村での仕事
肩に手が触れて、エドガーは目を開けた。
「明るくなってきました」
レオンが、戸口の脇にしゃがんでいた。
板の隙間から朝の光が差している。身体を起こすと、背中と腰が強張っていた。
「何か来たか」
「小さい獣が一度。近づく前に追い払いました。それからは何も」
エドガーは首を動かし、戸口から外を見た。
灰猪は昨夜の場所に横たわっている。その向こうの森では、鳥が鳴いていた。
「トマスは?」
「さっき来て、荷車を取りに戻りました」
「そうか」
立ち上がって伸びをすると、腰の辺りが鈍く痛んだ。
レオンが気づいたらしく、腰掛けを見た。
「やっぱり、椅子は大事ですね」
「寝床の方が大事だ」
水袋を受け取り、口を潤す。
冷たい水が喉を通ると、ようやく頭がはっきりしてきた。
*
荷車が来る頃には、畑に朝日が差していた。
トマスのほかに、昨夜見張りに立っていた若者と、村の男が二人いる。荷台には縄と厚い板、それに作業用の手袋が積まれていた。
「おはようございます。少しは眠れましたか」
「少しな。そっちは」
「交代で。朝飯の後は寝かせてもらいます」
トマスはそう言ってから、若者へ顔を向けた。
「車輪を止めてくれ。積んでいる途中で動くと危ない」
「分かった」
若者が木片を車輪へ噛ませる。
トマスはそれを確かめ、荷台から板を下ろした。
死骸を持ち上げて積むのではなく、板を渡して引き上げるつもりらしい。手を傷めている自分が力仕事に加わらなくても済むよう、必要な物を揃えてきていた。
レオンが灰猪のそばへ立つ。
「俺が持ち上げましょうか」
「片側を少し浮かせてもらえると助かります。下へ縄を通したいので」
トマスは、レオンに任せきりにはしなかった。
誰が縄を引き、誰が荷車を押さえるかを決める。エドガーには森を見ていてほしいと頼んだ。
「ああ。こっちは気にせずやってくれ」
弩を手に、作業する者たちの少し外へ立つ。
縄が張られ、重い身体が板の上を滑った。
「そこで一度止めてください」
トマスが声をかける。
荷台の縁へ片脚が引っかかっていた。レオンが身体を支え、村の男が長い棒で脚を外す。
もう一度、息を合わせた。
灰猪が荷台へ収まると、男の一人が大きく息を吐いた。
「でかいな。畑に入られなくてよかった」
「柵の下も埋め直しましょう。そこが通り道になってます」
トマスは縄を締めながら答えた。
「これを片づけたら、今日は休んでください。柵は午後に、別の人へ頼みます」
若者が頷いた。
その顔には、昨夜まであった張り詰めた様子がない。
やることが決まっている分、落ち着いて動けるのだろう。
エドガーは森へ視線を戻した。
*
処分に使う場所は、村の外れにあった。
耕していない土地の一角で、枯れ草が刈られ、周囲の土が露出している。薪も、雨を避けて積んであった。
討伐の証になる部位を取り分けた後は、トマスたちが作業を進めた。
火をつけて終わりにはできない。
燃え残りを処理し、埋め戻すまで人を置く。その交代も決まっていた。
「前にも、ここでやったのか」
エドガーが尋ねると、トマスは頷いた。
「小さいのを二度。前は、もっと森に近い場所で燃やしていたそうです」
「火が移りそうだな」
「ええ。それで、こちらを使わせてもらうことにしました」
トマスは炎の様子を見てから、村の男へ声をかけた。
作業を引き継ぎ、手を洗いに行く。
エドガーたちも、それに続いた。
水桶の前で、トマスが手袋を外した。傷めた方の手をゆっくり開き、閉じる。
「痛むか」
「少し強張ってます。でも、昨日から無理はしてませんよ」
「見てた」
「なら、聞かなくてもいいでしょう」
笑いながら言われ、エドガーも口の端を上げた。
街にいた頃なら、手を貸すために先へ出ていたかもしれない。
今のトマスは、人に任せた後も、その仕事を見届けていた。
*
家へ戻ると、焼いた生地の匂いがした。
トマスの母親が、平たいパンを皿へ重ねている。卓には柔らかく焼いた卵と、昨夜の煮汁で温めた根菜が並んでいた。
「先に食べておしまい。話は後でいいから」
腰を下ろしたレオンの腹が鳴った。
本人が一瞬黙り、トマスが笑う。
「ちょうどよかったですね」
「外にいる間は、そんなに気にならなかったんですが」
エドガーも温かいパンへ手を伸ばした。
裂くと、薄く湯気が立つ。
卵を載せて口へ運ぶと、塩気の後に、生地の甘みが残った。冷えた身体へ食べ物が入るにつれ、眠気が戻ってくる。
向かいのレオンも、食べる速度が少し落ちていた。
「今日は、昼まで寝てくださいね」
トマスの母親が言った。
「手伝いなら、起きてからでいいんですから」
「手伝うのは決まってるんですね」
トマスが言うと、母親は息子の皿へパンを一枚足した。
「あんたはね」
*
目が覚めた時には、窓から差す光の向きが変わっていた。
エドガーはしばらく天井を見てから、身体を起こした。
今度は腰も痛くない。
借りた寝床を整え、階下へ降りると、裏手から木を打つ音が聞こえた。
外へ回る。
軒下で、レオンが低い腰掛けを押さえていた。トマスの父親が、その脚へ木槌を当てている。
「そこを押さえてろ」
「はい」
昨夜、農具小屋で使った腰掛けだった。
エドガーに気づいたレオンが顔を上げる。
「片づける時に、脚が緩んでいるのが分かったんです」
「壊したのか」
「まだ壊れてません」
トマスの父親が木槌を置いた。
「ぐらついたまま使ってたんだろう。今直しておけば、しばらく持つ」
レオンは裏側を覗き込み、留めた部分を見ていた。
街でも、ブルーノが作業をしている時に似た顔をしている。
「見てるだけでも面白いか」
「はい。直し方を覚えておけば、家でも使えますし」
父親が腰掛けを地面へ置いた。
「座ってみろ」
レオンが腰を下ろし、体重をかける。
ぐらつかない。
「さっきと全然違いますね」
「脚が緩んだら、早めに直せ。座ってから抜けたんじゃ遅い」
エドガーは軒の柱へ背を預けた。
庭先には、切り揃えられた材木が積まれている。向こうの道を、籠を抱えた女が通った。レオンたちの声に顔を向け、軽く会釈していく。
昨夜のことがあっても、村の仕事は続いていた。
*
夕方、トマスが小さな布袋を持ってきた。
「村からです。昨夜の討伐分と、見張りのお礼を」
卓へ置くと、硬貨が触れ合う音がした。
エドガーはトマスの顔を見た。
「お前が出したんじゃないだろうな」
「違います。こういう時に使う金を、村で集めてあるんです」
トマスは隣へ座った。
「街へ頼みに行くにも日数がかかりますから。今回は、お二人がいて助かりました」
エドガーは袋を開け、中を確かめた。
多くはないが、村で用意するには軽い額でもない。
「分かった。レオンと分ける」
「お願いします」
トマスの表情が緩んだ。
食事も寝床も世話になっている。だからといって、村の仕事まで、これからずっと知り合いの厚意で済むと思わせるのはよくなかった。
「同じのがまた出たら、街へ知らせろよ」
「ええ。ここの人数で無理をするつもりはありません」
返事はすぐに返ってきた。
「追い払えるものと、倒しに行っていいものは違いますから。そこは、何度でも言っておきます」
エドガーは頷いた。
少し間を置いてから、トマスが尋ねた。
「……昨夜の配置、あれでよかったでしょうか」
「困ったことはあったか」
「家畜の方が騒いだ時に、一人が灯りを持って走り出しかけました。そこで転んだら困るので、止めましたが」
「夜に歩く道も、昼のうちに見ておくといい。足元の物を片づけるだけでも違う」
「そうですね。そこまでは気が回りませんでした」
トマスが卓の木目へ目を落とした。
「自分が動く方が、楽な時もありますね」
「ああ」
「でも、それだと俺が寝ている時に困りますし」
エドガーは、向かいに座る男を見た。
「なら、今やってることでいいんじゃないか」
トマスが顔を上げた。
「慣れるまでは手がかかる。それでも、昨夜は交代で休めたんだろう」
「ええ」
「次もそうできるようにすればいい」
トマスは頷き、卓の上に置いた自分の手を見た。
それから、少し照れたように笑った。
「帰ってきても、教わることがありますね」
「こっちは、しばらく薪の割り方しか教われんと思ってた」
「それなら、父がいくらでも教えますよ」
「明日、腕が上がらなくなりそうだな」
裏手から、レオンと父親の声が聞こえた。
まだ何かを見せてもらっているらしい。
トマスが椅子から立つ。
「そろそろ呼んできます。暗くなるまで続けそうなので」
エドガーは布袋を手元へ寄せた。
外へ向かったトマスが、途中で母親に呼び止められる。鍋を運ぶよう頼まれたらしく、返事とともに引き返してきた。
エドガーも立ち上がり、卓の上を空けた。
今夜は、温かいうちに飯を食えそうだった。




