森の奥から
街へ戻る頃には、荷馬車の揺れで腰が痛くなっていた。
途中で何度か眠ったはずだが、車輪が石を踏むたびに目が覚めた。眠気は残り、身体だけが固くなっている。
それでも、門をくぐると少し気が緩んだ。
荷馬車は、そのまま診療所へ向かった。御者の足はまだ腫れており、店の者だけでどうにかできる状態ではない。
出迎えた職員に事情を伝え、担架を下ろすのを手伝う。
「世話になったな」
運ばれる前に、御者が言った。
「足を治してくれ。今度は乗せてもらう」
「ああ。寝心地のいい荷台を用意しとく」
エドガーは笑って手を上げた。
御者が建物の中へ入るのを見届け、背負い袋を肩へ掛け直す。
まずは報告だ。
詳しい話は後でもいいが、人が見つかったことと、現場に誰が残っているかは伝えておかなければならなかった。
*
ギルドの窓口で、マルクはエドガーの顔を見るなり椅子を指した。
「座れ」
「そんな顔してるか」
「いつもより愛想がない」
「普段はあるみたいな言い方だな」
「そう言ってるんだ」
エドガーは腰を下ろした。
御者を診療所へ届けたこと。トマスたちが死骸の処分と、荷の回収準備で残っていること。戻る道では新たな魔物を見なかったこと。
必要なところから順に話す。
マルクは昨夜の報告と照らし合わせながら、紙へ書き足した。
「灰猪は一頭か」
「倒したのはな。ガレスが見た二頭と同じかは分からん」
「他の痕跡は?」
「搬出路を横切ってた。何が通ったかまでは読めなかったが、新しかった。トマスも見てる」
マルクの筆が止まった。
「向こうの作業場からも人が来た。二日前から、森の様子がおかしいらしい」
「伐り出してる連中か」
「ああ。搬出を止めて、まとまって下りてきたそうだ。荷馬車の事故は別の道を通ってて知らなかった」
エドガーは椅子の背から身体を起こした。
木材が届かないのは、あの一台が動けなくなったせいだけではなかった。
「何を見た?」
「詳しく聞くのはこれからだ。お前も休んでからでいい」
マルクが紙を揃える。
「今は搬出路へ入る依頼を止めてる。戻ってない連中がほかにいないかも、店に確認させてるところだ」
「分かった」
「明日の朝、来られるか」
「ああ」
立ち上がると、膝が少し重かった。
マルクはそれを見ても何も言わず、次の書類を手元へ引き寄せた。
*
宿へ戻る途中、エドガーは自分の家に寄った。
窓から木を削る音が聞こえる。
中では、ブルーノが新しい窓枠を合わせていた。顔を上げると、道具を置かずに尋ねた。
「御者は?」
「生きてた。足をやってるが、診療所へ届けた」
「そうか」
ブルーノは短く頷き、枠の端を指で確かめた。
「材はまだ森だ。回収に人手が要る」
「そりゃそうだろうな。こっちには、荷車が道から落ちたとだけ聞こえてきた」
「横倒しになる手前で止まってたよ。だが、しばらく搬出は止まるかもしれん」
詳しい事情を話すと、ブルーノは台所の方を見た。
「分かった。ある物で進める。床が張れるようになったら呼ぶから、それまで宿で寝とけ」
「今日、寝台を入れられないかと思ったんだが」
「運ぶのは誰だ?」
「……今日はやめておく」
「そうしろ」
エドガーは台所を覗いた。
床はまだ途中だったが、傾いていた作業台には新しい脚が付いていた。前より少し高い。
手を置いてみると、具合がよかった。
「ちょうどいいな」
「お前の腰に合わせたんだ。そうでなきゃ困る」
ブルーノは再び窓枠に向き直った。
エドガーも長居せず、宿へ戻った。
顔と手を洗い、服を着替える。短いと思っていた寝台に横になると、足を伸ばす前に眠ってしまった。
*
翌朝、ギルドの奥の卓には、すでにトマスが来ていた。
「おはようございます。眠れました?」
「起きたら夜だった。飯を食って、また寝た」
「よかった。昨日は返事が半分くらいでしたから」
「残りは今日返す」
トマスが笑った。
彼らも昨日のうちに戻れたという。灰猪の処分は済ませたが、材木は現場へ残した。荷馬車は、荷を下ろしてから改めて引き上げることになったらしい。
「馬も見つかってましたよ。街道沿いの農家で保護されてたそうです」
「それは御者が喜ぶな」
「店の人が知らせに行きました」
エドガーは頷き、卓に置かれた地図へ目を落とした。
普段使う街道と、森へ伸びる搬出路。その奥に、作業場の位置が書き込まれていた。
ほどなくマルクが、日焼けした男を連れてきた。
「伐採場で人をまとめてる親方だ。昨日、話した件で来てもらった」
男はエドガーたちへ会釈した。
「御者が助かったそうだな。ありがとうよ。あいつには何度も運んでもらってる」
「こっちも、話を聞かせてほしい」
マルクが椅子を勧める。
親方は座ると、地図の奥を指した。
「最初はここだ。いつもの伐り場より、沢を一つ越えたところなんだが……」
仕事へ出た者が、樹皮を剝がされた木を見つけたという。
熊が爪を立てた跡に似ていた。ただ、その位置が高かった。
「俺も見た。人が手を伸ばしても届かんところまで裂けてた」
「一本だけか?」
「いや。近くに何本かあった。根元に、石みたいな欠片も落ちてた」
親方は懐から布包みを出した。
卓へ置かれたのは、掌に収まるほどの灰褐色の欠片だった。片面はごつごつしているが、裏側には重なった層が見える。
エドガーは身を寄せた。
「拾ってきたのか」
「ああ。道具の刃でも欠けたのかと思ったが、どうも違う。何か分かるか?」
エドガーはすぐには答えず、記憶の中の形と見比べた。
ギルドへ持ち込まれた素材を見たことがある。あれはもっと大きかったが、割れた断面には覚えがあった。
「岩鎧熊の外皮に似てる」
隣でトマスが顔を上げた。
「この森にですか」
「いたと決まったわけじゃない。だが、爪痕の高さは合う」
マルクが欠片を覗き込む。
「素材の担当にも見せる。ほかには?」
「沢の泥に足跡があった。熊の足に見えたが、俺の知ってるものよりずっとでかい」
親方は両手でおおよその幅を示した。
エドガーは地図へ目を戻した。
その沢から搬出路へ向かって、森が続いている。
道中で見た、踏み倒された羊歯を思い出した。灰猪が街道を横切った場所も、その先にある。
「灰猪が出始めたのは、その後ですか」
トマスが尋ねた。
「そうだ。作業場の近くでも見た。普段なら人の声がするところへは寄らんのに」
「追われて出てきたのかもしれませんね」
エドガーも同じことを考えていた。
ただ、それで全てがつながったと決めるのは早い。奥で何が起きているか、実際に確かめる必要があった。
*
話を聞き終え、マルクは地図に印を付けた。
「まずは調査だな。岩鎧熊なら、討伐の人員も考え直す。確認前に作業を再開させるわけにはいかん」
親方が重く頷いた。
「人を出すなら、伐り場まで案内する。だが、あの沢の先へは入りたくない」
「案内が必要な範囲は、こちらで決めて伝える。無理はさせない」
マルクはそう答えてから、エドガーたちを見た。
「調査を受ける気はあるか。討伐まで引き受けろとは言ってない」
エドガーは地図を引き寄せた。
目的地までの道筋と、戻る場所を確かめる。見つけるべきものは足跡と食い跡、それから外皮の欠片だ。
「条件を聞こう」
隣でトマスも椅子を寄せた。
「俺も空いてます。今度は最初から、泊まる用意をしていきましょう」
エドガーは一度、彼の顔を見た。
断る理由を考えるより先に、昨日の連携が浮かんだ。
「ああ。詳しく決めよう」
トマスが頷き、地図の沢を指した。
エドガーもその指先を追った。
小屋の周りで起きたことは、まだ片づいていない。次は、森の奥を確かめに行く。




