木材が来ない
家の鍵を手に入れて五日目、エドガーはまだ宿で寝ていた。
屋根と梁は、大工のブルーノの検分を通った。床板の一部と裏の窓は交換が必要だったが、購入を諦めるほどではない。値段の話もまとまり、鍵を受け取った時には、ようやく自分の家ができたと思ったものだ。
その翌朝、台所の床が剝がされた。
「今なら床下もまとめて直せる」
ブルーノの言うことはもっともだった。
もっともだったので、宿代はもうしばらく必要になった。
*
市場で買ったパンを抱えて家に着くと、開け放した窓から木を削る音が聞こえた。
「おはよう。差し入れだ」
エドガーが包みを掲げると、床に膝をついていた若い徒弟が顔を上げた。
「そこの台にお願いします。今、手が粉だらけなんで」
「親方より先に選んでおけ。肉入りは二つしかない」
「聞こえてるぞ」
奥からブルーノの声がした。
エドガーは包みを置き、壁際に立てかけられた天板を見る。内見の時には黒ずんでいた木目が、削られて明るくなっていた。端に小さな焦げ跡が残っているが、それも気にならなかった。
「これは残すんだな」
「削りすぎると薄くなる。気になるか?」
「いや。どうせ俺も焦がす」
「鍋敷きを使え」
ブルーノはそう言いながら、腰を伸ばした。
台所の窓には、まだ古い枠が残っている。床板は入口から途中まで張り直され、その先には床下が口を開けていた。
「板が足りないのか?」
エドガーが尋ねると、ブルーノは渋い顔になった。
「昨日来るはずだった分が、まだだ」
「店にないのか」
「厚みを揃えるだけなら何とかなるが、乾きの足りない材は使いたくない。後から縮んで隙間が開くぞ」
そこへ粉や油が入り込む様子を想像して、エドガーは頷いた。
「待とう」
「そう言うと思った。こっちは建具を先にやる」
ブルーノがパンの包みを開く。肉入りを一つ取ったところで、徒弟から「あ」と声が上がった。
「もう一つある」
「そっちは俺のです」
「なら何の声だ」
エドガーは笑い、空いた台の隅に腰を預けた。
「商人には聞いたのか?」
「朝に使いを出した。向こうも荷を待ってるらしい」
「ギルドへ行くついでに、顔を出してみる」
「急がせても木は乾かんぞ」
「分かってる。届いてるなら、運ぶ方は手伝える」
かまどは使える。鍋も買ってある。塩と香草の置き場所まで決めた。
足りないのは、鍋の前に立つための床だった。
*
ブルーノが普段から材を仕入れている店は、荷車が行き交う通りに面していた。
エドガーも、家を買う前に一度連れてこられている。板の値段を聞き、必要な枚数を聞き、最後に合計を聞いて黙った店だ。主人はその顔を覚えていたらしい。
「ブルーノのところか」
帳簿から目を上げるなり、そう言った。
「ああ。まだ来ないそうだな」
「悪いな。お前の家の分だけじゃない。まとめて届く予定だったんだが」
主人は帳簿の一行を指で押さえた。
「昨日の昼には着いていいはずだった。今朝までには、と思って待ってたんだがな」
「連絡は?」
「ない」
店の脇には、荷を積んでいない荷車が止まっている。その奥で、店員が縄を巻き直していた。
「迎えを出すのか?」
「車輪でも壊れたなら、それで済む。だが、何があったか分からんうちに、うちの者だけ行かせるのもな」
主人は帳簿を閉じた。
「昼になっても来なけりゃ、ギルドに頼もうと思ってたところだ」
木材の遅れだけを気にしている顔ではなかった。
「御者は馴染みか」
「ああ。何度も頼んでる。遅れる時には、人に伝言くらいは頼む男だ」
エドガーは袖口についた木屑を払った。
昨日の昼からなら、まだ大幅な遅れとは言い切れない。荷崩れを直しているのかもしれないし、道が塞がって迂回しているのかもしれない。
だが、商人は普段の往復にかかる時間を知っている。その男が依頼を考えているなら、待つ理由もなかった。
「今から行くか」
「ギルドへ?」
「俺もそのつもりだった。道すがら話を聞く」
主人は店員に声をかけ、上着を取った。
*
午前の混雑が引き始めたギルドでは、受付前の長椅子が半分ほど空いていた。
商人が用件を告げると、若い受付の女性が、出発地と予定の日取り、御者の名前を書き留めた。荷馬車ごと戻っていないと聞いたところで、奥へ声をかける。
出てきたのは、窓口を取りまとめるマルクだった。エドガーと同年配で、依頼の条件を相談する時には大抵この男が相手になる。
「お前が受けるのか?」
「条件次第だ」
「家の材が載ってるからって、安請け合いするなよ」
「まだ何も言ってないだろ」
マルクは商人から事情を聞き直すと、近隣の道を記した地図を出した。
「荷の回収まで含めるなら、一人じゃ面倒だぞ」
「見つけた先の状態にもよるな」
「御者が怪我をしてることも考えろ。誰か連れていけ」
それはそうだった。
荷馬車が道を塞いでいれば動かす手が要る。歩けない人間を運ぶなら、その間に荷を守る者も欲しい。
エドガーが地図を見ていると、背後から声をかけられた。
「エドさん、何か探すんですか?」
振り向くと、片手に報告書を持った冒険者が立っていた。
トマスだった。二十代も後半の、働き盛りの男だ。この街に来た頃から仕事の相談に乗っているが、今ではこちらからも安心して頼める相手になっていた。
「荷馬車だ」
「大きいですね」
「見つけやすいといいんだがな」
トマスは商人にも会釈し、地図の脇へ回った。
「どの道です?」
「こっちから来るはずだった」
商人が示すと、トマスは街道から分かれた道の途中を指した。
「先月通りましたよ。ここ、路肩が崩れかけてました」
「荷車が落ちるほどか?」
「真ん中を通れば大丈夫でした。ただ、すれ違う時には寄せすぎない方がいいですね」
マルクが地図の横に置いた紙へ書き足す。
道を知っていて、周りを見る目もある。力仕事を嫌がらず、御者や商人との話も任せられる。
エドガーはトマスの持つ報告書へ目をやった。
「今の依頼は終わりか?」
「これを出せば。次はまだ決めてません」
「なら、一緒に行くか」
トマスは笑った。
「そのつもりで声をかけました」
話は早かった。
行方の確認と、生存者の救助を優先する。荷の回収は現場で判断し、二人の手に余るなら戻って人を出す。魔物が出た場合も、捜索を放り出して追い回す必要はない。
マルクが整理した条件を聞き、商人が報酬を確認する。
エドガーは隣のトマスと顔を見合わせてから頷いた。
「それで受けよう」
手続きの間、トマスが声を落とした。
「家、買ったんですね」
「耳が早いな」
「さっきマルクさんが話してたでしょう。もう住んでるんですか?」
「台所に床が戻ったらな」
「床がない?」
「直してる最中だ。今回の材を待ってる」
トマスが一度まばたきをしてから、口元を緩めた。
「ああ。それは早く戻ってきてもらわないと」
「鍋だけ先に買っちまった」
「エドさんなら、庭でも煮炊きできるでしょう」
「家まで買って、なんで野営しなきゃならん」
トマスが笑った。
「引っ越しで重い物があったら呼んでください」
「助かる。飯くらいは出す」
「じゃあ、腹を空かせて行きます」
こんなふうに、手を貸すと言いながら、こちらに大げさな礼を言わせない男だった。
エドガーは地図へ目を戻した。
荷馬車が動けるなら、トマスに御者と一緒に戻ってもらえる。動かないなら、二人でできるところまで道を空ける。怪我がひどければ、荷は後だ。
相手が決まると、考えることも具体的になった。
「昼には出るぞ」
「分かりました。縄を多めに持ってきます」
「俺は食い物を買ってくる。御者の分もな」
*
ギルドの扉を押したところで、向こうから来た男と鉢合わせた。
背はエドガーの肩ほどだが、身体の幅は大きい。短く整えた髭に道の埃が残り、分厚い手が扉を押さえていた。
「おう。今から仕事か」
ドワーフのガレスだった。仲間を率いて護衛や討伐を請け負っている、顔馴染みの冒険者だ。人手が必要な時に声をかけ合うほか、街道の様子なども教え合っている。
「荷馬車の捜索だ。木材を積んだのが戻らん」
「どっちの道だ?」
「森の搬出路から、街道へ出てくるはずだった」
ガレスの目が少し細くなった。
「トマスと二人で行く」
「そうか。なら、先に話しておく」
エドガーは扉から手を離した。
ガレスは背後を通る者に場所を空け、入口の脇へ寄った。冗談を続ける顔ではなかった。
「昨日、あっちで妙なものを見た。普段なら、あんなところまで出てこない奴だ」




