夜を越す
小屋の入口で、火が小さく爆ぜた。
床に溜まっていた枯れ葉を外へ掃き出し、御者のいる場所に板を敷く。それだけでも、土の上に直接座っていた時よりはましになった。
屋根の穴までは塞げなかったが、今夜は雨の気配がない。風の入る隙間には油布を張った。
エドガーは鍋を火から下ろした。
「熱いから、ゆっくりな」
薄く切った干し肉を煮て、硬いパンを浸しただけの食事だった。
御者は受け取った椀を膝の上で支え、しばらく湯気を眺めていた。
「温かい物があるとは思わなかった」
「俺も、ここで晩飯を食うつもりじゃなかった」
エドガーも入口のそばに腰を下ろす。
少し塩辛い。干し肉を入れすぎたらしい。
宿なら水を足すところだが、手元の分は朝まで残しておきたかった。パンをもう一切れちぎって鍋へ落とす。
「こういう仕事は、よくあるのか」
御者が尋ねた。
「捜索か?」
「ああ」
「時々だな。自分で戻ってきて、入れ違いになることもある」
「今回は、手間をかけさせたな」
「見つかったんだからいい」
御者は椀へ目を落とした。
「馬も戻ってればいいんだが」
エドガーは、逃げた馬の姿を見ていない。無事だと言ってやることはできなかった。
「店にも話が行く。誰かが保護してれば、分かるだろう」
「……そうだな」
小屋の外で、枝が擦れた。
御者の手が止まる。
エドガーは椀を置き、戸口から外を見た。火の届く範囲に異変はない。木の上で葉が揺れ、風が通り過ぎていった。
「風だ」
御者は息を吐いて、再び匙を動かした。
*
食事が済むと、御者は横になった。
足の痛みで何度か姿勢を変えていたが、やがて呼吸が深くなる。
エドガーは空いた椀を拭い、荷へ収めた。
灰猪の死骸は、荷馬車の近くに残っている。
暗くなる前に、どこまで処理できるかは見た。だが、薪を十分に集めて焼き切るには時間が足りず、御者を一人にして作業にかかるわけにもいかなかった。
入口から荷馬車の方へ目を配る。
獣が寄れば追い払う。処分は人手が来てからだ。
仕事を残すのは気に入らなかったが、今夜は仕方がない。
弩を膝に置き、壁へ背を預けた。
トマスはもう街道へ出ただろうか。
順調なら、そろそろ街へ着く頃だ。途中の農家で足を止めたとしても、あの男なら事情を説明し、必要な連絡を考える。
ここから心配しても、手伝えることはない。
エドガーは火へ細い薪を足した。
赤い明かりの向こうで、御者が毛布を引き寄せる。その手が落ち着いたのを見て、視線を森へ戻した。
*
長い夜だった。
同じ姿勢でいると腰が痛み、立っていると足が冷えた。時折、小屋の前を数歩歩いて身体をほぐし、また入口へ戻る。
一度、荷馬車の辺りで小さな影が動いた。
灯りを向けると、影は草を揺らして逃げた。何の獣かは分からなかった。近づいて確かめることもせず、しばらくその方向を見張った。
御者は物音で目を覚ました。
「何かいたのか?」
「小さいのがな。もう離れた」
「寝てていいのか」
「ああ。何かあれば起こす」
男は少しためらった後、また目を閉じた。
夜明けが近づく頃には、火を見る目が乾いていた。
エドガーは水を一口飲み、冷えた指を握り直す。
今の宿の寝台は、少し短い。寝返りを打つと軋むし、朝は廊下の足音がよく響く。
それでも、今なら横になってすぐ眠れるだろう。
家に置く寝台は、長めに頼もうと思った。
*
朝になっても、すぐには迎えは来なかった。
街で人と馬車を揃え、明るくなってから出たとして、ここまでには時間がかかる。
エドガーは残りの食料を分け、御者と朝食を取った。
男の足はまだ腫れていた。立って試そうとするので、迎えが来るまで休ませておくよう言った。
「待ってるだけってのも、落ち着かんな」
「俺も得意じゃない」
「そうは見えんぞ」
「昨日から、何度も道を見てるだろ」
御者が入口へ顔を向け、それから小さく笑った。
日が高くなるにつれ、小屋の中へ明るさが戻ってきた。
夜にはただの暗がりだった場所に、古い木棚が見える。壁には折れた釘が残り、隅には柄のない箒が転がっていた。
エドガーがその箒を脇へ寄せていると、外から声がした。
「エドさん!」
手を止める。
弩を持って入口へ出ると、道の向こうからトマスが歩いてきた。
その後ろに、小型の荷馬車が見えた。
*
「遅くなりました」
「十分早い。道は?」
「何も出ませんでした。昨日も街まで戻れましたよ」
トマスはエドガーの顔を見た。
「寝てませんね」
「これから寝る」
荷馬車には店の者が二人乗っていた。御者台の男は手綱を引き、もう一人は小屋を見上げるなり、捜していた御者の名を呼んだ。
中から返事があると、すぐに駆け上がってくる。
車の後ろには、剣を帯びた冒険者が二人続いていた。ギルドで何度か顔を見たことがある。トマスが護衛として頼んだのだろう。
水や替えの毛布のほか、作業道具も積まれていた。
「マルクさんには全部伝えてあります。搬出路の異変も、灰猪のことも」
トマスが説明した。
「怪我人を先に帰して、荷は現場を見て判断することになりました」
「ああ。それでいい」
エドガーは荷馬車の状態と、灰猪の死骸がある場所を伝えた。護衛の一人が見張りを引き受け、もう一人が店の者と車輪を見に行く。
誰かが周りを見てくれる。
それだけで、肩に入っていた力が少し抜けた。
*
御者を小屋から下ろすために、持参した担架を使った。
昨夜歩いて帰ることを考えた道も、荷馬車までは僅かな距離だ。四人で支え、傾けないようゆっくり運ぶ。
荷台には厚く敷物が重ねられていた。
「足、こっちでいいか」
「ああ。それなら楽だ」
御者が落ち着いた姿勢になるまで、店の者が何度も毛布の位置を直した。
それを見届け、エドガーは小屋へ荷物を取りに戻った。
戸板を元の場所へ寄せ、借りた油布を畳む。火の始末を確かめる頃には、眠気が急に重くなっていた。
「エドさんも、あっちに乗ってください」
戻ってきたトマスが言った。
「まだ死骸が残ってる」
「俺たちでやります。荷車も、人手を揃えてから触りますから」
「そっちは頼むが、見張りは――」
「交代で立てます」
トマスは言い終えて、エドガーの荷へ手を伸ばした。
「一晩見張った後でしょう。帰りくらい任せてください」
エドガーは袋を持ち上げかけ、手を止めた。
あれもこれもと念を押すまでもない。昨日、一緒に動いて確かめたばかりだった。
「……じゃあ、頼む」
「はい」
トマスが荷を肩へ掛ける。
エドガーはその後を、手ぶらで歩いた。
*
元の荷馬車と材木は、今日は回収しきれそうになかった。
現場を見た店の者も、まず積み荷を下ろして車体を安定させる必要があると判断した。残る者たちが処分と回収の段取りを進め、エドガーは御者に付き添って先に帰ることになった。
護衛の一人が、帰りの荷馬車に同行する。
腰を下ろすと、脚の疲れがようやく分かった。
御者が隣から顔を向けた。
「あんたも乗るのか」
「追い出された」
「そりゃよかった。昨日、寝てなかっただろう」
出発の声がかかる。
車輪がゆっくり回り始めた。
道端のトマスが手を上げる。エドガーも応じ、遠ざかっていく小屋を見た。
崩れた屋根。傾いた荷馬車。踏み荒らされた茂み。
御者を見つけたからといって、森の様子まで元に戻ったわけではない。
帰ったら、見たものを整理して報告する必要がある。
だが、それは少し眠ってからだ。
エドガーは弩を傍らへ置き、荷台の縁に背を預けた。




