戻らない二人
翌朝、エドガーはいつもより遅く目を覚ました。
窓の隙間から差す光が、寝台の端まで届いていた。下からは、器の触れ合う音がする。
顔を洗って階段を下りると、レオンが卓へパンを並べていた。
「おはようございます。湯、まだ温かいですよ」
「ああ」
椅子を引きながら、戸棚の上へ目を向けた。
紙の鳥は、昨夜置いた場所にあった。
「先に食べようかと思ってました」
「待たなくてよかったんだぞ」
「今、用意できたところです」
レオンが座る。
エドガーもパンを取った。
眠りは浅かった。目を閉じると、思い出せることと、もう思い出せないことが交互に浮かんできた。
今も、すっきりしたわけではない。
それでも、目の前には朝食があり、向かいには食べる相手がいる。
「板を持っていくんだったな」
「はい。昼までには戻ります」
「気をつけてな」
「板くらいじゃ転びませんよ」
レオンが笑った。
「人にぶつけるなってことだ」
「ああ。それは気をつけます」
エドガーは湯を飲んだ。
今日は、家のことを済ませようと思った。
*
それから三日ほどは、街の中で過ごした。
棚はブルーノに見てもらい、取り付けまで終わった。
塩の壺と乾燥させた香草の袋を移すと、調理台が広くなった。レオンは何度か位置を変えようとしたが、ブルーノに「まず使え」と言われ、それで落ち着いた。
エドガーも、短い依頼を一つ済ませた。
日々の用事をしている間にも、ふと、向こうの家族を思い出した。
手が止まることはあったが、やがてまた動かせた。
レオンへの接し方も、変えないようにした。
ただ、青年が何かを楽しそうに話す時、以前より少し長く耳を傾けるようになっていた。
*
その朝は、二人でギルドへ寄った。
掲示板の前に数人が立ち、依頼書を見比べている。空いたところを探していると、受付のマークがこちらへ手を上げた。
「エドガーさん。少し、お話できますか」
声の調子で、世間話ではないと分かった。
レオンと一緒に受付へ向かう。
マークは手元の紙を揃えてから、口を開いた。
「ヘルマさんとティナさんが、まだ戻っていません」
エドガーは受付の縁へ置きかけた手を止めた。
「どこの仕事だ」
「石切り場へ向かう古い道です。薪を集めに入った村人が、牙犬の群れを見たそうで。二人は一昨日の朝に出ています」
牙犬なら、エドガーも何度も狩っていた。
普通の犬より一回り大きく、長い牙を持つ魔物だ。一頭ずつならそれほど厄介ではないが、群れで左右へ回り込む。
「何頭だ」
「目撃されたのは三頭。ただ、それで全部かは分かりません」
隣でレオンが口を開いた。
「戻る予定は、いつだったんですか」
「昨日の夕方までです。麓の村に一泊して、昨日は周辺の確認と処理をする予定でした」
一晩遅れた。
それだけなら、仕事が長引いた可能性もある。暗くなってから山道を下りるより、もう一泊した方がいいこともあった。
マークも、それは承知している顔だった。
「村から、何か来たのか」
エドガーが尋ねると、マークは頷いた。
「今朝、荷を運んできた人が伝言を持ってきました。一昨日は村に泊まっています。昨日の朝に出て、そのまま戻っていないそうです」
「荷物は」
「宿に一部残っていると」
それなら、街へ直接帰ったわけではない。
村へ戻るつもりで出ている。
エドガーはマークの前にある紙へ目を落とした。
「探しに出せる者は?」
「今、声をかけています。お二人にもお願いしたいと思っていました」
レオンがこちらを見た。
急かすような目ではなかった。返事を待っている。
「行こう」
エドガーが言うと、レオンは頷いた。
「準備してきます」
*
家へ戻り、荷物を整えた。
水と食料は、予定より多く持つ。縄を点検し、清潔な布を包み直した。夜を越すことになっても困らないよう、毛布も背負い袋へ括りつける。
レオンは卓の反対側で、手甲の留め具を確かめていた。
「怪我をして、動けなくなってるんでしょうか」
「分からん。道を変えたかもしれないし、追ってるうちに遠くなったのかもしれない」
エドガーは縄をまとめた。
「ただ、二人とも戻ってないなら、一人を置いて助けを呼びに行けない事情は考えておいた方がいい」
「魔物が近くにいるとか」
「ああ。二人とも怪我をしてる場合もある」
レオンが口を閉じた。
剣帯を締め直す手に、少し力が入る。
「見つけても、すぐ走り寄るなよ」
「周りを確かめてからですね」
「声をかけて、返事ができるなら話を聞く。見えてないものがいるかもしれん」
「分かりました」
エドガーは弩を取った。
今日は、誰かを探しに行く。
倒した魔物の数より、連れ帰る人数を考える仕事だった。
*
再びギルドへ戻ると、ベルトが待っていた。
槍を壁へ立てかけ、受付でマークの説明を聞いている。その隣には、旅支度をしたニナがいた。
「聞いたぞ」
ベルトが振り返った。
「俺たちも行く。セドリックは、先に荷車を借りに行ってる」
「助かる」
荷車があれば、村から先の搬送が楽になる。山道へ入れなくても、街まで歩かせずに済む。
エドガーはマークへ尋ねた。
「薬は?」
「村に手当てのできる人はいます。こちらからも包帯と傷薬を預けます」
マークが布包みを差し出した。
「村の人に、帰り道へ誰か立っててもらえるか伝えてくれ。怪我人を運ぶことになったら、人手が要る」
「分かりました」
ベルトが槍を持ち上げる。
「まず村で話を聞こう。分かれて探すかどうかは、その後だな」
「ああ」
出る前に、依頼書の写しを受け取った。
目撃された場所と、二人が調べる予定だった範囲。それ以上のことは、まだ書かれていなかった。
*
村へ着いたのは、昼を少し回った頃だった。
荷車を置き、二人の泊まった家へ案内してもらう。
寝床を貸したという男が、軒先へ出てきた。
「昨日は、朝飯を食ってから出たよ。暗くなる前には戻るって言ってた」
男の声は落ち着かなかった。
「前の日に二頭は仕留めたそうだ。残りを確かめて、死骸も片づけるって」
「昨日、ほかに山へ入った者は?」
「昼前に、薪を拾いに行ったのが一人いる。石切り場へ曲がるところで、娘さんと話したそうだ」
ティナは、その時には無事だった。
エドガーは続けて聞いた。
「母親は一緒だったか」
「少し先にいたって。二人とも怪我をしてるようには見えなかったらしい」
レオンが、わずかに息を吐いた。
エドガーも同じだった。
少なくとも、昨日の昼前までは二人で動けていた。
「その薪を拾った人に会いたい。話した場所まで案内できるかも、聞いてくれ」
「ああ。すぐ呼んでくる」
男が駆けていった。
ベルトは古い道へ続く坂を見た。
「ここから荷車は厳しいな」
「運ぶ時は、道まで下ろす必要がある」
エドガーが答えると、セドリックが荷車の縄を解きながら頷いた。
「担ぐ準備をしておきます。村の方にも手を借りましょう」
全員で山へ入り、村に何も残さないわけにはいかなかった。
エドガーとレオンが先に入り、二人の足取りを追う。ベルトたちは搬送に使う物を整えてから、同じ道を上がることにした。
「分かれ道には印を残す。人を見つけたら、笛で知らせる」
「聞こえるところまで近づいておく」
ベルトが答えた。
「無理して先へ行くなよ」
「そっちもな」
*
薪拾いをしていた男は、道の分かれる場所まで案内してくれた。
村から上がってきた道が、そこから細くなる。片方は薪を集める林へ続き、もう片方は使われなくなった石切り場へ向かっていた。
「あの辺りだよ。娘さんが立ってたのは」
男が、道端の切り株を指した。
「魔物が残ってるかもしれないから、奥へ入らないでくれって。それで、引き返した」
「何か音は聞いたか」
「その時は何も。帰ってからのことは分からない」
エドガーは頷いた。
「ここまででいい。助かった」
「あの二人、大丈夫だろうか」
「まだ分からん。探してくる」
大丈夫だと請け合える材料はなかった。
男は唇を結び、来た道を戻っていった。
足音が遠ざかってから、エドガーは腰を落とした。
柔らかい土に、靴跡が残っている。
重なっていて、誰のものかまでは分からない。ただ、石切り場の方へ続いていた。
「ここからは、ゆっくり行く」
「はい」
レオンが背負い袋の位置を直した。
エドガーは道端に後続への印を残し、歩き始めた。
少し進むと、木の幹に新しい傷があった。
刃物で浅く削った跡だ。
その下に、石が三つ並んでいた。一つだけ、道の脇へ少し離して置かれている。
エドガーは足を止めた。
「人が置いたものですね」
レオンも石を見ていた。
「ああ」
離れた石の先は、低い藪になっていた。
枝が一本折れ、葉の裏が見えている。さらに奥では、草がまとまって倒れていた。
そこへ目を向けたまま、エドガーは耳を澄ませた。
声はしない。
何かが歩く音もなかった。
「二人の印でしょうか」
「そのつもりで確かめる。ただ、決めつけるな」
エドガーは弩を持ち直した。
誰かが、道を外れている。
そして、その場所を後から来た者に知らせようとしていた。




