↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
52/91

留守のあと

 目を覚ましてから、エドガーはしばらく天井を見ていた。


 宿のものより低い、見慣れた梁がある。


 階下で戸棚を閉める音がした。


 起き上がり、窓を開ける。隣家の屋根は乾いていた。今日は洗った物を外へ干せそうだった。


 服を着て階段を下りると、レオンが卓へ皿を並べていた。


「おはようございます」

「ああ。早いな」

「いつもの時間に起きました」


 昨夜のパンが切ってある。湯気の立つ鍋には、残った玉葱と、細かく切った干し肉が入っていた。


 エドガーは椅子へ座った。


 歩く前に食べておく必要はない。それでも、いつもの癖でパンを大きめに取ってから、一切れ戻した。


「今日はブルーノさんのところへ行ってきます」

「土産、忘れるなよ」

「もう出してあります」


 戸棚の上に小箱が置かれていた。その隣には、ハーゼンで買った道具入れもある。


「エドガーさんは?」

「装備を片付ける。弩も、昨日はざっと拭いただけだからな」

「ああ、俺も先にやっておきます」


 レオンは鍋から椀へ汁を注いだ。


「夕方には、剣の方も見に行きたいんですが」

「注文したやつか」

「はい。戻ったら寄るように言われていたので」

「俺も行く。買った剣を見てもらいたい」


 使って不具合があったわけではない。


 ただ、今後も腰へ下げるなら、手入れを頼める相手には一度見せておきたかった。


     *


 午前中は、家の中と庭を行ったり来たりした。


 背負い袋を空にし、底に残った細かな砂を払う。使わなかった縄を巻き直し、減った物を書き留める。


 旅の間に濡れた服は、泥を落としてから洗った。


 レオンも庭で靴を磨いていた。踵の縫い目に残った泥を、細い木片で掻き出している。


「そっちは大丈夫か」

「糸は切れてないです。もう少し使えそうですね」


 エドガーは頷き、弩へ目を戻した。


 雨に濡れた箇所を確かめ、乾いた布で金具を拭く。木の表面にも傷は増えていたが、使うのに差し支えるものはなかった。


 矢は減った。


 ハーゼンで補充していても、旅を終えると揃え直したくなる。先の傷んだものを分け、残りを数えた。


 庭の隅では、洗ったシャツから水が落ちていた。


 昨日までなら、この時間には歩いていた。


 今日は、濡れた服が乾くのを待てる。


 エドガーは弩を持ち上げ、日の当たる方へ少し傾けた。


     *


 昼食を済ませた後、レオンは小箱と道具入れを持って出かけた。


「長くなるなら、先に戻ってこい。剣は明日でもいい」

「分かりました」


 戸が閉まる。


 エドガーは卓の上へ広げていた物を片付けた。替えの紐、油の小瓶、針を包んだ布。いつもなら、次に出る時のために袋へ戻しておく。


 そのうち幾つかは、戸棚へ収めた。


 すぐに長い依頼を取るつもりはなかった。


 腰掛けて報酬を数え、家に置く分と持ち歩く分に分ける。買い足した装備や道中の食事を差し引いても、しばらく困る額ではない。


 卓の端に、昨日開けた菓子の包みがあった。


 一つ取ってかじる。


 硬い。


 昨夜も同じだったが、汁物の後に食べた時より、口の中の水分を持っていかれた。


 水を飲んでから、残りを包み直した。


 窓際の椅子へ移り、背を預ける。


 床板の上で、椅子がゆっくり揺れた。


 通りから荷車の音が聞こえる。家の前で話していた女たちの声が遠ざかり、しばらくすると、隣家で何かを叩く音が始まった。


 エドガーは目を閉じた。


 誰かの寝息を気にする必要も、夜中に廊下を歩く客へ耳を澄ます必要もない。


 肩の力が抜けた。


     *


 戸を叩く音で目が覚めた。


「エドガーさん。開けてもらえますか」


 レオンの声だった。


 エドガーは顔を擦り、椅子から立った。


 戸を開けると、レオンが細長い板を数枚抱えていた。


「どうした、それ」

「棚の相談をしたら、これなら使えるって。端材を買ってきました」

「入れ」


 横へ避けると、レオンは板の先が戸枠へ当たらないよう身体をひねった。


 台所へ運び、壁へ立て掛ける。


「もう作るのか」

「今日は寸法を測るだけです。置く物を決めてからにしろと言われました」

「そりゃそうだ」


 レオンは道具入れを卓へ置いた。


「あと、壁に付ける前に見に来てくれるそうです。留める場所を間違えると、物を載せた時に落ちるからって」

「いつだ?」

「明後日の午後なら寄れるそうです」

「分かった」


 エドガーは板へ目を向けた。


 長さは揃っていない。表面が粗いものもある。


「削るのは?」

「工房でやらせてもらいます。鉋を買う話もしたんですが、まず借りて、刃の調整を覚えろと」

「買わずに済んだな」

「欲しくはなりましたけど」


 レオンは笑ってから、道具入れを開いた。


 見慣れない小さな木片が入っている。


「これは?」

「紙やすりみたいに使う……いえ、磨く時に使う木です。布を巻いて持つと、端まで手で擦るより揃えやすいそうです」


 レオンは木片を手の中で返した。


「見ているだけだと簡単そうなんですが、自分でやると角ばかり削れて」

「削りすぎるなよ。戻せんぞ」

「同じことを言われました」


 エドガーは口の端をわずかに上げた。


「菓子は渡せたか」

「はい。家族で食べるって喜んでもらえました」


 レオンが窓へ目を向ける。


「まだ、鍛冶屋へ行けますか」

「ああ。支度する」


     *


 鍛冶屋の店先には、修理を終えた農具が並んでいた。


 奥から槌の音が響いている。


 レオンが声を掛けると、職人が手を拭きながら出てきた。


「戻ったか」

「昨日。剣はどうでしょう」

「合わせてみろ。まだ柄を仕上げきってない」


 作業台へ置かれた剣を、レオンが受け取った。


 今までのものと、見た目が大きく変わったわけではない。


 ただ、柄を握ったレオンは、すぐに指の位置を確かめた。


「前より、しっくりきます」

「手甲は持ってきたか」

「はい」


 レオンが袋から手甲を取り出す。


 職人は装着を待ち、もう一度握らせた。


「小指の方は?」

「少し窮屈です」

「そこか」


 指の掛かる場所を確認し、剣を受け取って印を付ける。


 エドガーは脇で見ていた。


 手に余るような大きな剣ではない。左の短剣と併せて使うことも考えて注文したのだろう。レオンが構えた時、肩に余計な力が入っていなかった。


「急ぎで使うか」

「いえ。今の剣もあります」

「なら、そこを直しておく。二日後に来い」

「お願いします」


 エドガーも、腰の剣を鞘ごと外した。


「これも見てくれ。ハーゼンで買った」


 職人は抜いた刃を明かりへ向け、柄と鍔を確かめた。


「欠けはないな。柄も緩んでない」

「しばらく使うつもりだ」

「なら、使って気になるところが出たら持ってこい」


 刃を布で拭き、鞘へ戻して差し出す。


 エドガーが受け取る横で、レオンが口を開いた。


「エドガーさん。一度相手をしてもらえませんか」


 エドガーは顔を向けた。


「剣でか?」

「はい。木剣で」


 職人が、邪魔にならない所へ注文の剣を移した。


 レオンは少し言葉を選んでから続けた。


「前の宿で、エドガーさんが戸口を守っていたでしょう。あの時、俺は離れすぎましたから」

「剣だけの話じゃないぞ」

「分かってます。ただ、同じような場所で、どこまで動けるのか試してみたいんです」


 エドガーは剣帯へ視線を落とした。


 相手を倒せる距離まで踏み込むのと、後ろを守りながら踏み込むのでは違う。


 口で言われたことを、身体でも確かめたいのだろう。


「広い所でやるだけじゃ、あの時とは違う」

「入口の幅を決めてやるのはどうですか。棒か何か置いて」

「足を引っかける。地面に線を引けばいい」

「ああ、そうですね」


 レオンは素直に頷いた。


「明日、場所が空いてるか見てからだ。新しい剣を待つ必要はない」

「お願いします」


 店を出る時、レオンはもう一度職人へ頭を下げた。


 エドガーは剣の位置を直し、通りへ出た。


 教えるとなると、自分が普段どう動いているのか、少し考えておく必要がある。


 レオンの速さを、こちらと同じにする必要はない。


 あの速さで動いた後、どこへ戻るのか。


 明日は、まずそこからだろう。


「木剣は二本借りるか?」

「できれば。普段と同じ方がいいので」

「分かった。手甲も持ってこい」


 レオンが頷き、隣へ並んだ。


 エドガーは帰り道を歩きながら、明日の足元が乾いているといい、と考えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。