持ち場
レオンが庭門の前で足を止めた。
今度は、通りの向こうまで出ていかない。右手の剣を下げずに、門へ続く道と宿の入口を見比べている。
エドガーは戸口の脇に立てかけた弩へ目を落とした。
弦を掛け、矢を載せるには、剣を手放さなければならない。向かいの路地からは、まだ人の足音が聞こえていた。
今は剣でいい。
「そっちから何人見える」
「二人。曲がり角にいます」
「弓は?」
「見えません」
レオンが答えた直後、角から男が一人、顔を出した。
倒れた仲間を見て、すぐに引っ込む。
エドガーは追わず、戸口から半歩だけ位置を変えた。ここなら、レオンの背後と宿へ入る者の両方が見える。
建物の陰で、男たちが何か言い合っていた。
*
広場の方で、甲高い笛が鳴った。
二度、短く。
それを合図にしたように、向かいの路地から三人の男が駆け出してきた。一人は腕を押さえ、もう一人は麻袋を背負っている。
宿には向かわず、通りを右へ走った。
庭門の前にいたレオンが、そちらへ身体を向ける。
「行くな」
エドガーの声に、足が止まった。
その先で、角に隠れていた二人が姿を現した。逃げてきた仲間と合流し、こちらを振り返る。
逃げ道を塞がれたと思ったのか。
斧を持った男が、レオンへ向かってきた。
「どけ!」
振り下ろされた斧を、レオンは横へかわした。
刃が地面に当たるより早く、左の短剣を相手の手元へ差し入れる。鍔で柄を押さえ、右手の剣を突き出した。
男が崩れた。
続いていた一人は踏みとどまり、剣を構えたまま後ずさる。
レオンは近づかなかった。
庭門を背に、剣先だけを相手へ向けている。
「来なければ、追いません」
男がエドガーへ目をやった。
宿の前には、既に何人も倒れている。戸口には剣を持ったもう一人が立ち、その奥からは人の声もしていた。
男は何か罵り、仲間を追って走り去った。
レオンはその背を見送ってから、角へ視線を戻した。
エドガーも剣を下げなかった。
笛が撤退の合図だったとしても、全員が従うとは限らない。逃げ遅れた者が、宿へ入り込もうとすることもある。
広場から聞こえる怒号は、まだ途切れていなかった。
*
しばらくして、向かいの路地に槍の穂先が見えた。
巡療会の隊員だった。
後ろには、鍬や棒を持った村人が二人ついている。
「そちらは?」
「入口と庭門は守ってる。裏は見てない」
エドガーが答えると、隊員は頷いた。
「西へ逃げた。まだ隠れている者がいないか、家ごとに確かめている」
「こっちからも何人か行ったぞ」
「分かった。宿はそのまま頼む」
隊員は村人を連れ、宿の脇へ回っていった。
エドガーはレオンに庭門を任せ、戸口の内側へ声を掛けた。
「リゼ。怪我人は?」
「腕を切られた方が一人。今、手当てしています」
「こっちも、まだ動いてるのがいる。外へ出るなら先に言ってくれ」
「はい」
宿の中から、子供の泣く声がした。
誰かが低い声であやしている。言葉までは聞き取れなかったが、その声が続いているうちは、ひとまず任せておける。
「エドガーさん」
レオンに呼ばれ、振り向いた。
道端の生け垣のそばで、男が身を起こそうとしていた。先ほどレオンに弾き飛ばされた野盗だ。
足元には剣が落ちている。
「手を見せろ」
エドガーが言うと、男の動きが止まった。
「剣から離れろ。ゆっくりだ」
男は二人を見比べ、片手を地面についたまま、もう片方を持ち上げた。
レオンが近づき、落ちた剣を遠くへ蹴る。
「縄をもらえますか」
「宿から出してもらう。そこにいろ」
エドガーは自分で取りに行かず、宿の主人を呼んだ。
戸口を空ける理由は、まだなかった。
*
空がすっかり明るくなる頃、槌を持ったドワーフが戻ってきた。
袖が裂け、頬に浅い傷がある。歩き方に変わりはなかった。
「宿の裏まで見た。潜んでる奴はいねえ」
そこでようやく、エドガーは剣先を下げた。
「何人いた?」
「村の連中の話じゃ二十は超えてる。こっちで見た分と重なってるだろうから、数はまだ分からん」
「追ってるのか」
「外れまでだ。森へ入った奴は追わせてねえ」
村には怪我人も、確かめていない家もある。
エドガーは頷いた。
縛った野盗を村人へ引き渡し、拾い集めた武器の場所を伝える。近づく前に、一人ずつ動けるか確かめてもらうことも忘れなかった。
リゼが戸口に出てきた。
袖を肘までまくり、手にした布には血がついている。
「外の方を診ます。先ほどの腕の方は、ひとまず出血が止まりました」
「まだ武器を持ってるかもしれん。先にこいつに見てもらえ」
ドワーフが短く応じ、彼女の前へ出た。
レオンは二人に場所を譲り、宿の壁際まで戻ってきた。
「怪我は?」
エドガーが尋ねると、自分の腕や胸元へ目を落とした。
「ありません」
「手も見ておけ」
「はい。エドガーさんは?」
「ない」
返事をしてから、自分でもコートを確かめる。
脇の布に短い裂け目があった。下へ指を入れてみたが、湿り気はない。
刃は、服だけを掠めていた。
*
商人と御者の親子は、まだ奥の物置にいた。
宿の主人に案内させると、三人とも靴を履き、荷物を抱えたまま出てきた。
若い御者が、庭へ続く扉を見た。
「馬を見ても?」
「俺も行く。レオン、こっちを頼む」
「分かりました」
庭門の閂は外れていなかった。
夜番の男が厩の前に立っている。手には短い棒が握られていた。
「開けずに済んだよ」
「助かった」
エドガーが言うと、男は棒を持つ手を見下ろした。
指が強く食い込み、白くなっている。
御者の親子は真っすぐ馬へ向かった。鼻面を撫で、脚を見て、繋いだ綱を一本ずつ確かめる。父親に促され、息子もいつもの順番で作業を始めた。
馬にも荷にも、目立つ被害はなかった。
エドガーは厩の外側を確かめに回った。
人目が切れたところで、手にしていた剣を消す。
空になった右手を、一度握った。
自分一人なら、弩を撃った後に距離を取れる。追われても、相手から見えなくなる場所へ退けばいい。
今日は、戸口を離れられなかった。
剣は作れた。間に合いもした。
だが、あの一瞬にコートの陰へ手を入れ、誰の目があるかまで気にしていたのは余計だった。
腰に一本、普通の剣があれば済む話だ。
買っておこう。
御者の親子が馬具を調べているところへ戻り、エドガーも荷台の縄に手を掛けた。
*
宿へ戻ると、レオンが弩を持って待っていた。
「これ、入口にあったので」
「ああ。ありがとう」
受け取り、傷がないか確かめる。
レオンは何か言いかけてから、外へ目を向けた。
戸口の向こうでは、村人が二人がかりで負傷者を運んでいた。リゼが場所を空けるように呼びかけ、宿の主人が椅子を壁際へ寄せている。
「俺、途中で追いすぎました」
エドガーは弩から顔を上げた。
「何が見えてた?」
「袋を持って逃げた男です。まだ近かったので、捕まえられると思って」
「その時、庭門は見えてたか」
レオンは少し考えた。
「……いいえ。生け垣の向こうでした」
「そうか」
エドガーは隣へ寄り、戸口から通りを見た。
朝の光の中なら、僅かな距離に見える。道を渡って数歩。それでも、立つ場所が変われば宿の脇は見えなくなる。
「追う前に一声あれば、俺もお前が戻るまでどうするか考えられる」
「はい」
「追う方がいい時もあるだろう。だが、今日はあの三人を預かってた」
レオンが奥を振り返った。
商人は食堂の椅子に腰を下ろし、両手で水の入った杯を持っている。御者の親子は、馬が無事だったことを宿の主人へ話していた。
「次は、離れる前に声を掛けます」
「ああ。俺も、もう少し早く言う」
宿の主人に呼ばれ、二人は会話を切った。
怪我人を寝かせるため、長椅子をもう一つ運んでほしいという。
レオンが片側へ回り、エドガーも反対の端を持った。
出発の時刻は、とっくに過ぎていた。
商人はそれを口にせず、自分の椅子を壁際へ引いて、二人の通り道を空けた。




