」
その返事に、エドガーは小さく息を漏らした。
いつの間にか、教えたことを返されている。
「上がるかどうかは、エドガーさんが決めることだと思います。でも、マークさんが話していたことは、俺にも覚えがあります」
レオンはそこまで言うと、掲示板へ顔を戻した。
無理に勧めるつもりはないらしい。
エドガーも依頼票を眺めたが、すぐには内容が頭に入ってこなかった。
*
その日は新しい依頼を取らず、帰ることにした。
ギルドを出たところで、片腕を吊ったオルフに会った。
「ちょうどよかった。中にいるか聞こうと思ってた」
「腕はどうだ」
「しばらく盾は持つなとさ。今、仕事仲間に伝えてきた」
不満そうな声だったが、吊った腕を動かそうとはしなかった。
エドガーはレオンを紹介した。
オルフは軽く会釈し、それから懐の包みを差し出した。
「これ、あの荷車の下にいた男からだ。渡せたら頼むと言われてな」
「何だ」
「焼き菓子。家の者が持ってきたそうだ」
受け取ると、布越しにも甘い匂いがした。
「立てるようになったのか」
「まだだ。だが、よく喋ってる。荷の心配も始めたから、寝てろと言ってきた」
「それだけ喋れるなら、少しは安心だな」
オルフは頷いた。
「胸をやった若いのも、今日は自分で粥を食ってた。息をするのは、まだ痛むらしいが」
「そうか」
エドガーは包みを持ち直した。
診てもらっていると聞いてからも、どうなったかは気になっていた。
何日休めばいいのか。仕事に戻れるのか。
まだ分からないことは多い。それでも、今日は飯を食えた。
「菓子の礼を、頼めるか」
「ああ。伝えとく」
オルフはギルドへ向かいかけ、振り返った。
「落ち着いたら、一杯おごらせてくれ。サラも来る」
「腕を治してからな」
「それは分かってる」
今度は少し笑って、扉の中へ入っていった。
エドガーは手元の包みを見た。
報奨金は懐に収まった。昇級の説明も、その隣に入っている。
それとは別に、帰るための荷物が一つ増えていた。
「帰って、茶にしますか」
レオンが言った。
「ああ。湿気る前に食おう」
二人で家の方へ歩き出す。
上の階級に進むかどうかは、まだ決められなかった。
ただ、マークが帳面を開いていた時ほど、その話を見当違いだとは思えなくなっていた。




