村を巡る人たち
部屋は二階の奥だった。
寝台が二つと、小さな卓が一つ。窓を開けると、宿の前を通る街道が見えた。向かいには垣根で囲った家があり、その脇の道が村の広場へ続いている。
エドガーは荷物を寝台の足元へ置き、窓の留め金を確かめた。
「商人さんたちは、隣でしたよね」
「ああ。御者の二人は向かいだ」
レオンも背負い袋を下ろした。肩を回してから、上着についた土を払おうとする。
「それは外でな」
「あ、はい」
上げかけた手が止まった。
エドガーは自分のコートを脱ぎ、腕に掛けた。
「下へ戻る。飯までには少しあるだろう」
「一緒に行きます」
*
中庭では、若い御者が馬の脚についた泥を落としていた。
父親は厩の中にいる。商人は荷台から小さな包みを取り出し、宿の主人と話していた。
「明日は、いつもどおりでいいか」
エドガーが尋ねると、商人は頷いた。
「朝飯を食べてから出よう。今日の坂ほど面倒な所はないはずだ」
「途中で変わってなければな」
「その時は、また見てくれ」
荷車の脇でコートの土を払い、エドガーは袖を通した。
レオンが宿の裏手へ目を向ける。
家の間から、小さな男の子を連れた女が歩いてきた。子供は片手に布を巻いているが、空いた方の手で母親の裾を引き、何かせがんでいた。
「診療は、あっちでやってるんですか」
レオンの問いに、宿の主人が顔を上げた。
「広場の集会所だよ。家まで来てもらう者もいるがね」
「いつも、ここに泊まるんですか」
「来る人は毎回同じじゃないけどな。空きがあれば、うちを使ってもらってる。ありがたい人たちだ」
主人は子供へ声を掛けた。
「手は診てもらえたか」
「うん」
「今日はもう木に登るなよ」
子供が母親を見上げた。その顔を見て、母親が先に首を振る。
レオンが小さく笑った。
巡療会は、国境を越えて町や村を巡る独立した医師団だった。治療だけでなく、魔物の討伐も手掛ける。その暮らしぶりから、渡り鳥とも呼ばれている。
街では他の医者を選べても、こうした村ではそうはいかない。宿の主人の口調にも、気安さと一緒に感謝が滲んでいた。
「少し、村を見てきてもいいですか」
レオンがエドガーへ尋ねた。
「ああ。俺も広場まで行く。戻る道は覚えておけよ」
「そんなに遠くへは行きませんよ」
商人に声を掛けてから、二人で中庭を出た。
*
広場の端では、女たちが空いた籠を手に話していた。
井戸の近くに犬が寝そべり、その鼻先を鶏が通っていく。家々から夕飯の支度をする匂いが流れてきた。
集会所の戸は開いていた。
中には卓と長椅子が並び、壁際に薬箱らしい木箱が置かれている。入口に近い椅子では、白髪の女が袖を下ろしていた。
「次に来るまで待たずに、痛みが強くなったら町で診てもらってくださいね」
リゼが言った。
「畑へは出てもいいんだろう?」
「今日は休んでください。さっき、お孫さんにもお願いしました」
「あの子は大げさなんだよ」
そう言いながらも、女は迎えに来ていた娘へ手を伸ばした。
リゼが入口の二人に気づく。
「どうかしましたか」
「散歩だ。仕事中に悪いな」
「いえ。こちらは、もう片づけるところです」
室内の奥では、袖をまくったドワーフの隊員が、卓の上の道具を布で包んでいた。腰には短い柄の槌が下がっている。
彼はエドガーを見て、片眉を上げた。
「久しぶりだな。今日は獲物を抱えてないのか」
「護衛の途中だ」
「それなら、余計な仕事がなくて何よりだ」
隊員は包みを木箱へ収め、留め金を掛けた。
前に会った時には、仕留めた魔物の傷について幾つも尋ねられた。
何を使ったのか。どのくらい離れていたのか。
答えを濁しても、相手がすぐに興味を失ったわけではなかった。今回もそちらへ話が向くなら、早めに引き上げようと思っていたが、隊員は片づけを続けている。
「その箱、運びますか」
レオンが尋ねた。
「頼めるか。底から持ってくれ」
「はい」
レオンは指示された場所へ手を掛けた。持ち上げる前に、蓋が閉まっているか一度確かめる。
「宿までですか?」
「裏口から入って、下の小部屋へ。案内する」
隊員がもう一つの箱を抱えた。
エドガーは二人が出られるよう、入口から脇へ寄った。
「エドガーさん、先に戻ってます」
「ああ」
リゼは卓に残った布を畳み、籠へ収めていた。
その横で、村の年配の男が椅子を重ねている。エドガーも近くの一脚を持ち上げると、男は軽く頭を下げた。
「そこへ重ねてくれれば助かる」
「ここでいいか」
「ああ。ありがとう」
リゼが籠を腕に掛け、男へ向き直った。
「ほかに、困っていることはありませんか。魔物が畑へ出たり、家畜が襲われたりは」
「今のところはないよ。北の林で角鹿を見た者はいるが、畑までは来ていない」
「分かりました。足跡が増えたり、近くへ出るようなら知らせてください」
「ああ。……魔物じゃないが、西の方で野盗が出たらしいとは聞いたな」
エドガーは椅子から手を離した。
「西の街道か?」
「いや、街道から外れた方だそうだ。昨日来た粉屋が言っていた。どの村かまでは、聞きそびれたが」
リゼが頷いた。
「仲間にも伝えておきます」
「何もなければいいんだがね」
「ああ」
エドガーも短く答えた。
場所も人数も分からない。明日の道が危ないと決まったわけではないが、商人と御者には伝えておいた方がいい。
リゼが男に礼を言い、集会所を出た。
エドガーも、その後へ続いた。
*
「長く、この辺りを回るのか」
宿へ戻りながら尋ねると、リゼは少し考えた。
「明日もこちらで診て、その後は二つ先の村へ行く予定です。そちらで日数がかかるかもしれません」
「待ってる人が多いのか」
「前に伺った時、次も来てほしいと言われた家が何軒かあります。皆さんが元気なら、早く済むんですけど」
道の向こうから、先ほどの子供が顔を出した。
母親に手を引かれたまま、布を巻いていない方の手を振る。
リゼも小さく手を振り返した。
「手を洗う時、布は濡らさないようにね」
「うん!」
返事だけは元気だった。
母親が会釈し、二人で家へ入っていく。
「忙しそうだな」
「今日は、皆さん歩いて来られましたから」
リゼはそう言って、籠の持ち手を握り直した。
エドガーは頷いた。
魔物の死骸の前で話した時とは、ずいぶん違って見えた。もっとも、あちらにとっては、今の仕事の方が普段どおりなのだろう。
*
宿へ戻ると、食堂にはすでに皿が並んでいた。
レオンが席から手を上げる。その向かいには商人が座り、御者の親子が水差しを回していた。
「箱は運び終わったか」
「はい。あの方、別の箱もまとめて持っていくので、結局あまり変わらなかったです」
見ると、ドワーフの隊員は奥の卓で大きな杯を傾けていた。
「運ぶ回数は減っただろう」
「それは、そうですね」
エドガーはレオンの隣へ座った。
夕飯は、厚く切った豚肉と玉葱を焼きつけ、少量の汁で蒸し煮にしたものだった。肉の端には焼き色が残り、玉葱は柔らかく崩れている。
皿を置いた女将が、籠のパンを指した。
「汁もつけて食べてね。足りなければ、まだあるから」
レオンが礼を言って肉を切った。
エドガーも一口食べた。少し噛み応えはあるが、脂と玉葱の甘みがよく合っていた。
商人がパンを割ったところで、村で聞いた話を伝える。
「西の方で野盗が出たらしい。場所ははっきりしないそうだ」
「明日の道か?」
「街道から外れた方だとは言っていた。詳しくは分からん」
「こちらへ来る途中では、そんな話は聞かなかったな」
年配の御者が息子へ目を向けた。息子も首を振る。
「朝、ほかの旅人にも聞いてみよう」
商人が言った。
「ああ。道を変えるなら、それからだな」
食事を終えた後、エドガーは宿の主人にも話を通した。
主人も噂は聞いていたが、それ以上のことは知らなかった。
夜は中庭の門に閂を掛ける。見張りは厩の脇にいて、交代で宿の周りも見ているという。
エドガーは門と裏口を一度確かめてから、部屋へ戻った。
*
レオンは寝台の端に座り、靴の縫い目を見ていた。
「ほつれたか」
「いえ。泥を落としたので、ついでに。まだ大丈夫そうです」
靴を床へ置き、顔を上げる。
「巡療会の人たち、村の人と馴染んでますね」
「何度も来てるんだろう」
「また来るって分かっていると、待っていられますからね」
エドガーは窓の外を見た。
広場へ続く道を、灯りを持った人影が歩いている。やがて家の一つへ入り、通りは暗くなった。
「明日は予定どおりですか」
「今のところはな。朝に話を聞いて、商人と決める」
「分かりました」
エドガーは弩と矢筒を寝台の脇へ置き、靴を脱いだ。歩き続けた脚が、ようやく休めるとでもいうように重くなる。
向かいで、レオンが小さく欠伸をした。
「明日も歩くぞ。寝ておけ」
「はい。おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
廊下を歩く足音がし、隣の部屋の扉が閉まった。
下の食堂では、まだ誰かが話している。皿を重ねる音に混じって、女将の笑い声が聞こえた。
エドガーは灯りを消し、横になった。




