留守のあと
目を覚ましてから、エドガーはしばらく天井を見ていた。
宿のものより低い、見慣れた梁がある。
階下で戸棚を閉める音がした。
起き上がり、窓を開ける。隣家の屋根は乾いていた。今日は洗った物を外へ干せそうだった。
服を着て階段を下りると、レオンが卓へ皿を並べていた。
「おはようございます」
「ああ。早いな」
「いつもの時間に起きました」
昨夜のパンが切ってある。湯気の立つ鍋には、残った玉葱と、細かく切った干し肉が入っていた。
エドガーは椅子へ座った。
歩く前に食べておく必要はない。それでも、いつもの癖でパンを大きめに取ってから、一切れ戻した。
「今日はブルーノさんのところへ行ってきます」
「土産、忘れるなよ」
「もう出してあります」
戸棚の上に小箱が置かれていた。その隣には、ハーゼンで買った道具入れもある。
「エドガーさんは?」
「装備を片付ける。弩も、昨日はざっと拭いただけだからな」
「ああ、俺も先にやっておきます」
レオンは鍋から椀へ汁を注いだ。
「夕方には、剣の方も見に行きたいんですが」
「注文したやつか」
「はい。戻ったら寄るように言われていたので」
「俺も行く。買った剣を見てもらいたい」
使って不具合があったわけではない。
ただ、今後も腰へ下げるなら、手入れを頼める相手には一度見せておきたかった。
*
午前中は、家の中と庭を行ったり来たりした。
背負い袋を空にし、底に残った細かな砂を払う。使わなかった縄を巻き直し、減った物を書き留める。
旅の間に濡れた服は、泥を落としてから洗った。
レオンも庭で靴を磨いていた。踵の縫い目に残った泥を、細い木片で掻き出している。
「そっちは大丈夫か」
「糸は切れてないです。もう少し使えそうですね」
エドガーは頷き、弩へ目を戻した。
雨に濡れた箇所を確かめ、乾いた布で金具を拭く。木の表面にも傷は増えていたが、使うのに差し支えるものはなかった。
矢は減った。
ハーゼンで補充していても、旅を終えると揃え直したくなる。先の傷んだものを分け、残りを数えた。
庭の隅では、洗ったシャツから水が落ちていた。
昨日までなら、この時間には歩いていた。
今日は、濡れた服が乾くのを待てる。
エドガーは弩を持ち上げ、日の当たる方へ少し傾けた。
*
昼食を済ませた後、レオンは小箱と道具入れを持って出かけた。
「長くなるなら、先に戻ってこい。剣は明日でもいい」
「分かりました」
戸が閉まる。
エドガーは卓の上へ広げていた物を片付けた。替えの紐、油の小瓶、針を包んだ布。いつもなら、次に出る時のために袋へ戻しておく。
そのうち幾つかは、戸棚へ収めた。
すぐに長い依頼を取るつもりはなかった。
腰掛けて報酬を数え、家に置く分と持ち歩く分に分ける。買い足した装備や道中の食事を差し引いても、しばらく困る額ではない。
卓の端に、昨日開けた菓子の包みがあった。
一つ取ってかじる。
硬い。
昨夜も同じだったが、汁物の後に食べた時より、口の中の水分を持っていかれた。
水を飲んでから、残りを包み直した。
窓際の椅子へ移り、背を預ける。
床板の上で、椅子がゆっくり揺れた。
通りから荷車の音が聞こえる。家の前で話していた女たちの声が遠ざかり、しばらくすると、隣家で何かを叩く音が始まった。
エドガーは目を閉じた。
誰かの寝息を気にする必要も、夜中に廊下を歩く客へ耳を澄ます必要もない。
肩の力が抜けた。
*
戸を叩く音で目が覚めた。
「エドガーさん。開けてもらえますか」
レオンの声だった。
エドガーは顔を擦り、椅子から立った。
戸を開けると、レオンが細長い板を数枚抱えていた。
「どうした、それ」
「棚の相談をしたら、これなら使えるって。端材を買ってきました」
「入れ」
横へ避けると、レオンは板の先が戸枠へ当たらないよう身体をひねった。
台所へ運び、壁へ立て掛ける。
「もう作るのか」
「今日は寸法を測るだけです。置く物を決めてからにしろと言われました」
「そりゃそうだ」
レオンは道具入れを卓へ置いた。
「あと、壁に付ける前に見に来てくれるそうです。留める場所を間違えると、物を載せた時に落ちるからって」
「いつだ?」
「明後日の午後なら寄れるそうです」
「分かった」
エドガーは板へ目を向けた。
長さは揃っていない。表面が粗いものもある。
「削るのは?」
「工房でやらせてもらいます。鉋を買う話もしたんですが、まず借りて、刃の調整を覚えろと」
「買わずに済んだな」
「欲しくはなりましたけど」
レオンは笑ってから、道具入れを開いた。
見慣れない小さな木片が入っている。
「これは?」
「紙やすりみたいに使う……いえ、磨く時に使う木です。布を巻いて持つと、端まで手で擦るより揃えやすいそうです」
レオンは木片を手の中で返した。
「見ているだけだと簡単そうなんですが、自分でやると角ばかり削れて」
「削りすぎるなよ。戻せんぞ」
「同じことを言われました」
エドガーは口の端をわずかに上げた。
「菓子は渡せたか」
「はい。家族で食べるって喜んでもらえました」
レオンが窓へ目を向ける。
「まだ、鍛冶屋へ行けますか」
「ああ。支度する」
*
鍛冶屋の店先には、修理を終えた農具が並んでいた。
奥から槌の音が響いている。
レオンが声を掛けると、職人が手を拭きながら出てきた。
「戻ったか」
「昨日。剣はどうでしょう」
「合わせてみろ。まだ柄を仕上げきってない」
作業台へ置かれた剣を、レオンが受け取った。
今までのものと、見た目が大きく変わったわけではない。
ただ、柄を握ったレオンは、すぐに指の位置を確かめた。
「前より、しっくりきます」
「手甲は持ってきたか」
「はい」
レオンが袋から手甲を取り出す。
職人は装着を待ち、もう一度握らせた。
「小指の方は?」
「少し窮屈です」
「そこか」
指の掛かる場所を確認し、剣を受け取って印を付ける。
エドガーは脇で見ていた。
手に余るような大きな剣ではない。左の短剣と併せて使うことも考えて注文したのだろう。レオンが構えた時、肩に余計な力が入っていなかった。
「急ぎで使うか」
「いえ。今の剣もあります」
「なら、そこを直しておく。二日後に来い」
「お願いします」
エドガーも、腰の剣を鞘ごと外した。
「これも見てくれ。ハーゼンで買った」
職人は抜いた刃を明かりへ向け、柄と鍔を確かめた。
「欠けはないな。柄も緩んでない」
「しばらく使うつもりだ」
「なら、使って気になるところが出たら持ってこい」
刃を布で拭き、鞘へ戻して差し出す。
エドガーが受け取る横で、レオンが口を開いた。
「エドガーさん。一度相手をしてもらえませんか」
エドガーは顔を向けた。
「剣でか?」
「はい。木剣で」
職人が、邪魔にならない所へ注文の剣を移した。
レオンは少し言葉を選んでから続けた。
「前の宿で、エドガーさんが戸口を守っていたでしょう。あの時、俺は離れすぎましたから」
「剣だけの話じゃないぞ」
「分かってます。ただ、同じような場所で、どこまで動けるのか試してみたいんです」
エドガーは剣帯へ視線を落とした。
相手を倒せる距離まで踏み込むのと、後ろを守りながら踏み込むのでは違う。
口で言われたことを、身体でも確かめたいのだろう。
「広い所でやるだけじゃ、あの時とは違う」
「入口の幅を決めてやるのはどうですか。棒か何か置いて」
「足を引っかける。地面に線を引けばいい」
「ああ、そうですね」
レオンは素直に頷いた。
「明日、場所が空いてるか見てからだ。新しい剣を待つ必要はない」
「お願いします」
店を出る時、レオンはもう一度職人へ頭を下げた。
エドガーは剣の位置を直し、通りへ出た。
教えるとなると、自分が普段どう動いているのか、少し考えておく必要がある。
レオンの速さを、こちらと同じにする必要はない。
あの速さで動いた後、どこへ戻るのか。
明日は、まずそこからだろう。
「木剣は二本借りるか?」
「できれば。普段と同じ方がいいので」
「分かった。手甲も持ってこい」
レオンが頷き、隣へ並んだ。
エドガーは帰り道を歩きながら、明日の足元が乾いているといい、と考えた。




