確かめるだけの仕事
出発は翌朝に決まった。
その日のうちに道具と食料を揃え、森では一泊を見込む。調査するのは、伐採場から沢までの範囲だった。
「岩鎧熊を見つけても、仕掛ける必要はない」
マルクが念を押した。
「居場所と、伐り場まで来ているかが分かればいい。追いかけて帰れなくなるなよ」
「分かってる」
エドガーが答えると、隣のトマスも頷いた。
依頼書には、帰還予定の日と、戻らなかった場合に捜索へ向かう場所まで書き込まれた。
前回のように、その場で夜を越すことを決める仕事ではない。
エドガーは地図をもう一度見てから、依頼書に署名した。
*
翌朝、門のそばで待っていたトマスは、荷を足元に置いていた。
毛布に雨除けの布、食料。前回より荷は大きいが、必要な物が外から取り出せるよう、きちんとまとめられている。
「鍋は俺が持ってきました」
「こっちも入ってる」
「二つ使います?」
「洗い物が増えるな」
エドガーは自分の小鍋を取り出し、袋の中を詰め直した。予備の食料は残すが、鍋は一つで足りる。使わない方は門の近くの馴染みの店に預けた。
伐採場の親方も、ほどなくやって来た。
今日は作業場まで案内し、置いてきた帳面を持って街へ戻るという。
「向こうの小屋は使える。水場も近い。薪も残してある」
「助かる」
「泊まるなら、戸を閉めてくれ。食い物の匂いにつられて、夜に小動物が入る」
親方は腰の鍵束を鳴らし、歩き出した。
*
搬出路の途中には、まだ新しい車輪の跡が残っていた。
御者を救助した場所を通ると、荷馬車は道へ戻されていた。積み荷の一部も運び出され、残った材は端へ寄せて覆いがかけられている。
小屋の前に人影はなかった。
「ここだったのか」
親方が足を止めた。
「ああ。御者はあの小屋にいた」
「古い道具小屋だ。屋根を直すか壊すか、話だけはしてたんだがな」
親方はしばらく小屋を見上げてから、歩き出した。
エドガーたちも続く。
前回引き返した場所を過ぎると、道は緩やかに上り始めた。
両側の木には、枝を払った跡がある。切り株の周りに下草が伸び、その先にはまだ手を入れていない森が続いていた。
親方は時折立ち止まり、脇へ伸びる道を指した。
「こっちは去年使ってた道だ。沢の方へ行くなら、分かれず真っすぐでいい」
「帰りに間違えそうですね」
トマスが振り返って道の形を確かめる。
エドガーも同じように、帰る向きから周囲を見た。行きに見えていた目印が、帰りには木の陰へ隠れることがある。
親方はその様子を見て、先を急がず待っていた。
*
作業場には、丸太が何列も積まれていた。
鋸を挽くための台も、人が集まって食事をする長い卓もある。ただ、働く者の姿はなかった。
親方が小屋の鍵を開ける。
中には寝台が並び、壁際に鍋と薪が積まれていた。御者が逃げ込んだ小屋より、ずっと手入れが行き届いている。
「使ってくれ。火の始末だけ頼む」
「分かった」
親方は棚から帳面を取り出し、窓や裏口をひと通り見て回った。
「荒らされちゃいないな」
「ここで魔物を見たのは、どの辺だ?」
「向こうの丸太の先だ。俺じゃなく、朝の支度をしてた奴が見た。騒いだら逃げたそうだが、それで仕事を続ける気にはなれんかった」
エドガーは示された方を見た。
木々の間から出てきたなら、働いている者にはすぐ近くまで分からない。
「休みにして正解だ」
「そうだといいがな。仕事を止めてても、食う分は要る」
親方は帳面を袋へ入れた。
エドガーにも、それは分かる。
だからといって、確かめる前に大丈夫だとは言えなかった。
「見たことは、全部持ち帰る」
「ああ。頼む」
親方は水場まで案内した後、街へ戻っていった。
*
昼食を済ませ、荷の一部を小屋へ置いた。
身軽にはするが、水と食料、雨除けは持つ。小屋へ戻れなくなった時に困る物まで置いていくつもりはなかった。
「沢まで見て、戻りましょう」
「ああ。先へ進むかは、明日決める」
エドガーは弩を手に取り、トマスと森へ入った。
道はすぐに細くなった。親方の教えた目印を確かめながら進む。
爪痕のある木は、沢へ着く前に見つかった。
樹皮が縦に裂け、白い木肌が露出している。地面に立ったまま見上げると、その傷はエドガーの背丈を大きく越えていた。
トマスが口を閉じたまま、木の周りを回る。
エドガーは根元を見た。
剝がれた樹皮の間に、灰褐色の欠片が落ちていた。ギルドで見た物より小さいが、表面の凹凸も断面もよく似ている。
布を出して拾い、包んだ。
「新しいですね」
トマスが木の傷を見ながら言った。
「ああ。何日も前ってわけじゃなさそうだ」
傷の新しさだけで、近くにいるとは限らない。
それでも、二人の会話は自然と小さくなった。
*
沢のそばは足場が悪かった。
水際へ無理に下りず、岸の上から泥の残る場所を探す。
トマスが先に足跡を見つけた。
大きな窪みが、岸から斜面へ続いている。形の残った一つには、指と爪の跡があった。
エドガーは膝をつき、近くの枝を横へ置いて大きさを確かめた。
普通の熊のものとしては、大きすぎる。
荷馬車を襲った灰猪の足跡とも、まるで違った。
トマスが周囲を見張る間に、エドガーは位置と形を手帳へ書き留めた。上手い絵ではないが、幅と向きが分かれば役に立つ。
「沢を渡ってますね」
「ああ」
対岸には草の倒れた筋がある。
エドガーはその先を見た。
追えば、もっと新しい跡が見つかるかもしれない。今日のうちに姿まで確かめられる可能性もある。
だが、沢を渡った先の地形は聞いていなかった。
「今日はここまでだ」
「戻りましょう」
トマスはすぐに応じた。
渡る場所を探すこともなく、二人は来た道へ向き直った。
*
小屋へ戻ると、まだ明るかった。
水を汲み、火を起こす余裕もある。エドガーが拾った欠片を卓へ並べている間に、トマスは鍋の支度を始めた。
「干し肉は、少なめでいいですか」
「ああ。前に入れすぎて塩辛かった」
「御者と食べた時です?」
「水を使い切るわけにもいかなくてな。パンばかり増えた」
「今夜は水がありますよ」
トマスは笑い、刻んだ根菜を鍋へ入れた。
エドガーはその横で地図を広げた。
爪痕の位置と、足跡が沢を渡った場所。作業場との距離。帰りにかかった時間。
覚えているうちに書き込んでいく。
トマスも鍋を見ながら時折覗き込み、曲がり角を一つ付け足した。
一人なら、食事の支度が終わるまで後回しにしていた。
「明日は、向こう岸ですか」
「高い方から見られる場所を探そう。沢沿いをそのまま追うのは避けたい」
「戻り道が限られますしね」
エドガーは頷いた。
相手の姿を確かめ、帰る。
今はそれだけでいい。
*
夜は交代で見張ることにした。
トマスが先に休み、途中でエドガーと替わる。
鍋を片づけ終えると、トマスは毛布を広げた。
「時間になったら起こしてください。遠慮しないで」
「するか」
「この前は、結局ずっと起きてたでしょう」
「あれは怪我人と二人だったんだ」
「今日は違いますから」
トマスはそれだけ言って、寝台へ横になった。
エドガーは椅子を入口のそばへ寄せた。
外では、昼間と違う虫の声がしている。小屋の周りには物音もなく、火の明かりだけが窓に映っていた。
昨日まで一人で見張っていた夜と、森の暗さは変わらない。
それでも今夜は、途中で眠れる。
エドガーは膝に置いた弩を持ち直し、卓の地図へ目をやった。
明日、岩鎧熊を見つけたとしても、ここで引き受けたのは調査だけだ。
隣の寝台から、寝返りを打つ音がした。
エドガーは地図を畳み、道具袋へ収めた。




