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幕間 手紙に書く暮らし

 元気にしています。


 そこまで書いて、レオンはペンを止めた。


 伝えたいことは幾つもあった。


 宿を出たこと。一緒に仕事をする相手ができたこと。椅子を作り、今もその家で使っていること。


 全部を順番に書けば、紙が足りなくなりそうだった。


 向かいでは、エドガーが弩を手入れしている。木部を拭く手が止まり、こちらへ目が向いた。


「どうした」

「どこから書こうかと。最近のことを全部書くと、長くなりそうで」

「まず元気だと書けばいい」

「それは書きました」


 紙の上には、まだ広く余白が残っている。


 親が知りたいのは、どれだけ大きな魔物を倒したかではないだろう。


 飯を食べているか。怪我をしていないか。金に困っていないか。


 家を出る時に、何度も聞かれたことだった。


 当時は、分かっていると答えるばかりだった。


 今も飯は食べるし、無理な依頼を受けるつもりもない。それでも、先日トマスの家で見た光景を思い出すと、書き出しの一文だけでは少し足りない気がした。


     *


 トマスは、故郷で忙しく働いていた。


 材木の仕事を手伝い、村の者に声をかけられ、畑の見回りにも出る。家へ帰れば母親に鍋を運ぶよう頼まれ、父親からも仕事の話をされていた。


 訪ねる前は、もっと休んでいるものだと思っていた。


 怪我をして、冒険者を辞めて、故郷へ戻った。


 そう聞くと、どうしても傷めた手のことが先に浮かんだ。剣を使っていた人が、それまでの仕事を続けられなくなったのだ。


 けれど、実際に会ったトマスは、何をすればいいか分からずにいる人ではなかった。


 灰猪を荷車へ積む時もそうだった。


 レオンなら、まず自分で持ち上げようとする。身体を強化すれば、できたと思う。


 トマスは板と縄を用意してきた。


 車輪を止めさせ、人の立つ場所を決め、森を見る役も残した。


 次に同じことが起きた時、レオンがいなくても、あの村の者たちはやり方を知っている。


 そのことに気づいたのは、全部終わってからだった。


 夜の見張りも、死骸の処分も、トマスは手順を知っていた。知らない者へ伝え、任せ、危なければ止めていた。


 冒険者として過ごした時間が、そのまま村の仕事に使われていた。


 剣を置いたからといって、何もかも失うわけではない。


 帰郷した昔の仲間たちの顔が浮かんだ。


 パン屋の家へ戻ったヨハン。革細工の仕事を選んだマルタ。


 一緒に街道を歩き、雨の中で火を起こそうと苦労し、少ない報酬を数えて宿を決めた。


 別れる時には、それぞれやりたいことがあるなら仕方がないと納得していた。応援したい気持ちも、嘘ではなかった。


 それでも翌朝、宿の部屋が静かだったことは、まだ覚えている。


 誰かが支度を終えるのを待つ必要もない。行き先を相談する相手もいない。自由になったはずなのに、朝飯を食べる席を選ぶだけで迷った。


 今なら、二人の家へも行ってみたい。


 冒険者だった頃の話をするだけではなく、何を作り、どんな顔で働いているのかを見たかった。


     *


 レオンは自分の手を開いた。


 指は、思ったとおりに動く。


 剣を握れる。木を削れる。今こうして、手紙も書ける。


 トマスが手袋を外し、ゆっくりと指を曲げ伸ばししていた姿が頭に残っていた。


 あの手は、冒険者を辞めたからといって、元に戻ったわけではない。


 荷を持つ時にも、道具を使う時にも、傷めた場所と付き合っていくのだろう。


 レオンは、膝に置いた手を握った。


 この身体は頑丈だ。


 魔力を通せば、さらに強くなる。普通なら動けなくなるような衝撃にも耐えられるし、速く走ることもできる。


 その力に助けられたことは、何度もあった。


 けれど、一緒にいる相手まで頑丈になるわけではない。


 自分なら間に合う距離でも、ほかの誰かは戻れないかもしれない。自分には浅い傷で済む攻撃でも、その人は翌日から働けなくなるかもしれない。


 分かっていたはずのことだった。


 それが今は、傷めた手をかばうトマスや、息子へ朝飯を出していた母親の姿と一緒に浮かぶ。


 怪我をした後にも、暮らしは続く。


 飯を食べるためには金が要るし、家の仕事は待ってくれない。痛む場所があっても、毎日を送らなければならない。


 前の人生では、具合が悪ければ、まず病院へ行くことを考えられた。


 治らない怪我があることも知っていた。それでも、診てもらえる場所までどうやって辿り着くかを、普段から心配する暮らしではなかった。


 こちらでは、村から医者のいる街まで運ぶだけで、一日では済まないことがある。


 魔法があっても、失った手足が戻るわけではない。


 巡療会が来てくれることを、村の者が喜ぶ理由も分かる。


 転生して二十年も暮らしている。


 知らなかったのではない。ただ、自分の力で何とかなると思える場面が、多すぎたのかもしれなかった。


     *


 向かいで、弩を拭く布が折り返された。


 レオンは、その手元へ目を向けた。


 エドガーは、近づかずに済むなら近づかない。


 相手が止まるまで待ち、倒れてもすぐには駆け寄らない。暗い中で運ぶ必要がなければ、朝まで待つ。


 以前なら、その間にもう一つできることがあるのではないかと考えたかもしれない。


 自分なら早く終わらせられる、と。


 だが、早く終えるために一人が怪我をすれば、そこから先はかえって長くなる。


 付き添う人が要る。仕事を代わる人も要る。治ったとして、前と同じように動けるとは限らない。


 あの夜の畑では、誰も怪我をしなかった。


 朝になれば、村の者は自分の仕事へ戻れた。


 あの静かな終わり方にも、価値があった。


 銃の威力にも驚いた。


 長い銃身を説明し、肩に当てる部分を伝えると、少しずつ記憶に近い形が現れた。ゲームや本で見ていた物を、この世界で手に持つ日が来るとは思わなかった。


 もっと眺めたい気持ちは、今もある。


 だが、自分に分かったのは、おおよその形くらいだった。


 森を出た灰猪をいつ撃つか。倒れた後、どれだけ待つか。


 そこでは、エドガーの判断を見ていることしかできなかった。


 レオンはペンを持ち直した。


 自分も、いずれ仲間を集めて旅をしたい。


 知らない街へ行き、大きな仕事を引き受け、自分たちの名前で頼まれるようになりたい。


 その気持ちは変わらない。


 ただ、一番前で敵を倒せれば、それで皆を連れていけるとは思わなくなっていた。


     *


 手紙には、宿を出たことから書くことにした。


 続ける前に、エドガーへ名前を書いてよいか尋ねる。


 許可はすぐに出た。


 ところが、書き始めてしばらくすると、何を書くのかと聞かれた。


 冒険者の先輩で、仕事でも世話になっている。


 そう答えると、それくらいでいいと言う。


 余計なこととは何かと尋ねても、別にないと返された。


 レオンは笑いながら、紙へ向き直った。


 親へ紹介されると思うと、気になるのだろうか。


 少なくとも、書かれて困ることをされてはいない。


 武器のことは書かない。それは、本人と交わした約束だ。


 代わりに、家で飯を作っていることを書いた。


 仕事のない日には、職人に教わって木工もしている。


 自分で作った椅子がある。


 そこまで書くと、故郷の父が、畑の道具も直せるようになったかと聞いてきそうな気がした。


 まだ任せてくれとは言えない。


 でも、見れば分かることは増えた。ブルーノに教わったことも、トマスの父親に見せてもらった直し方もある。


 鍬の柄なら、いつか自分で取り替えられるかもしれない。


 では、刃の方はどうだろう。


 曲がった物を戻すのと、欠けた物を直すのでは、やり方も違うはずだ。剣を買った時には出来上がった物ばかり見ていたが、今は、それを作る手元も見てみたかった。


 鍛冶も、面白そうだ。


 火の前で鉄を打つ姿には、木工とはまた違う憧れがある。自分で作った道具で木を削れたら、きっと楽しい。


 とはいえ、槌を振るう力があればできる仕事ではないのだろう。木を削るだけでも、力任せではうまくいかなかった。


 今度鍛冶屋へ行ったら、仕事を見せてもらえるか聞いてみよう。まずは、忙しくない時に。


 前世なら、興味を持ったところで動画を探していただろう。


 今は、職人の手元を見ながら、ここが分からないと聞ける。それがどれほどありがたいかは、ブルーノに教わって分かった。


 ただ、見せてもらっただけでは、自分でもできるようになった気がすることがある。実際に手を動かすと、すぐに行き詰まるのだ。


 まずは、持ち帰った木を使ってみたい。


 道具を置くための小さな台なら、あの端材で作れそうだった。形を考えて、次にブルーノの所へ持っていこう。


 削り方を考え始めて、レオンはペンを止めた。


 まず手紙だ。


 作りたい物は、逃げない。


     *


 湯気の立つ茶が、卓へ置かれた。


「ありがとうございます」


 エドガーは頷き、自分の椀を持って向かいへ戻った。


 レオンは一口飲んでから、最後の数行を考えた。


 心配しないでほしい。


 そう書けば、心配しなくなるだろうか。


 多分、ならない。


 故郷の母は、無事な顔を見ても、痩せたのではないかと聞いてくる人だった。父も出発する時には平気な顔をしていたくせに、戸口までついてきて荷物の紐を確かめた。


 それなら、心配するなと頼むより、分かることを書こうと思った。


 今は怪我をしていない。


 食事も取っているし、暮らすための金も足りている。


 冒険者の仕事は、まだ続けたい。


 いつ帰れるかは決めていないけれど、帰る時には前もって便りを出す。


 その下へ、少し迷ってから書き足した。


 畑の様子も教えてほしい。


 故郷を出た頃は、外で見たことを話したくて仕方がなかった。


 今は、あちらの話も聞きたかった。


 書き終えた紙を置き、インクが乾くのを待つ。


 台所では、エドガーが夕飯の支度を始めていた。


「皿、出します」

「ああ。二枚な」


 レオンは立ち上がった。


 棚から皿を取り出すと、その奥に、新しい塩の壺が見えた。布を干した窓の外は、まだ明るい。


 明日は手紙を預けて、ギルドへ行く。


 仕事を選ぶ時には、行き先と報酬だけでなく、帰るまでに何が要るかも、自分で考えてみよう。


 その前に、今日は温かい飯を食べたい。


 レオンは皿を二枚、卓へ並べた。

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