宿の前
怒鳴り声で目が覚めた。
エドガーは上体を起こし、窓へ顔を向けた。板戸の隙間が白み始めている。
外で犬が吠えていた。
続いて、硬いものを打ち鳴らす音がした。
「起きろ! 野盗だ!」
中庭からの声だった。
レオンも寝台から起き上がっている。
「装備をつけろ。廊下で合流する」
エドガーは靴へ足を入れ、腰帯を締めた。コートを羽織り、弩と矢筒を取る。
窓の端から通りを見下ろした。
広場へ続く道を、二人の男が走ってくる。先頭は寝間着姿だった。その後ろで、槍の穂先が揺れている。
追われている。
エドガーは窓から離れ、部屋を出た。
*
隣の扉を拳で叩いた。
「エドガーだ。外へ出るな。靴を履いて待っててくれ」
中で返事がした。
向かいの扉は、年配の御者が開けた。
「馬は――」
「今は行くな。息子も連れて、隣へ」
御者は何か言いかけたが、エドガーの顔を見て頷いた。
レオンが部屋から出てくる。腰には剣と短剣を下げていた。
「下を確認してくる。三人を頼む」
「はい」
階段を下りると、宿の主人が入口の閂に手を掛けていた。
外から扉が叩かれている。
「開けてくれ!」
「待て」
エドガーは主人を止め、脇の窓から外を覗いた。
さっきの寝間着の男がいた。肩で息をしながら、何度も背後を振り返っている。
槍を持った男は、向かいの家の垣根を回り込もうとしていた。宿まで、まだ通り一本分の距離がある。
エドガーは窓の陰で弩に弦を掛け、矢を載せた。
「一人入れたら閉めろ」
主人が閂を外した。
扉が開き、寝間着の男が転がり込む。エドガーはその脇を抜け、入口の外へ出た。
槍の男がこちらに気づいた。
足を止め、穂先を向ける。
エドガーは弩を肩に当てた。
弦が鳴り、男が身体を折った。槍が地面へ落ち、その後から膝が崩れる。
動きを確かめながら、エドガーは壁際へ下がった。
広場の方でも叫び声がしていた。
一人ではない。
*
背後で扉が開いた。
昨日のドワーフの隊員が、槌を手に出てきた。肩と胸には革の防具をつけている。
「広場から来てるのか」
「少なくとも一人はな。ほかは見えてない」
エドガーは弩の鐙に足を掛け、弦を引いた。
ドワーフは宿の角から中庭を覗いた。
「裏は?」
「見張りがいる。まだ確かめてない」
「仲間に見させる」
彼が中へ声を掛けると、槍を持った別の隊員が裏口へ走った。
リゼは階段から下りてきた宿泊客を、食堂の奥へ誘導していた。
「窓から離れてください。歩ける方は、こちらへ」
エドガーは扉の内側へ顔を向けた。
「主人。窓の少ない部屋はあるか」
「厨房の横に貯蔵室がある。外への扉はない」
「商人たちをそこへ入れる。裏口は閉めておいてくれ」
階段の上で待つレオンへ声を掛ける。
「三人を下ろしてくれ。厨房の横だ」
商人は小さな革袋を抱えていた。若い御者が、何も持っていない手を落ち着かなく握っている。
三人とも歩ける。怪我もない。
エドガーはそれを確かめ、入口へ戻った。
外では、ドワーフが広場へ続く道を見ていた。
女が一人、幼い子を抱えて走ってくる。その後ろを、棒を持った老人がついてきた。
ドワーフが手を振る。
「宿へ入れ!」
女が通りを渡り、老人も続いた。
リゼが入口で子供を受け取り、母親を中へ通す。
「広場にまだいる!」
老人が息を切らして言った。
「何人だ」
「分からん。家に入って、戸を叩き割ってる。向こうからも来た」
ドワーフはエドガーを見た。
「広場へ行く。あんたたちは?」
「ここを守る。依頼人が中にいる」
「分かった」
宿の裏から、槍の隊員が戻ってきた。
「裏手は今のところ見えない。門は閉じてる」
「よし。来てくれ」
二人は道を渡った。
ドワーフは広場へ向かいながら、家々へ声を張った。
「戸を閉めろ! 外へ出るな!」
レオンがエドガーの横へ出てきた。
「三人とも、奥に入りました」
「ここを通すな。庭の門も見ておけ」
「はい」
宿の正面には街道が通り、右手に中庭の門がある。向かいの家の脇道からは、広場へ出られる。
敵が見えたのは、その脇道だった。
三人。
剣が二人、斧が一人。宿の前に倒れた男を見て、足を緩めた。
「宿だ! 荷車がある!」
斧の男が叫んだ。
レオンが剣と短剣を抜いた。
*
最初の男が、剣を肩の上へ振りかぶった。
レオンの踏み込みは、それより速かった。
左の短剣が相手の刃を外へ押し、右の剣が胴を斬った。男が倒れる前に、レオンは横へ動いている。
二人目は、まだ通りへ出たばかりだった。
剣を突き出す。
レオンは半歩ずれ、相手の腕を短剣で払った。そのまま肩からぶつかると、男の足が地面を離れた。
身体が垣根へ叩きつけられる。
斧の男が足を止めた。
レオンは追って斬り込んだ。男が斧の柄を横にして受けると、乾いた音が響いた。持ちこたえられず、男の身体が大きく後ろへ崩れる。
次の一撃で、斧が手から落ちた。
エドガーは弩を構えたまま、脇道の奥を見ていた。
レオンの動きが速いことは知っていた。
だが、人を相手にすると、その差がはっきり見える。
相手が構えた時には、もう間合いの内側へ入っている。受けても押し負け、離れようとしても追いつかれる。
剣を握って向かってきた三人が、誰も宿の戸口まで届かなかった。
「レオン、そこで止まれ」
声を掛けると、レオンが足を止めた。
短く息を吐き、こちらへ頷く。
その背後、脇道の奥で弓が上がった。
「左へ避けろ!」
レオンが動いた。
矢が通りを横切り、宿の壁を叩く。
射手が次の矢へ手を伸ばしたところで、エドガーは引き金を引いた。
男が弓を落とし、道端へ倒れる。
レオンは一度そちらを見てから、また正面へ向き直った。
エドガーは壁際へ戻り、弩を下ろした。
「弦を掛け直す。前を頼む」
「はい!」
*
中庭で馬が激しく鳴いた。
エドガーは弦を引き終え、門へ目を向けた。内側から、見張りの男の声がする。
「こっちは無事だ! 馬が騒いでるだけだ!」
「門は閉めたままでいい!」
答えて矢を載せた時、向かいの家から男が飛び出してきた。
片手に袋を持ち、もう片方には短い剣がある。
その男が口笛を鳴らすと、脇道からさらに二人が出てきた。
レオンが前へ出る。
一人の剣を弾き、斬り返した。二人目が横から迫ったが、レオンは振り向きざまに蹴りを入れた。
男が後ろへ倒れ、起き上がろうとしてもすぐには立てない。
袋を持った男が、家の角へ逃げた。
レオンがそれを追った。
通りを渡り、垣根の切れ目を越える。
そこから先では、宿の右側が見えなくなる。
「レオン、戻れ!」
レオンが顔を向けた。
同時に、街道の右手から別の二人が走ってきた。中庭の門へ向かっている。
一人が斧を振り上げた。
エドガーはその男を射た。斧が門へ届く前に落ち、男が膝をつく。
もう一人は止まらなかった。
盾を前に出し、空になった弩を持つエドガーへ向かってくる。
弦を掛ける時間はない。
エドガーは戸口の脇へ弩を立てかけ、右手をコートの陰へ入れた。
指の中に柄が生まれる。
引き出した片手剣を、低く構えた。
男の剣が、盾の横から突き出された。
エドガーは刃を合わせ、身体をずらした。剣先がコートをかすめる。男が盾で押そうと踏み込んだところへ、斜めから斬り返した。
男の足が止まる。
エドガーは宿の前から離れず、剣を構え直した。
男が血のついた腿へ一度目を落とし、それからエドガーの剣を見る。
横からレオンが戻ってきた。
盾がそちらへ向く。
その隙にエドガーが踏み込み、盾の外側から剣を突き入れた。
男が倒れた。
エドガーは刃を抜き、すぐに顔を上げた。
レオンが、その手の剣を見ていた。
「右を見てくれ」
「……はい!」
レオンが中庭の門側へ動いた。
エドガーは戸口に残り、向かいの脇道へ目を戻す。
広場の方では、まだ金属の打ち合う音がしていた。
宿の中から、商人の声がした。
「エドガー、大丈夫か!」
「中にいてくれ!」
返事をして、剣を握り直した。
レオンが隣へ戻る。
今度は通りへ出ず、門と戸口の間で足を止めた。




