荷台の向こう
茂みから突き出していたのは、積み荷の板材だった。
荷馬車は道を外れ、左側へ傾いて止まっている。後輪の一つが浅い窪みにはまり、荷台の縁が若木に引っかかっていた。
横転はしていない。
だが、御者台には誰もおらず、馬の姿もなかった。
エドガーは周囲へ目を走らせた。
木々の間に動くものはない。風で葉が擦れる音に混じって、小さな鳥の声が聞こえた。
「俺が向こう側を見ます」
トマスが声を落として言った。
「頼む。荷がずれそうだから、下には入るなよ」
「ええ」
板材はまだ縄でまとめられている。ただ、荷台の傾きにつられ、全体が左へ寄っていた。
トマスが前方へ回り、エドガーは道の側から荷台を見る。
縁の板が割れていた。その割れ目に、灰色の毛が数本挟まっている。
「ここに何かぶつかってる」
トマスが顔を上げた。
「こっちは馬具が切られてます」
切れた革帯の端を持ち上げて見せる。引きちぎれたようには見えなかった。
誰かが馬を放したらしい。
エドガーは顔を上げた。
「ギルドから来た! 誰かいるか!」
呼びかけが木々の間へ消えた。
二人で耳を澄ます。
少し間があって、硬いものを叩く音がした。
こつ、こつ、と二度。
トマスが荷馬車の奥を指した。
斜面の少し上に、低い石積みがある。周囲の草に隠れて見えにくいが、屋根の一部が残った小屋だった。
「……ここだ!」
今度は声が聞こえた。
「聞こえた。今、行く!」
エドガーは返事をし、トマスへ目を向けた。
「周りを頼む」
「分かりました」
*
小屋の入口には、外れた戸板が立てかけられていた。
近づくと、その隙間から男が顔を覗かせた。床に座ったまま、こちらを見ようと身を傾けている。頬には擦り傷があり、唇が乾いていた。
「ギルドからか?」
「ああ。材木屋から捜してくれと頼まれた」
商人に聞いた御者の名前を告げると、男は何度も頷いた。
「俺だ。よかった……」
張り詰めていた表情が、少し和らいだ。
「この板、どけてもいいか?」
「ああ。頼む」
エドガーは戸板を脇へ寄せた。
男は入口近くの壁に背を預け、片脚を伸ばしていた。足首の辺りが腫れ、靴の留め紐が解かれている。
「足をやったのか」
「昨日はまだ歩けたんだが、休んだら腫れてきた」
男は両手を床について腰を浮かせかけたが、顔をしかめて座り直した。
「すまん。すぐには動けそうにない」
「無理に立たなくていい。もう一人来てる。帰る方法を考えてから動こう」
男は頷いた。その目が、エドガーの腰の水袋へ向く。
「水を、少し貰えるか」
「ああ。持ってきた」
差し出すと、男は両手で受け取った。
エドガーは入口のそばにしゃがみ、飲み終わるのを待った。男の傍らには、空の水袋と小さな布包みが転がっていた。
「助かった。朝には、もうなくなっててな」
男は口元を袖で拭った。
「他に連れはいるか?」
「いや。俺だけだ」
「何があった?」
男の視線が、戸口の向こうへ動いた。
「でかい猪が出たんだ。灰色の、肩がごつごつした奴。曲がり角を過ぎたら、いきなり横から……」
そこで言葉を切り、水をもう一口飲む。
エドガーは急かさずに待った。
「荷車にぶつかってきた。馬が驚いて、道を外れてな。倒れると思って飛び降りたんだが、そこで足をひねったらしい」
灰猪で間違いなさそうだった。
「猪はそのまま逃げたのか?」
「ああ。馬も暴れっぱなしで、そっちを何とかするので精いっぱいだった。車を引っ張るもんだから、荷まで倒れそうでな」
「それで馬具を切った?」
「そうだ。馬は道へ戻って、走ってった。それきりだ」
入口にトマスが戻ってきた。
「近くは見ました。今のところ、魔物の姿はありません」
エドガーに報告し、御者の前へ膝をつく。
「一緒に来たトマスです。何か食べられそうですか?」
「ああ。ありがたい」
「パンがあります。水も足りなければ言ってください」
食料を受け取った御者は、ふと手を止めた。
「荷はどうなってる?」
「まだ荷台に載ってます。車輪は、これからよく見ます」
「そうか……」
男はパンを一口かじり、ゆっくり噛んだ。
エドガーはその間に、小屋の中を見た。
屋根の隅から空が見える。壁際には枯れ葉が吹き込み、使われなくなって久しい様子だった。
御者のすぐそばに、握れるほどの石が置いてある。先ほどはあれで壁を叩いたのだろう。
「ここまでは、自分で来たんだな」
御者は口の中の物を飲み込んでから頷いた。
「荷台のそばにいるのが怖くなってな。ここなら、入口を塞げると思った」
「猪は、ここにも来たか?」
「姿は見てない。ただ、夜に荷車の方で音がした。馬が戻ったのかと思ったが、外へ出る気にはなれなかった」
エドガーは戸口から荷馬車を見下ろした。
茂みと積み荷に遮られ、小屋からでは向こう側が見えない。足を痛めた状態で、夜中に確かめに行く気にはならないだろう。
「誰か通らなかったか?」
「誰も。車輪の音でもすれば呼ぶつもりだったんだが」
御者はパンの残りを手元に置いた。
「今日も来なかったら、這ってでも道へ戻ろうと思ってた」
「間に合ってよかった」
エドガーが言うと、男は深く息を吐いた。
「街まで帰れるか?」
「ああ。歩けないなら、運ぶ方法を考える」
隣でトマスも頷いた。
「手を貸してもらうことはあるかもしれませんが、痛むなら言ってください。無理して悪くなったら大変ですから」
「……分かった。頼む」
御者は水袋を傍らに置いた。
*
エドガーは入口でトマスを手招きした。
「荷車が使えればいいが」
「馬がいませんからね。人を乗せて引くなら、荷は下ろさないと」
「まず、動かせる状態か見よう。駄目なら板を借りて担架にする」
トマスは斜面の下へ目を向けた。
「俺が見てきます。車輪と、引っかかってるところを」
「頼む。荷を動かす時は二人でやろう」
「ええ」
トマスが小屋を離れる。
エドガーは御者を振り返った。
「ここで休んでてくれ。俺は入口にいる」
「ああ。すまんな」
「捜すのが仕事だ。見つかって助かったよ」
御者は小さく頷き、残りのパンを手に取った。
エドガーは入口の脇に立った。
荷馬車のそばへ着いたトマスが、周囲を見回してから車輪へ近づく。その姿と、木々の間へ交互に目を配った。
御者は見つかった。話もできるし、食事も取れる。
だが、まだ帰れたわけではない。
エドガーは弩を手元へ引き寄せ、トマスの確認が済むのを待った。




