戻った家で
フェルデンの門をくぐったのは、昼を少し過ぎた頃だった。
街道では気にならなかった荷物の重さが、見慣れた通りへ入った途端、肩にかかってくる。
エドガーは背負い袋を持ち直した。
「先にギルドへ寄るぞ」
「灰猪の報告ですね」
「ああ。明日に回すと、また出かけることになる」
レオンが頷き、隣を歩いた。
荷車の脇をすり抜け、店先に張り出した籠を避ける。通りには焼きたてのパンの匂いが漂っていた。
馴染みの店の前を通ると、店主がこちらに気づいた。
「戻ったのか」
「今な。後で寄る」
「卵があるぞ」
エドガーが頷くと、レオンが小さく笑った。
「買う物、一つ決まりましたね」
「昨日から決まってたろう」
*
ギルドの窓口には、二人ほど並んでいた。
その後ろで待っていると、受付のマークが顔を上げる。先の用件を済ませてから、こちらへ手を向けた。
「お帰りなさい。トマスさんはお元気でしたか」
「ああ。家でも村でも働かされてた」
「それなら何よりです」
エドガーは荷物から包みを出した。
「向こうで灰猪を一頭倒した。村から金は受け取ってる。討伐の記録と、周辺への知らせを頼む」
マークは包みの中を確認し、記録用の紙を引き寄せた。
村の場所、現れた時刻、畑の被害。
尋ねられた順に答えていく。死骸の処分を済ませたこと、村では引き続き見張りを立てることも伝えた。
「ほかの個体は?」
「姿は見ていない。足跡はあったが、普通の猪かもしれん」
「分かりました。確かめられた範囲で記しておきます」
ペン先が紙の上を走る。
レオンは隣で待ちながら、掲示板へ目を向けていた。
マークが記入を終えると、エドガーもそちらを見る。
「仕事を見るか」
「少しだけ」
窓口を離れ、掲示板の前へ移った。
留守の間に、何枚か入れ替わっている。
荷運びの護衛、畑を荒らす小型の魔物、薬草採りの付き添い。急ぎと書かれた札の下では、二人の冒険者が報酬を確かめていた。
レオンが一枚を読み終え、エドガーを見る。
「今日は、帰りましょうか」
「ああ。受けるのは明日以降だ」
そう答えると、レオンは素直に掲示板から離れた。
背負い袋の口から、布に包んだ木の端が覗いていた。
*
買い物を済ませて家へ着くと、エドガーはまず扉の前で荷物を下ろした。
鍵を差し、回す。
扉を開けると、閉め切っていた部屋の空気が流れてきた。
窓際の椅子も、卓も、出発した時のままだった。
「戻りました」
後ろから入ったレオンが、小さく言った。
誰もいない部屋へ向けた言葉だった。
エドガーは鍵を抜き、いつもの場所へ掛けた。
「窓を開けてくれ」
「はい」
レオンが荷物を置いて窓へ向かう。
木戸を開く音がして、部屋が明るくなった。風が入り、棚の上の紙の鳥がかすかに揺れた。
エドガーはそれを見てから、買ってきた卵を台所へ運んだ。
割れてはいない。
次に壺を取り出し、藁を外す。口の縁まで指で確かめてから、卓へ置いた。
「無事でしたか」
「ああ」
「よかった。俺も水を汲んできます」
レオンは空の桶を手に取った。
扉が閉まる。
エドガーはしばらく立ったまま、部屋を見渡した。
旅から帰った時の家は、いつも静かだった。
袋を下ろし、窓を開ける。火を起こすのが面倒なら、外で飯を済ませることもあった。荷ほどきは、翌朝まで放っておけた。
今は入口に、もう一つ袋がある。
その脇には、泥のついたレオンの靴が揃えて置かれていた。
エドガーは自分の袋を持ち上げた。
通り道に置いたままでは、水を運び込む時に邪魔になる。
*
午後は、旅の片づけで過ぎた。
水袋を洗い、使った布を干す。靴の泥を落とし、革紐に傷がないかを確かめる。
レオンはもらった木を棚へ置いたが、削り始めはしなかった。
代わりに紙と筆記具を出して、卓につく。
「手紙か」
「はい。先に書いておこうと思って」
エドガーは頷き、弩の手入れを続けた。
しばらく、布で木部を拭く音と、ペンの音だけがした。
途中で、レオンの手が止まる。
「どうした」
「どこから書こうかと。最近のことを全部書くと、長くなりそうで」
「まず元気だと書けばいい」
「それは書きました」
レオンが紙の上を見た。
「一緒に暮らしている人がいることも、書いていいですか」
エドガーは布を持つ手を止めた。
レオンが顔を上げる。
「宿を出たことは伝えておきたいので。エドガーさんの名前も」
「ああ。構わん」
「ありがとうございます」
返事をすると、ペンがまた動き始めた。
エドガーも弩へ目を落とした。
レオンの親が、その名を読む。
息子が一緒に暮らしている、会ったこともない男の名だ。
「……何て書くんだ」
気づくと、尋ねていた。
レオンが顔を上げた。
「冒険者の先輩で、仕事でもお世話になっていると」
「それくらいでいい」
「それくらい?」
「余計なことまで書かんでいいということだ」
「余計なことって、何ですか」
聞き返され、エドガーは布を畳んだ。
「別にない」
「じゃあ、大丈夫ですね」
レオンは笑って、紙へ向き直った。
何を警戒しているのか、自分でも妙な気がした。
武器のことなら、書かないと分かっている。
それ以外で、知られて困るような暮らしもしていない。
エドガーは弩を壁際へ戻し、台所へ立った。
「茶を飲むか」
「お願いします」
湯を沸かす間に、返事をする相手のいない実家のことを、一瞬だけ考えた。
もし一枚、届けられるのなら。
そこまでで、火へ目を戻す。
鍋の底に、小さな泡がつき始めていた。
*
夕飯には、買ってきた卵を使った。
薄く切った玉葱を油で炒め、残っていた硬いチーズを削る。溶いた卵を流して、火を弱めた。
レオンが鍋の中を覗き込む。
「それ、今日買った匙ですか」
「行きに買ったやつだ」
「あ、そうでした」
エドガーは木の匙を持ち直した。
柄が手に馴染み、鍋の縁にも当てやすい。
「使いやすいな」
「よかったです。置いてある時は、どれも似て見えたんですけど」
レオンが皿を二枚並べた。
卵は、表面が固まりきる前に火から下ろした。余熱で落ち着かせ、二つに分ける。
薄い焼き色のついた裏側から、玉葱の甘い匂いがした。
パンと、切った野菜を卓へ運ぶ。
エドガーが塩へ手を伸ばすと、いつもと違う蓋が指に触れた。
洗って乾かした新しい壺へ、さっき移したばかりだった。
蓋は、引っかからずに持ち上がる。
「どうですか」
「ちゃんと閉まる」
「買った甲斐がありましたね」
レオンが笑った。
エドガーは塩を少し振り、壺を卓の中央へ戻した。
食べ始めてから、レオンが言った。
「手紙、明日預けてきます」
「ああ」
「しばらくここで暮らすことも書きました。何かあった時、便りの行き先が分かった方がいいので」
エドガーは頷いた。
「宛先は間違えてないだろうな」
「そこは、後で見てもらっていいですか」
「持ってこい」
レオンが立ちかけたので、手で止める。
「食ってからでいい」
「そうですね。冷めますね」
椅子へ戻り、レオンが卵を口へ運ぶ。
窓の外を、誰かが話しながら通り過ぎた。
エドガーは自分の皿へ目を落とした。
留守の間、この家には誰もいなかった。
それでも戻ってくれば、窓を開け、水を汲み、二人分の飯を作る。
そんな暮らしを、レオンは遠くにいる家族へ知らせようとしている。
「便りが届いたら、棚に置いておく」
「はい。俺も、エドガーさん宛ての物が来たらそうします」
エドガーは頷き、パンをちぎった。
食事の後、レオンが差し出した手紙は裏返しのまま受け取り、宛先だけを確かめて返した。




