報告に残るもの
ギルドの窓口には、まだ何人か並んでいた。
エドガーが最後尾へ向かおうとすると、帳面を閉じかけていたマークが顔を上げた。その視線が、隣に立つサラの汚れた装備へ移る。
「街道から戻られたところですか」
「ああ。門の方から話は来てるか」
「荷馬車が襲われて、怪我人が出たと。魔物は倒されたそうですが」
「その件だ。こっちは現場にいた護衛で、サラという」
紹介すると、サラが軽く頭を下げた。
「襲われた時からの話ができます」
「分かりました。こちらへどうぞ」
マークは別の職員に窓口を任せ、二人を奥の机へ案内した。
エドガーは背負い袋を足元へ置いた。椅子に腰を下ろすと、歩いている間は気にならなかった脚の重さが、ようやく分かった。
運ばれてきた水を一口飲む。
マークは紙とペンを用意し、サラへ向き直った。
「まず、魔物が現れた時のことからお願いします」
*
休憩場所には、別々に移動していた荷馬車が集まっていた。
水を汲む者もいれば、馬の具合を見ている者もいた。魔物が出てきたのは、その最中だったという。
「最初は熊だと思いました」
サラは机の上へ両手を置いていた。右の指の付け根に、皮が剥けた跡がある。
「ただ、大きすぎて。馬を落ち着かせようとしているうちに、一台にぶつかられました。あとは、人を荷車の陰へ下げるので精いっぱいでした」
「森から出てきたのは、一頭だけですか」
「私が見たのは一頭です。他にもいたかどうかまでは……」
「見えた範囲で結構です」
マークが書き留める。
逃げた馬のこと。倒れた護衛のこと。動ける者を先に逃がそうにも、道へ出るには魔物の近くを通らなければならなかったこと。
サラの話に、エドガーは口を挟まなかった。
自分が着いた時には、既に荷馬車が壊れていた。そこへ至るまでの事情は、彼女たちにしか分からない。
「盾を持っていたオルフが、腕をやられました。それでも前に残ってくれていたので、私が横から――」
そこで言葉が止まった。
サラは手元を見てから、息を吐いた。
「すみません。順番が少し」
「急がなくていい」
エドガーが言った。
「俺が着いた時には、あいつが荷車の前にいた。あんたはその脇だ」
「……はい。そうです。オルフが下がれなくなって、それで私が注意を引こうとしていました」
マークは紙の端に短く書き足した。
責めるような問い方をしないのは、こういう報告に慣れているからだろう。曖昧なところは曖昧なまま残し、分かるところから順に確かめていく。
エドガーの番になってからも、それは変わらなかった。
逃げてきた荷馬車に会った場所。救援を頼んだ相手。現場へ着いてから見た魔物の姿。
「熊に似ていたが、前脚が妙に長かった。左右で太さも違う。首と肩に、硬そうなものが出ていた」
「骨のようなものですか」
「見た目はな。触っては確かめてない」
マークは頷いた。
「討伐は、エドガーさんが?」
「ああ。三度撃った。最初に片方の前脚が使えなくなったが、残った脚で身体を引っ張ってきた。脚を潰しても近づける相手だ」
「弩で、ですか」
「いや。別の武器を使った」
ペン先が一度止まった。
「普段、持ち歩かれているものとは違う?」
「ああ」
マークは少し考えてから、質問を変えた。
「周囲に、まだ危険が残るようなものではありませんか。毒や、触れると傷を負うものなどは」
「使ってない。ただ、死骸そのものについては分からん。見覚えのない魔物だ。調べるなら、それなりの者を頼みたい」
「承知しました。兵の方にも確認します」
何をどう作ったのかまでは、聞かれなかった。
エドガーは水の入った杯を持ち直した。
見られたものを、なかったことにはできない。それでも、説明する必要のないことまで、自分から並べるつもりはなかった。
*
報告が、荷車の下に挟まれた男の救出へ移った。
荷を下ろした順番と、車輪を止めたことを話すと、サラが顔を上げた。
「私は、すぐに引っ張り出そうとしていました」
「荷台が動きそうだったから止めただけだ」
「でも、あの時はそれに気づいていませんでした」
サラはマークへ向き直った。
「魔物が倒れて、早く離れないと、ということばかり考えていました。怪我人を集めるのも、人数を確かめるのも、エドガーさんが声をかけてくれたので」
「運んだのは、あんたたちだろう」
「それも書いてもらいます。ですから、そちらもです」
エドガーは口を閉じた。
言い方は静かだったが、引っ込める気はないらしい。
マークのペンが紙の上を進んだ。
自分としては、できる者に頼んだだけだった。怪我人を一人で運べるわけではない。周りを見る者も、馬を扱う者も必要だった。
だから、手の空いている者に声をかけた。
それまで功績のように書かれると、少し落ち着かない。
「救援との合流後は、皆さん一緒に街まで?」
「ああ。途中で倒れたり、はぐれたりした者はいない。怪我の具合は治療した者に聞いてくれ」
「はい。そちらの記録とも照らし合わせます」
マークが紙を揃えた。
「ひとまず、現場の確認に必要なことは伺えました。後日、もう少しお聞きするかもしれません」
「分かった」
エドガーは足元の袋を引き寄せた。
「それと、元の依頼が残ってる。牙犬は三頭いた」
包みを出すと、マークが少しだけ目を丸くした。
「ああ……そちらの帰りだったんですね」
「そうだ。木こりたちには伝えてきた。今朝、周りも見たが、他には見つからなかった」
討伐部位を確かめてもらい、依頼の報告を済ませる。
こちらはいつもどおりだった。
記録を照合し、報酬を受け取り、必要なところへ名前を書く。その手順を終えたところで、ようやく仕事から戻ってきた気がした。
*
ギルドの外へ出ると、通りには夕餉の買い物をする人が増えていた。
サラは治療所の方へ顔を向けた。
「オルフたちの様子を見てきます」
「ああ。あんたの手も診てもらえ」
「これですか」
サラが右手を開く。
「槍を握って擦れただけです」
「明日、握れなくなったら困るだろう」
「……そうですね。ついでに診てもらいます」
彼女は手を下ろし、エドガーを見た。
「今日は、ありがとうございました」
「さっき聞いた」
「私からは、まだです」
そう言われれば、そうだったかもしれない。
エドガーが返事を探している間に、サラは頭を下げた。
「また、ギルドで」
「ああ」
見送ってから、家へ向かった。
途中で、焼いた肉の匂いがした。店先では串を持った子供が、熱そうに口を開けている。
そういえば、昼はろくに食べていなかった。
立ち止まりかけたが、そのまま歩いた。家に戻れば、何かあるだろう。
それでも足りなければ、後で買いに出ればいい。
*
玄関の扉を開けると、台所からレオンが顔を出した。
「お帰りなさい」
「ああ。ただいま」
返事をして、背負い袋を下ろす。
レオンは一度こちらの顔を見て、それからコートへ視線を落とした。
「街道で、大きな魔物が出たと聞きました。怪我人を乗せた荷馬車が、門から入ってきたって」
「その場に居合わせた。少し帰りが遅くなったな」
「怪我は?」
「してない」
レオンの肩から力が抜けた。
「よかったです。昼を過ぎても戻られなかったので、泊まりが延びたのかと思っていました」
帰るのは今日だと伝えてあった。
何時になるとは約束していない。それでも、待つ側には気になるものなのだろう。
「牙犬の方は、今朝で片づいたんだがな」
「その帰りですか」
「ああ」
エドガーはコートを脱いだ。
裾に乾いた泥がついている。外で落としてからにすればよかったと思ったが、レオンは何も言わず、水差しを持ってきた。
「先に洗ってください。食事は、もう少しでできます」
台所から、炒めた肉と葱の匂いがした。
鍋の中には刻んだ蕪も入っている。干し肉ではなく、店で買ってきたばかりの豚肉らしかった。
「俺の分もあるのか」
「今日帰る予定でしたから。戻らなければ、俺が明日も食べるつもりでした」
そのくらいでいい。
待っているからといって、鍋を冷ましたままにされても困る。
エドガーは頷き、裏手で手と顔を洗った。
水を替えると、桶の底に細かな砂が残った。
*
食卓につく頃には、腹がはっきりと空いていた。
肉と蕪を煮たものをパンと一緒に口へ運び、ようやく息をつく。
レオンは、エドガーが少し食べてから尋ねた。
「どんな魔物だったんですか」
大きさと、長い前脚のことを話した。
レオンは途中で口を挟まず、荷車の下の男を助けたところまで聞いていた。
「銃を使ったんですね」
レオンは食べる手を止め、エドガーを見ていた。その真剣な表情が、ふと和らぐ。
「ああ」
「俺の時も、そうでしたね」
言われて、飛びかかる獣の姿が頭をよぎった。
その先にレオンがいた。銃を作ったのは、考えるより先だった。
「……あの時は、お前の頑丈さも忘れてたな」
「覚えてます。怪我がないか、すぐに聞かれましたから」
レオンは小さく笑い、匙を皿へ置いた。
「怪我をした人たちは、街まで戻れたんですか」
「ああ。全員、運べた。怪我のひどいのもいたから、その先はまだ分からん」
「助かるといいですね」
「ああ」
しばらく、食器の触れる音だけが続いた。
エドガーは空になった皿へ目を落とした。思っていたより早く食べてしまった。
「まだありますよ」
「もらう」
レオンが鍋を寄せる。
二杯目をよそいながら、エドガーは尋ねた。
「そっちは、鍛冶屋へ行けたのか」
「はい。昨日、見せてもらいました」
「どうだった」
「思っていた以上に、何をやっているのか分かりませんでした」
エドガーが顔を上げると、レオンは少し笑った。
「見れば、もう少し分かると思っていたんです。同じように叩いているのに、ちゃんと形が変わっていくので」
「最初から分かるなら、教わる必要もないだろう」
「そうなんですけど。聞きたいことが多すぎて、途中から何を聞けばいいのか分からなくなりました」
そこでようやく、エドガーも笑った。
レオンの話を聞きながら、温かい蕪を噛む。
昨夜は一人で、森の物音を聞いていた。今は向かいに座った男が、鉄を挟む道具の使い方について、身振りを交えて話している。
食事が済んだら、道具の手入れをしなければならない。
コートの泥も落としたい。
だが、もう少し座っていてもよさそうだった。
「それで、次も行くのか」
「仕事の邪魔にならない時なら、来てもいいそうです」
レオンは嬉しそうに答えた。
エドガーは頷き、残ったパンへ手を伸ばした。




