帰すための仕事
袋の中身は穀物だった。
一つ下ろすたびに、粉と土が舞う。
エドガーは荷台へ身を乗り出さず、縁から届く物を順に受け取った。向こう側では、商人ともう一人の男が荷を渡している。
足を挟まれた男は、目を閉じていた。
「聞こえるか」
声をかけると、男が瞼を上げた。
「……ああ」
「もう少しだ。荷を減らしてる」
男は頷き、地面へ置いた指を握った。
エドガーは最後の袋を下ろし、荷車の周りを見た。
折れた車輪の反対側には、まだ車輪がついている。車体を上げれば、そちらが転がるかもしれなかった。
「そっちの車輪を止めてくれ。前にも後ろにも、木を噛ませる」
「これでいいか」
「ああ。浮かせた時にずれないようにな」
男たちが動く。
エドガーは、持ってきてもらった太い角材を確かめた。荷を固定するために使っていた物らしく、目立つ割れはない。
その端を荷台の下へ差し入れ、支点にする木を置いた。
槍の女が、挟まれた男のそばへ膝をつく。
「私が引き出します」
「脚が抜けるだけ上げる。止めたら、先に支えを入れてくれ」
商人へ目を向けると、短い木を持った手に力が入った。
エドガーは角材を握った。
「合わせて押すぞ」
隣の男が頷く。
息を合わせ、体重をかけた。
荷車が軋んだ。
地面についていた荷台の角が、わずかに持ち上がる。
「そこで止めてくれ!」
商人が木を差し入れた。
エドガーは角材を押さえたまま、女を見る。
「どうだ」
「まだ少し。靴が引っかかっています」
一度に大きく上げる必要はない。
支えを確かめ、角材を掛け直す。
もう一度押すと、女が男の身体を手前へずらした。
男が歯を食いしばり、短く声を漏らす。
「抜けました」
女が言った。
エドガーはすぐには手を離さなかった。
男の身体が荷台から離れたのを見て、少しずつ力を緩める。
車体が支えの木へ載った。
誰も、その下にはいない。
そこでようやく、角材から手を離した。
*
助け出した男を、広げた毛布へ移した。
靴の上からでも、足首の腫れが分かる。立とうとしたので、槍の女が肩を押さえた。
「今は動かさないで。車で運びます」
男は荒い息を吐き、横になった。
エドガーは立ち上がり、水場の奥へ目を向けた。
盾を外した護衛が、倒れた馬のそばから戻ってくる。もう一人の男と、毛布の両端を持っていた。
その上に、人が横たわっている。
「息はある」
護衛が言った。
「呼びかけには返事をした。ただ、身体を起こせない」
エドガーは場所を空けた。
二人が毛布を下ろす。
横たわっていたのは、革鎧を着た若い男だった。顔色が悪く、胸の前で手を固く握っている。
先ほどまで、この男も前に立っていたのだろう。
エドガーはその顔を見てから、護衛へ尋ねた。
「連れの数は確かめられたか」
「今、荷主ごとに呼び合ってる。旅人もいたから、少しかかる」
護衛は汗を拭った。
「俺はオルフだ。あっちの槍がサラ」
「エドガーだ」
「エドガー……」
オルフが名を繰り返した。
何か思い当たった様子だったが、すぐに負傷者へ目を戻した。
「動ける車は二台ある。馬も、二頭は御者が押さえてる」
「乗せられるよう、荷を減らせるか」
「聞いてくる」
オルフが歩き出す。
エドガーも道端へ戻り、自分の背負い袋を拾った。
牙犬の討伐部位が、袋の底で重かった。
その上から布の包みを出し、負傷者のそばへ運んだ。
*
荷車を空ける間に、人々の所在が分かってきた。
水場で休んでいたのは、商人と御者、護衛、それに同行していた旅人を合わせて三十人ほど。
先に逃れた車へ乗った者もいる。
林へ走った二人は、サラの呼び声を聞いて戻ってきた。枝で顔を切っていたが、自分の足で歩けている。
最後に名前を呼ばれた子供は、母親の背に隠れていた。
母親が返事をすると、サラは手に持った紙へ印をつけた。
「先に出た車にいる人を除けば、全員います」
その言葉で、周囲の何人かが息を吐いた。
エドガーも一度、肩を下ろした。
次は運ぶことだ。
空けた荷台へ毛布や敷物を重ね、歩けない者から乗せていく。荷を下ろした商人が、自分の外套を畳んで差し出した。
「頭の下に使ってくれ」
「ああ」
穀物の袋を取りに戻ろうとした男がいた。
オルフが声をかける。
「残した荷は、後でまとめて取りに来よう。今は車を空けておいてくれ」
男は袋を見たまま止まった。
それから戻り、荷台の負傷者を支える側へ回った。
エドガーは車輪と車軸を確かめた。
見える範囲に大きな破損はない。
御者が馬具を直し、手綱を引く。馬はまだ落ち着かず、何度も鼻を鳴らしていた。
倒れた魔物が、視界に入っている。
「先に道へ向けてくれ。ここから離れるだけでもいい」
「分かった」
車がゆっくり動き出した。
その後ろへ、人々がついていく。
*
街からの救援と会ったのは、水場を離れてしばらくしてからだった。
荷車をゆっくり進めていたため、まだ大して距離は稼げていない。日陰で負傷者の様子を確かめているところへ、騎馬の兵が二人、姿を現した。
その後ろに、もう一台の荷車が続いていた。
エドガーは手を上げた。
兵の一人が馬を止める。
「水場で襲われた者たちか」
「ああ。魔物は倒した。歩けない怪我人がいる」
兵が荷台へ目を向けた。
後続の荷車が止まると、薬箱を抱えた男が下りてきた。御者へ何か伝え、すぐに負傷者のそばへ向かう。
サラがそれまでの様子を説明し始めた。
エドガーは兵へ、水場に残した物を伝えた。
壊れた荷車。
積み荷。
死んだ馬と、魔物の死骸。
「魔物は、どんな奴だ」
問われ、少し言葉を選んだ。
「熊に似ていた。だが、前脚が長い。肩と首の形もおかしかった。俺は見たことがない」
兵の表情が変わる。
「大きさは」
「四つ脚で立って、人の頭を越える。荷車の横にいれば分かる」
「……分かった」
「死骸には、誰も触らせていない。焼く前に、詳しい者が見た方がいいと思う」
兵が頷いた。
「一人は街へ戻って知らせる。俺は水場を確かめる」
同行してきた者の中から、武装した二人を呼ぶ。
現場を確かめ、往来する者を近づけないために残るという。
エドガーは場所を説明した。銃で仕留めた傷以外にも、護衛がつけた傷があることを付け加える。
「倒した時の話も要るだろう。街へ戻ったらギルドへ寄る」
「名前を聞いていいか」
「エドガー。三級だ」
兵は名を控え、顔を上げた。
「一人で倒したのか」
エドガーは、荷車のそばにいるオルフへ目を向けた。
「あいつらが、人を守って持ちこたえてた。俺は途中からだ」
「分かった。詳しくは、そちらでも聞く」
兵はそれ以上尋ねず、水場へ向かった。
*
負傷者を診ていた男が、荷台から下りた。
「このまま街へ運びます。揺らさないよう、ゆっくり進めてください」
御者が頷く。
歩ける者のうち何人かは、救援の車へ移った。空いた場所で負傷者の身体を楽にし、付き添いも乗せる。
エドガーが背負い袋へ手を伸ばすと、オルフが横へ来た。
「それは車に載せてくれ。あんたまで倒れられたら困る」
「そこまでじゃない」
「なら、俺が楽をしたいからと言っておく」
オルフは傷めた腕を布で吊っていた。
剣も鞘へ戻している。
「もう少し、周りを見ていてもらえるか。今は長く剣を持てそうにない」
エドガーは袋を荷台へ置いた。
「分かった」
「助かる」
二人で、車の脇を歩き出した。
しばらくして、オルフが口を開いた。
「腕が届かないところまで下がったつもりだった」
前を向いたままの声だった。
「一度は避けた。次も同じだと思ったら、身体ごと寄せてきた」
「ああ。脚を潰しても、残った方で前へ出た」
「普通の熊じゃないな」
「俺にも分からん」
エドガーは道脇の林を見た。
葉の間から日が差している。
「分からん奴の話は、詳しく残した方がいい。ほかの誰かが出くわすかもしれない」
「そうする」
オルフが頷いた。
少し前を歩くサラが振り返り、二人の歩調を確かめた。
エドガーは手を上げ、大丈夫だと伝えた。
*
街の門が見えても、列は速くならなかった。
車輪が石へ乗り上げるたび、御者が手綱を引いて速度を落とす。荷台から声がすれば止まり、付き添いが負傷者の姿勢を確かめる。
門の前には、知らせを受けた者たちが待っていた。
荷車はそのまま中へ通された。
人々が、ようやく大きな声で話し始める。
名前を呼ぶ声。
迎えに来た者へ、無事を伝える声。
エドガーは荷台から自分の袋を下ろした。
足を挟まれていた男が、毛布の上からこちらを見ていた。
「ありがとう」
掠れた声だった。
「まだ診てもらえ。立つのは後だ」
「ああ。……ありがとう」
男はもう一度言った。
エドガーは頷いた。
荷車が動き、男の顔が遠ざかる。
その場に残ったエドガーへ、サラが歩いてきた。
「ギルドへ行くんですよね」
「ああ」
「私も行きます。オルフには先に診てもらいますから」
少し離れたところで、オルフが苦い顔をしていた。付き添いの男に促され、負傷者の車を追いかけていく。
サラはそれを見届け、エドガーへ向き直った。
「お名前を、もう一度聞いてもいいですか」
「エドガーだ」
「覚えました」
まっすぐに言われ、返す言葉に少し困った。
エドガーは背負い袋を持ち直した。
「行こう。覚えてるうちに話した方がいい」
サラが隣へ並ぶ。
門の外から、空になった荷車が一台入ってきた。迎えに出た車だった。
エドガーはそれが通るのを待ってから、ギルドへ足を向けた。




