家までの道
朝食を終えると、エドガーは部屋へ戻って荷をまとめた。
寝台の下を覗き、窓際に掛けていた布を外す。乾いているのを確かめて畳んでいると、先に支度を終えたレオンが背負い袋を持ち上げた。
「巡療会の荷物を手伝ってきます」
「ああ。こっちは見ておく」
戸口へ向かったレオンが、一度足を止める。
「出発までには戻ります」
「まだ馬を繋ぐ前だ。慌てなくていい」
レオンが出ていくと、部屋は静かになった。
エドガーは寝台の脇に置いた剣を腰へ下げた。吊り革を調整してから、歩く時にも収まりがよくなっている。
最後に卓の上を確かめ、弩を手に取った。
*
宿の庭では、御者の親子が荷馬車の支度を進めていた。
エドガーは背負い袋を荷台へ載せ、覆いと縄を見て回った。夜の間に触られた様子はない。車輪の近くに、馬の邪魔になる物も落ちていなかった。
庭の向こうでは、レオンが木箱を抱えていた。
「このまま載せていいですか」
「待ってください。下に敷く物を」
リゼが荷車の底へ畳んだ布を置く。
レオンはそれを待ってから箱を下ろした。隣の箱へぶつけないよう、途中で持ち直している。
「助かりました。あとはこちらで」
「もう一つは?」
「それは、この村へ残す分です」
リゼが宿の壁際に置いた箱を示した。
レオンは頷き、荷車から離れた。
巡療会のドワーフが箱の収まりを確かめ、縄を掛けていく。エドガーと目が合うと、軽く片手を上げた。
こちらも頷いて返したところで、宿の入口から小さな声がした。
「あの」
子供が母親のスカートを握って立っていた。
襲撃の時、宿へ逃げ込んできた親子だった。母親は腕に籠を掛け、子供の背へそっと手を添えている。
レオンが振り返った。
「おはよう。もう帰れたんだね」
子供は頷いたが、母親のそばからは離れなかった。
レオンは近づきすぎず、その場にしゃがんだ。
「怪我はなかった?」
「うん」
子供の目が、レオンの腰の剣へ向いた。
それから、ようやく顔が上がる。
「ありがとう」
レオンは少し驚いたように瞬きをして、笑った。
「どういたしまして」
母親も頭を下げた。
「あの時は、お二人ともありがとうございました」
エドガーは手にしていた縄を荷台へ戻した。
「無事でよかった」
何か気の利いたことを言うつもりもなかった。母親はもう一度頭を下げ、子供を連れて宿へ入っていった。
立ち上がったレオンが、服の膝を払う。
リゼがその横で言った。
「会えてよかったですね」
「はい。教えてもらって助かりました」
レオンは親子の入った戸口を、もう一度見た。
エドガーも、あの朝に自分が立っていた場所へ目をやった。
入口の脇には水桶が置かれている。新しい板の下に、擦れた跡が少し残っていた。
御者が馬を引いてきたので、エドガーは場所を空けた。
*
商人の支度が済み、二台の荷馬車が宿の前へ並んだ。
巡療会は、もう少し後から出るらしい。リゼは残る隊員へ渡す包みを抱えて、見送りに出てきた。
「お気をつけて」
「そっちもな」
エドガーが答えると、レオンも背負い袋の紐を直しながら頭を下げた。
「また、どこかで」
「はい。また」
リゼは穏やかに笑った。
馬が歩き出す。
レオンが荷馬車の横へ戻り、エドガーは後ろの一台についた。
村を出る道では、男たちが倒れかけた柵を直していた。槌を持つ手が止まり、一人がこちらへ頭を下げる。
エドガーは軽く手を上げた。
車輪の音に、再び槌の音が重なった。
*
その日は雨に降られた。
昼を過ぎてしばらくすると、細かな雨が降り始めた。すぐに止みそうな空ではなかった。
御者たちは荷台の覆いを確かめ、馬の歩みを緩めた。
道の窪みに水が溜まり始める。
レオンが荷馬車から少し離れ、先の地面を見た。
「そこ、深くなってます。少し避けた方がよさそうです」
若い御者が手綱を引き、車輪を窪みの脇へ通した。
エドガーは後ろからその跡を見て、続く御者へ同じ場所を示す。
しばらく歩くと、コートの肩が重くなった。
今夜泊まる宿には屋根のある荷車置き場があったはずだ。馬を休ませ、濡れた物を乾かすなら、明るいうちに着きたい。
ただ、急いで車輪を傷めれば余計に時間を食う。
御者も分かっていた。乾いた道なら越せる小さな段差でも、馬を緩めて通していった。
宿に着いた時には、エドガーの靴の縁まで泥が跳ねていた。
屋根の下へ荷馬車を入れ、荷が濡れていないか確かめる。覆いの端には雨水が溜まっていたが、木箱までは染みていなかった。
「今日はここまでですね」
商人が息を吐いた。
「ああ。乾かせる物は乾かしておこう」
エドガーは荷台から自分の袋を下ろした。
横でレオンが袋を開き、布に包んだ小箱を覗いている。
「無事か」
「はい。濡れてません」
「なら閉めておけ。ここで濡らすぞ」
屋根の端から雫が落ちてきた。
レオンは小箱を戻し、一歩奥へ寄った。
*
翌朝には、雨が上がっていた。
靴は完全には乾かなかったが、濡れた布を詰めたままよりはましだった。エドガーは足を入れ、紐を締め直した。
帰りの三日目。
この日のうちにフェルデンへ入れる見込みだった。
ぬかるんだ場所では足元を見て、それ以外では街道の先を確かめる。見覚えのある分かれ道を過ぎても、弩はいつもどおり手の届く位置に置いた。
午後になり、町へ向かう荷車が増えてきた。
畑から戻る者や、空の籠を重ねた行商人とすれ違う。道端で草を食む山羊を、子供が縄で引き戻していた。
やがて町の門が見えた。
「戻りましたね」
レオンが言った。
「ああ」
エドガーは答え、前を行く荷馬車との間を詰めた。
門では荷の確認を受け、商人が書類を見せた。
門番の一人がエドガーの顔を見た。
「今回は長かったな」
「途中で少しあった」
「聞いてる。大変だったらしいな」
それ以上は尋ねられなかった。
門を抜けると、石畳に車輪の音が響いた。
見慣れた店先に、人の声が重なっている。
エドガーは往来へ目を配りながら、倉庫まで歩いた。
*
荷を下ろし終えたのは、夕方に差しかかる頃だった。
商人が箱の数と中身を確かめ、最後に帳面を閉じた。
「これで全部です。ありがとうございました」
差し出された依頼の完了を示す書面を、エドガーが受け取る。
「大きな割れもなくてよかったな」
「ええ。向こうで詰め直しておいて助かりました」
若い御者が少し笑った。
父親は空になった荷台へ上がり、残った藁を集めていた。
「お二人も、今日はゆっくり休んでください」
商人にそう言われ、レオンが頭を下げる。
「お世話になりました」
エドガーも挨拶を済ませ、荷を背負った。
ギルドで帰着を報告し、報酬を受け取る。野盗の件は道中で報告済みだったが、その後の街道の様子だけは伝えておいた。
外へ出ると、レオンが通りの先を見た。
「ブルーノさんのところ、まだ開いてますかね」
「開いてるだろうが、明日にしろ。今から顔を出せば話も長くなる」
「……道具のこと、聞きたくなりそうですね」
「聞きたいことをまとめてから行け」
「そうします」
歩きながら、パンと卵を買った。
店先には小さな玉葱も並んでいたので、幾つか包んでもらう。家の食料を確かめるのは、それからでいい。
いつもの通りへ曲がると、足が自然に緩んだ。
家の戸の前で、エドガーは鍵を取り出した。
錠へ差し込み、回す。
戸を開けると、閉め切っていた部屋の空気が流れてきた。旅の間についた土の匂いより、木と乾いた埃の匂いがした。
窓際に、二脚の椅子がある。
出発する朝と同じ場所だった。
「先に窓、開けますね」
レオンが荷を下ろし、部屋の奥へ向かった。
エドガーは戸を閉めてから、壁へ弩を立て掛けた。
剣帯を外し、卓へ置く。
腰が軽くなった。
開いた窓から夕方の風が入り、レオンが顔をこちらへ向ける。
「夕飯、卵でいいですか」
「ああ。玉葱も使ってくれ。水を汲んでくる」
「お願いします」
エドガーは空の桶を手に取った。
出る前に、背負い袋から菓子の包みを出して卓へ置く。
「それは飯の後だぞ」
レオンが包みへ伸ばしかけた手を止めた。
「まだ何も言ってません」
「顔に出てる」
エドガーは桶を持ち直し、戸を開けた。
背後で、レオンが笑っていた。




