いつもと違う道
「何を見た?」
エドガーが尋ねると、ガレスはギルドの入口から少し離れた。
「灰猪だ。二頭、街道を横切った」
「普通の猪じゃなく?」
「肩の骨板が見えた。御者も見てる」
灰猪は、森の奥に棲む魔物だ。灰色の剛毛と肩を覆う骨板が特徴で、湿った土を掘り返し、根や虫を漁る。
これから向かう森にもいる。だが、荷車の往来がある街道まで出てくることは少ない。
「襲われたのか?」
「いや。こっちは荷車を止めて待った。向こうは見向きもしなかったな」
ガレスは短い髭を指で払った。
「一頭が道端をうろついてるだけなら、餌でも探してると思うんだが。二頭とも、随分急いでた」
「何かに追われてたのか?」
「そこまでは見てねえ」
返事ははっきりしていた。
見たことと、そこから考えたことを分けて話す。ガレスの情報は、その点で信用できる。
「どの辺だ?」
「搬出路の分かれ道より、少し手前だ。折れた道標があるだろ」
「ああ」
「街から向かうと左手の森から出て、右へ抜けた。ギルドにも今から知らせる」
エドガーは頷いた。
「助かる。戻ったら、こっちの様子も話す」
「頼む。三日後に、また荷を通す予定なんだ」
ガレスは入口へ向かいかけて、振り返った。
「トマスにも言っとけよ」
「一緒に聞いてもらえばよかったな」
「お前が忘れなきゃ同じだ」
分厚い手が軽く上がり、ガレスは建物の中へ消えた。
*
待ち合わせた門のそばで、トマスは買い足した縄を荷に結びつけていた。
「灰猪ですか」
話を聞いて、手を止める。
「二頭とも、森から出てきたらしい」
「荷馬車の遅れと関係ありそうですね」
「かもしれん。ただ、魔物に襲われたと決めつけるのは早い。車輪が壊れて、道端で立ち往生してるだけかもしれないからな」
「まずは荷馬車を捜す、と」
「ああ。見つけたら、周りもよく見よう」
トマスは頷き、縄の結び目を引いて確かめた。
エドガーも背負い袋を下ろした。買ってきた平たいパンと干し肉は、御者の分も見込んで多めにしてある。水袋も追加したため、普段より荷が重かった。
「食い物は分けて持つか」
「貰います。そっちばかり重いと、後で文句を言われそうですし」
「言うに決まってるだろ」
「先に聞いてよかった」
トマスが包みを受け取り、自分の袋に収める。
日が高くなり、門の影は短くなっていた。
エドガーは荷を背負うと、いつもの癖で街道へ足を向けた。数歩進み、後ろから靴音が続かないことに気づいて振り返る。
トマスはまだ袋の口を締めていた。
「すみません。もうできます」
「急がなくていい。こっちが早かった」
自分の支度が済めば出発する。長く続いた習慣だった。
エドガーは道の端へ寄り、門を出てきた荷車に道を譲った。
*
街を離れてしばらくは、畑の間を道が続いた。
刈り取られた草が束ねられ、畑の端に積まれている。脇道から手押しの荷車を押してきた農夫に道を譲り、木材を積んだ荷馬車を見なかったかと尋ねた。
「今朝は見てないな。昨日は昼から畑だったから分からん」
礼を言って別れる。
少し先で出会った行商人にも尋ねたが、そちらは別の道から来ていた。
エドガーが荷馬車の特徴を説明している間に、トマスは後ろから近づく車輪の音に気づいたらしい。行商人に一言断り、その荷馬の手綱を引いて道端へ寄せた。
おかげで、通りかかった荷車を止めずに済んだ。
「家は、工房の多い辺りなんですか」
また歩き始めると、トマスが尋ねた。
「ああ。あの通りから、少し外れだ」
「じゃあ、朝は賑やかですね」
「槌の音くらいなら構わん」
「俺の宿、隣が鶏を飼い始めまして」
「起こしてもらえるな」
「隣の部屋の奴も、同じことを言いました。そいつは何が鳴いても起きないんですが」
エドガーは笑った。
「お前が起こしてるのか」
「同じ依頼の時は。放っておくと俺まで遅れますから」
「なら、そいつにとっての鶏はお前だな」
「俺にも餌くらい出してほしいですね」
「朝飯を奢らせろ」
トマスは、それはいい、と頷いた。
道の脇に木が増えてきた。
風が吹くたび、枝の影が足元を横切る。トマスは歩きながら剣帯の位置を直し、前へ目を戻した。
雑談はそこで途切れたが、気まずさはなかった。
*
折れた道標は、草に半ば埋もれていた。
ガレスの話にあった場所だ。
エドガーは立ち止まり、道の両側を見た。トマスは数歩先へ進み、路肩の手前でしゃがむ。
「こっちにあります」
街道を外れた斜面に、土のめくれた箇所があった。下草が倒れ、その先で細い枝が折れている。
エドガーも隣へ寄った。
柔らかい土に、割れた蹄の跡が残っていた。大きさの違う足跡が、重なりながら続いている。
「大きいのと、小さいのですね」
「二頭いたという話には合うな」
道の反対側にも、草を押し分けた跡があった。ガレスの見たとおり、森から出て街道を渡り、斜面を下りたようだった。
エドガーは立ち上がった。
「ここから先は追わなくていい。荷馬車の跡を見よう」
「分かりました」
トマスもすぐに腰を上げた。
依頼は灰猪の討伐ではない。足跡を追って森へ入れば、その間は御者を捜せなくなる。
近くに魔物がいるつもりで、先へ進む。それで十分だった。
エドガーは肩に掛けていた弩を手に持ち替えた。
それを見たトマスも、剣の柄にかかっていた外套の裾を払った。
*
搬出路へ入ると、道幅は一気に狭くなった。
木材を運ぶ邪魔になる枝は払われているが、轍の間には草が伸びている。日当たりの悪い場所は土が乾かず、靴底が少し沈んだ。
いくつもの車輪の跡が重なっていた。これだけでは、どれが捜している荷馬車のものか分からない。
二人は路肩にも目を配りながら進んだ。
「この辺からだったと思います」
トマスが歩みを緩めた。
曲がり角の先で、道の外側が低く落ち込んでいる。縁の土は崩れ、露出した木の根が斜面へ伸びていた。
エドガーは手前で止まった。
路肩は削れているものの、車輪が外れたような深い跡はない。足元の固い場所を選んで下を覗いたが、荷馬車も積み荷も見えなかった。
「ここじゃなさそうだな」
「もう少し先まで見てきます。茂みで隠れてるところがあるので」
「ああ。縁には寄るなよ」
トマスが道を回り込み、別の角度から斜面を確かめた。
やがて戻ってきた彼は、首を横に振った。
「ありません。木が折れた跡も」
「なら、先だ」
荷馬車が落ちていなかったことには安心した。だが、見つからないまま時間が過ぎるのも気にかかった。
エドガーは水を一口飲み、トマスにも休むよう声をかけた。
トマスは道の脇の倒木へ腰を下ろしかけ、途中で動きを止めた。
「エドさん」
声が低くなった。
倒木の向こうで、羊歯が広い範囲にわたって踏み倒されていた。跡は搬出路を斜めに横切り、反対側の茂みへ続いている。
「前から獣が通ってたのか?」
「少なくとも、先月はこんなふうにはなってませんでした」
エドガーは水袋の栓を閉め、近くへ寄った。
折れた茎は、まだ青い。土には足跡らしき窪みがあったが、落ち葉と根に邪魔され、形を読み取れなかった。
灰猪の跡を見た場所とは離れている。
同じ二頭が回り込んだのかもしれない。別の獣が通っただけかもしれなかった。
「これも、帰ったら伝えておこう」
「最近よく使ってる人なら、何か知ってるかもしれませんね」
トマスは倒木に座らず、立ったまま水を飲んだ。
休憩を短く済ませ、先へ進む。
浅い沢を渡ったところにも、岸の茂みが踏み荒らされた場所があった。エドガーが足を止めると、トマスもそこへ目を向けた。
二人とも、今度は何も言わなかった。
*
道を覆う枝の隙間から、西へ傾き始めた日が差していた。
トマスが片手を上げる。
エドガーも止まった。
道の真ん中に、木片が落ちていた。
片側に四角い切り込みがあり、折れた先は白い。枝ではなく、加工された木だった。
エドガーは周囲を見回してから、しゃがんだ。
「荷車の物か?」
「かもしれません。これだけだと、何の部品かまでは……」
トマスは答えながら、その先へ目を向けた。
「轍が」
泥に刻まれた二本の車輪の跡が、途中から大きく曲がっていた。
片方は道の縁に深く食い込み、土を押し上げている。その先には枝の折れた茂みがあり、長い板の端が数本、葉の間から突き出していた。
エドガーは弩を握り直した。
トマスもすでにこちらを見ていた。左手で道の先を示し、右手を剣の柄に添える。
エドガーは頷き、少し横へ離れた。何かが飛び出しても、互いの動きを妨げないだけの間を取る。
荷馬車らしき物は見つかった。
だが、御者の姿が見えなかった。




