出かける支度
トマスへの手紙を託してから、数日が過ぎた。
エドガーは短い依頼を二つ済ませ、その間に街道の様子を聞いて回った。
大きな崩れや、橋が落ちたという話はない。トマスの村へ向かう道も、荷車が通っているという。
出発は、明日の朝に決めた。
「寄り道は、帰りに考えるぞ」
夕方、卓へ食料を並べながら言うと、レオンが頷いた。
「はい。まずは、トマスさんのところですね」
「ああ。天気が悪くなりそうなら、そのまま帰る」
「分かりました」
レオンの返事に、不満はなかった。
代わりに、干した果物を入れた袋を持ち上げる。
「これは、道中の分ですか」
「そっちは土産だ」
「あ、じゃあ別にしておきます」
袋が背負い袋の底へ入りかけたので、エドガーは手を伸ばした。
「潰れるぞ」
「上ですね」
レオンが笑って置き直す。
旅に慣れていないわけではない。
ただ、今日は少し浮き立っているようだった。
*
荷物は、二人分でも大して増えなかった。
毛布と着替え、食料、水袋。手当てに使う布や薬は、それぞれが持つ。
エドガーが小さな包みを背負い袋へ入れると、レオンが自分の荷物を見下ろした。
「やっぱり、少ないですね」
「何が」
「エドガーさんの荷物です。前から思ってましたけど」
レオンの袋の脇には、手斧が括られていた。
エドガーはそれを見た。
「細かい刃物は、作れるからな」
「食事に使うものもですか」
「ああ」
掌に、小さなナイフを作った。
レオンは刃物と、エドガーの袋を交互に見た。
「それは便利ですね」
「置き忘れても、困らんしな」
ナイフを消すと、レオンが自分の手斧へ手を伸ばした。
紐を解きかけて、止まる。
「……これは、持っていきます」
「ああ」
「別行動になるかもしれませんし」
エドガーは頷いた。
一緒に歩くからといって、いつでも隣にいるとは限らない。
レオンは紐を締め直した。
「薪を割る時だけ、頼むかもしれません」
「その時は、お前が割れ」
「はい」
分担が一つ決まった。
*
支度を終え、裏庭へ出た。
干していた布を取り込み、桶を逆さに伏せる。レオンは物置へ道具を戻し、戸を確かめた。
エドガーは庭を見回した。
数日、家を空ける。
これまでも、仕事で留守にすることはあった。
それなのに、二人で出るとなると、普段は気にしないところまで目についた。
窓は閉めたか。
食べ物を残していないか。
庭に何か出したままではないか。
「エドガーさん、そこは俺が片づけました」
レオンに言われ、エドガーは手元を見た。
持ち上げた籠は、空だった。
「そうか」
「明日の朝、もう一度見ましょう」
「ああ」
家へ戻ると、卓の上に二つの背負い袋が並んでいた。
片方だけを置いて出るわけではない。
今回は、二人とも留守になる。
エドガーは戸棚の上へ目を向けた。
紙の鳥は、そのままにしておいた。
*
朝は、いつもより早く起きた。
残していたパンを食べ、火の始末をする。水差しを空にし、窓の掛け金を順に確かめた。
レオンが先に荷物を背負い、戸口で待った。
「忘れ物、ないですか」
「たぶんな。お前は?」
「大丈夫です」
エドガーは弩を肩へ掛けた。
腰の剣が、いつもの位置にある。
戸を閉め、鍵を回す。
一度引いて確かめてから、鍵を懐へ入れた。
レオンが通りへ目を向けた。
「行きましょうか」
「ああ」
朝の通りには、店を開ける者たちが出ていた。
水を撒く音がする。パン屋の前からは、焼きたての匂いが流れてきた。
家を二つほど過ぎたところで、エドガーは振り返った。
閉めた戸が見える。
それだけ確かめ、前を向いた。
*
門の外へ出ると、空が広かった。
街道の脇には畑が続き、畦を歩く人影がある。遠くで荷車が揺れ、その後ろを犬がついていった。
レオンは歩調を上げすぎず、エドガーの隣を歩いていた。
「今日は、どこまでですか」
「橋の先の宿まで。無理に進まなければ、明るいうちに着く」
「その先は、野営になります?」
「道の具合次第だな。泊まれる村は聞いてあるが、遅れたら手前で止まる」
レオンが頷いた。
少し歩いてから、道端の木を見上げる。
「こっちの道は、初めてです」
「俺は何度か通った。しばらく前だがな」
「トマスさんの村にも?」
「村へは行ってない。分かれ道を通り過ぎただけだ」
エドガーは街道の先を見た。
同じ道でも、用がなければ入らない場所はいくらでもある。
今回は、その一つへ行く。
*
昼は、街道から少し離れた木陰で休んだ。
先にいた荷運びの男へ挨拶をすると、男は脇へ荷物を寄せてくれた。
「この先、橋の手前がぬかるんでるぞ」
「荷車がはまるほどか」
「今朝は一台、押してやった。歩きなら脇を通れる」
礼を言い、エドガーは背負い袋を下ろした。
レオンが厚い布を広げる。
「今日は使えましたね」
「ああ」
二人で腰を下ろし、包みを開いた。
パンとチーズ、それから朝に茹でておいた卵。
レオンが卵の殻を剥きながら、隣の男と道の話をしていた。
どこの村で水を分けてもらえるか。
泊まるなら、どの家へ声をかければいいか。
男が話すたびに、レオンは頷いている。
行ったことのない場所の名を聞くのが、楽しいのだろう。
エドガーにも覚えがあった。
初めて実家を離れた頃、街道の先にある町の名を聞くだけで、そこへ着いた自分を想像した。
今では、距離や宿代、仕事があるかどうかを先に考える。
それで困ってはいない。
だが、隣で話を聞くレオンを見ていると、急いで現実的な話へ戻す必要もない気がした。
「帰りに寄るなら、朝市の日がいい」
男が言った。
「大きくはないが、周りの村からも来る」
「何が売ってるんですか」
「食い物と道具が多いな。木の器なんかもある」
レオンがこちらを見た。
エドガーは卵を飲み込んでから答えた。
「日が合えばな」
「はい」
それだけで、青年は満足そうだった。
*
橋の手前は、聞いていたとおりだった。
車輪の跡に水が溜まり、踏み込めば靴が沈みそうだ。
エドガーは端の固いところを選んだ。
先を歩いたレオンが、途中で足を止める。
「ここ、見た目より柔らかいです」
「じゃあ、もう少し外を回る」
急ぐ必要はなかった。
二人で乾いた場所を探し、橋へ出る。
川の水は濁っていたが、橋板はしっかりしていた。
渡り終えると、レオンが靴の裏を確かめた。
「荷車だったら、大変でしたね」
「ああ。晴れてるからって、足元まで乾いてるとは限らん」
エドガーも泥を落とした。
歩き出すと、少し先に宿の屋根が見えた。
*
部屋は二人で一つ借りた。
狭かったが、寝台は二つあり、窓も開く。エドガーは荷物を下ろしてから、寝具と床の隅を確かめた。
レオンは慣れた様子で、靴を戸口へ寄せている。
「問題なさそうですか」
「ああ。今のところな」
「じゃあ、水をもらってきます」
夕食までには、まだ時間があった。
顔と手を洗い、汗の引いたところで階下へ下りる。
食堂では、鍋から肉を煮込んだ匂いがしていた。
頼んだ料理には、柔らかく煮た羊肉と蕪が入っていた。家の味つけより香草が強く、パンを浸すと、汁の脂がよく染みた。
「これ、何の葉でしょう」
レオンが匙の先を見た。
「俺にも分からん。気になるなら聞いてみろ」
「後で聞いてみます」
エドガーは向かいを見た。
宿代も、食事代もかかっている。
この旅で報酬が出るわけではない。
それでも、今日一日を無駄にしたとは思わなかった。
レオンが窓の外へ目をやる。
「まだ明るいですね」
「ああ」
「少し歩いてきてもいいですか。裏に店があるみたいなので」
「夕方には閉めるかもしれんぞ」
「じゃあ、食べたらすぐ見てきます」
エドガーは残っていた汁をパンで拭った。
部屋へ戻って休むつもりだった。
だが、店を一つ見るくらいなら、疲れるほどでもない。
「俺も行く」
「はい」
レオンは特に驚かず、皿を空にした。
宿を出ると、軒先を照らす日が、まだ少し暖かかった。




