迎える側
朦朧しておりました。教えていただいてありがとうございます。
宿の裏にあったのは、旅人向けの小さな店だった。
縄や針、靴紐に、柄を替えた中古の道具。棚の端には木の匙が何本か並んでいた。
レオンは、そのうちの一本を手に取った。
「持ちやすいな」
親指を添え、柄の曲がり具合を確かめている。
エドガーが覗くと、先の浅い匙だった。少し反った柄に、使い込んだような艶がある。
「料理に使うのか」
「そうみたいです。鍋の底を混ぜやすそうですね」
店の女に材を尋ね、値段を聞く。
レオンは少し考えてから、銅貨を出した。
「買うのか」
「はい。家で使おうと思って」
受け取った匙を布に包み、腰の袋へ収める。
エドガーは、まだ旅の行きだと言いかけてやめた。
匙一本なら、荷物も大して増えない。
「帰りの市でも買うつもりだろ」
「いいものがあれば」
「袋に入る分にしとけよ」
「分かってます」
店を出る頃には、日が屋根の向こうへ隠れかけていた。
*
翌日は、昼を過ぎてから街道を離れた。
道は少し細くなったが、荷車の轍が続いている。林の間を抜けると畑が現れ、その先に家々が見えた。
木を打つ音がしていた。
一定の間隔で、乾いた音が二つ、三つと続く。
村へ入る手前で、荷を運んでいた男に声をかけた。
「トマスの家を探してるんだが」
「木材屋の?」
「ああ」
「それなら、あそこだ。板を立てかけてある家」
男が指した先には、大きな屋根の作業場があった。
家の脇まで材木が積まれ、木屑が道端へこぼれている。
礼を言って歩き出すと、作業場の奥から声がした。
「そこへ置いてくれ。重ねるのは、乾いてる方だけだぞ」
聞き覚えのある声だった。
エドガーが入口へ回ると、トマスは板を運んできた若者に何か説明していた。
腰には剣ではなく、道具を入れた革袋を下げている。袖をまくった腕に、細かな木屑がついていた。
「忙しそうだな」
声をかけると、トマスが顔を上げた。
一瞬、目を丸くする。
それから、顔いっぱいに笑みが広がった。
「来てくれたんですか」
「来ると書いただろ」
「ええ。でも、もう少し先かと思ってました」
トマスは手についた木屑を払い、レオンにも目を向けた。
「レオンも。よく来てくれたな」
「お世話になります」
「そんなに改まらなくていいよ。まず、荷物を下ろしてくれ」
作業場の中へ招き入れてから、トマスは奥へ声をかけた。
「父さん! 手紙で話した二人が来た!」
*
トマスの父親は、息子より少し背が低かった。
厚い肩をした男で、削りかけの木片を台へ置いてから、こちらへ来た。
「遠いところを、よく来てくれた」
「世話になります」
「話は聞いてる。息子が随分、世話になったそうだな」
「こちらも助けてもらいました」
エドガーが答えると、父親は息子へ目を向けた。
「そうか。少しは役に立ってたか」
「少しは余計だろ」
トマスの返事に、レオンが笑った。
エドガーも表情を緩める。
街で見ていた時とは、少し違う声だった。
丁寧に返事をする後輩ではなく、この家の息子として話している。
それが、妙に新鮮だった。
寝る場所は、家の奥に用意されていた。
使っていなかった部屋を片づけ、二人分の寝具を並べてくれたらしい。
袋を置くと、トマスが水を運んできた。
「夕飯まで、休んでてください」
「仕事はいいのか」
「まだ少しありますけど、今日はもう大物を動かさないので」
「手は?」
エドガーが尋ねると、トマスは持っていた水差しを置いた。
怪我をした方の手を、ゆっくり握る。
「普段は、ほとんど気になりません。ただ、強く握り続けると、まだ」
「そうか」
「重いのは任せてます。父にも、うるさく言われるので」
廊下の方から声がした。
「言わないとやるからだ」
父親が通り過ぎていく。
トマスは肩をすくめた。
「こんな調子です」
エドガーは頷いた。
近くに、止める者がいる。
それが分かって、少し安心した。
*
水で顔を洗っている間に、外からトマスを呼ぶ声がした。
村の若者が二人、作業場の前へ来ていた。
一人は槍を持ち、もう一人は短い棒を肩へ担いでいる。
トマスが出ていくと、槍を持った方が林へ目を向けた。
「畑の裏に、また跡があった。これから見に行こうと思うんだけど」
「どの畑だ」
「粉屋の隣」
「昨日、柵を直したところか」
トマスは空を見た。
日暮れまでは、まだ時間がある。
「畑のところまでなら、一緒に行く。林へは入らないぞ」
「でも、すぐそこにいたら?」
「見てから決める。先に追うつもりで行くな」
声は荒くなかった。
若者も、言い返しはしなかった。
エドガーは手を拭きながら、そのやり取りを聞いていた。
こちらに気づいたトマスが振り返る。
「すみません。少し出てきます」
「俺たちも歩いていいか。座り込む前に、村を見ておきたい」
「ええ。じゃあ、案内します」
トマスは家の中へ戻り、槍を持って出てきた。
若者たちが、エドガーとレオンを見る。
「この人たちは?」
「手紙で話した、街の知り合いだ。エドガーさんとレオン」
トマスはそう紹介した。
若者の一人が、エドガーの弩へ目を向けた。
「じゃあ、槍の持ち方を教えたっていう」
「昔、少し話しただけだ」
エドガーが先に答えると、トマスが苦笑した。
「色々、教わってますよ」
「お前も、自分で覚えただろ」
それ以上は言わず、歩き出した。
*
畑は家々のすぐ裏にあった。
豆を這わせた支柱が並び、その端を低い柵が囲っている。林までは草地を挟んで少し距離があった。
柵の外に、土を掘り返した跡がある。
トマスがしゃがんだ。
若者たちも近づこうとしたが、片手を上げて止める。
「踏むな。こっちから見てくれ」
エドガーは少し離れて立った。
土には蹄の跡があった。大きさも、掘り返し方も、普通の猪でおかしくはない。
トマスは跡を二つほど見てから、柵の向こうを確かめた。
「中には入ってないな」
「ああ。今朝はなかったと思う」
「今朝、ここを通ったのか」
「いや、向こうから見ただけだけど」
若者が畑の反対側を指す。
トマスは頷いた。
「じゃあ、いつついたかは決められないな」
立ち上がり、畑の端まで歩く。
途中で、柵を支える杭を揺すった。一本だけ、地面の中で動いた。
「こっちは打ち直そう。昨日直した隣が緩んでる」
「先に、獣を見つけた方がよくないか」
槍を持った若者が言った。
トマスは林へ目を向けた。
「見つけられると思うか」
「跡を追えば」
「追ってる間に暗くなったら?」
「……戻る」
「同じ道を、迷わず戻れるか」
若者は答えず、足元を見た。
トマスは続けた。
「今日は柵を直す。明日の朝、また跡を見る。畑の中へ入ってくるようなら、その時は人数を集めよう」
レオンが、緩んだ杭のそばへしゃがんだ。
「打つもの、借りられますか」
棒を担いでいた若者が頷き、近くの納屋へ走っていった。
*
杭を打ち直し、柵の隙間を塞ぐ頃には、日が林の上へ近づいていた。
トマスは畑の持ち主へ話をし、家畜を出したままにしないよう頼んだ。
帰り道、若者たちは途中で別れた。
姿が見えなくなってから、トマスがエドガーを見た。
「どうでした?」
「何が」
「さっきのです」
エドガーは畑を振り返った。
「林へ入らなかったし、柵も直った。よかったんじゃないか」
「今夜、また来るかもしれませんけど」
「そうだな」
それを否定できる理由はなかった。
「ただ、今から探しに行けば必ず倒せるってもんでもない。お前が明日の朝も見ると言ったから、あいつらも今日は帰れたんだろ」
トマスは少し考え、頷いた。
「止めるだけだと、納得しないんですよ」
「ああ」
「こっちも、毎晩ずっと立ってるわけにはいきませんし」
声に疲れはあった。
それでも、投げ出すような言い方ではなかった。
村には、帰る家がある。
明日も畑へ出る者がいて、林へ薪を拾いに行く者がいる。
一度獣を追い払って終わりにはできない場所で、トマスは考え続けているのだろう。
「一人で全部やるなよ」
「はい。見回りも、順番を決めようと思ってます」
「ならいい」
レオンが隣で口を開いた。
「明日の朝、俺たちも見に行きます?」
「来てもらえるなら助かる。でも、今日はゆっくりしてくれ」
「はい」
トマスの家から、煮炊きの匂いが漂ってきた。
*
夕食には、大きな皿が卓の真ん中へ置かれた。
厚く切った豚肉と、炒め煮にしたキャベツ。別の器には、豆と玉葱の入った汁物がある。
トマスの母親が、パンの籠をレオンの前へ寄せた。
「足りなかったら言ってね」
「ありがとうございます」
レオンは姿勢を正して答えた。
トマスの父親が、その顔を見て笑った。
「遠慮してると、息子に全部食われるぞ」
「俺だって、そこまでは食わないよ」
卓に笑いが起きた。
エドガーは肉を切り、口へ運んだ。
塩は少し強いが、歩いた後にはうまかった。
トマスが、家の様子を尋ねた。
棚ができたと話すと、レオンへ質問が向く。どんな材を使ったのか、どう留めたのか。
レオンが説明すると、父親は頷きながら聞いていた。
「ブルーノさんに見てもらいながらです。まだ、一人だと分からないことばかりで」
「最初はそういうもんだ。明日、暇があれば作業場も見ていくといい」
「いいんですか」
「ああ。息子より熱心に見るかもしれんな」
「父さん」
トマスが抗議した。
レオンが笑い、エドガーも器を置いて笑った。
街にいた頃、トマスの実家の話は何度か聞いていた。
だが、こうして囲む卓までは想像できていなかった。
帰った先で、息子として働き、村の者に頼られ、客へ料理を取り分けている。
「エドガーさん、もう少しどうですか」
トマスが皿を持ち上げた。
「ああ。もらう」
差し出した皿へ、肉が一切れ載る。
今度は、こちらが世話になる番だった。




