柵を直す人たち
大角鹿は、柵を越えると足を止めた。
太い首を傾け、二人を見比べる。角の先には、折れた枝が絡んでいた。
エドガーは弩を肩に当てた。
「少し離れろ。突っ込んできても、二人まとめて追われないように」
「はい」
レオンが横へ動いた。
鹿の顔が、そちらを向く。
「射るぞ」
弦が鳴った。
矢は肩の後ろへ刺さった。大角鹿が身を震わせ、鋭く息を吐く。
倒れない。
頭を低くすると、エドガーへ向かって走り出した。
エドガーは弩を下げ、突進を避けるために動いた。
「こっちだ!」
レオンが声を張った。
駆け寄り、鹿の脇へ剣を振る。
刃を受けた大角鹿は足を乱し、レオンへ角を振り向けた。その間に、エドガーは距離を取った。
弦を引き、次の矢を置く。
角を避けたレオンが、下がりながら声をかけた。
「まだ動けます!」
分かっている。
大角鹿は血を流していたが、脚の力は残っていた。レオンを追い、何度も頭を振る。
レオンは斬り込まず、角の届かない間合いを保っていた。
「撃てるぞ」
「離れます!」
レオンが大きく退いた。
追おうとした鹿へ、エドガーは二射目を放った。
矢を受けた大角鹿がよろめく。
それでも数歩進み、ようやく前脚を折った。角が地面を掻き、重い胴が横倒しになる。
「まだ近づくな」
レオンが足を止めた。
エドガーも弩を構え直し、倒れた身体の動きを見守った。
*
息絶えたことを確かめてから、二人は武器を下ろした。
レオンが袖で額を拭う。
「角、思ったより広かったです」
「ああ。身体を避けても引っかかる」
「正面で受けなくてよかった」
近くで見る大角鹿は、立っていた時よりも大きく感じた。
角の枝は太く、先端には土が詰まっている。これで押されたのなら、新しい柵が折れたのも分かった。
「怪我は?」
「ありません。そっちは?」
「同じだ」
レオンは頷き、剣の刃を確かめた。
エドガーは矢筒へ手をやった。
前の仕事で話したとおり、次を撃てるようになったところで声をかけた。レオンはそれを聞いて離れた。
合図が通じれば、待つところと動くところが分かる。
「さっきは助かった」
「こっちに向いてくれましたね」
「ああ。矢を継げた」
レオンは少し笑った。
「今度は、音だけで判断しなくて済みました」
*
周辺を確かめてから、一度村へ戻った。
牧場主は討伐の報告を聞くと、すぐに修理道具へ手を伸ばした。
「今からなら、柱を一本くらいは――」
「今日は後始末を先にする。作業を始めるなら、明日の朝からにしてくれ」
エドガーが言うと、男は手を止めた。
まだ日は高かったが、死骸は大きい。処理を終える頃には、まとまった作業時間は残らないだろう。
「そうか。じゃあ、明日は早く出よう」
「ああ。今日のうちに材料をそろえておいてくれ」
死骸を処分する場所を相談し、運ぶための綱と、燃料を用意してもらう。
レオンは村人と一緒に綱を確かめていた。
「これなら持ちますね。もう一本、借りられますか」
「納屋にある。取ってくる」
エドガーは処理に使う道具を出しながら、放牧地へ続く坂を見た。
討伐は済んだ。
だが、依頼はまだ終わっていなかった。
*
翌朝、五人の村人と放牧地へ向かった。
荷車が入れる所までは、まとめて材料を運ぶ。その先は丸太や横木を手で担ぎ上げた。
レオンも一本持とうとしたが、エドガーが声をかける前に、林へ目を向けて手を離した。
「先に上を見てきます」
「一緒に行こう」
二人で放牧地を確かめ、安全を確認してから村人を呼ぶ。
道具が下ろされ、古い柱の周りを掘り返す作業が始まった。
鍬が土を打ち、石に当たるたびに硬い音を立てる。牧場主は掘り出した土を足で寄せ、横から柱を揺すった。
柱は動かなかった。
「まだ深いな」
「昨日も言ったろ。根元がしっかりしてるんだ」
村人の一人が笑い、鍬を持ち替えた。
レオンは少し離れて周囲を見ていたが、作業の音が止まると、そちらへ顔を向けた。
エドガーは林側を見ながら言った。
「気になるか」
「ええ。あれ、抜けそうで抜けないんですよ」
「知ってるんだな」
「家の柵でもやりました。父に、まだ引っ張るなって何度も言われて」
エドガーは口元に笑みを浮かべた。
「もう少し掘らせろ」
「はい」
*
昼前、古い柱がようやく抜けた。
土のついた根元が転がると、村人たちは腰を伸ばした。
「これを二本か」
一人が言い、別の一人が水袋を渡した。
レオンが林から戻ってくる。
「向こうは変わりありません」
「分かった。交代で休もう」
エドガーが腰を下ろすと、牧場主も隣へ来た。
村から持ってきた籠には、パンとチーズ、それにゆで卵が入っていた。男は二人にも食べるよう勧めた。
レオンは礼を言い、警戒を続けながらパンを受け取った。
「羊は、いつ戻せそうだ?」
エドガーが尋ねると、牧場主は作業中の柵を見た。
「明日、全部確かめてからだな。村の囲いじゃ狭すぎる」
「餌も運ぶんですか」
レオンが言った。
「ああ。あそこじゃ草が足りん。家の者が刈って運んでる」
「それは大変ですね」
牧場主は頷き、卵の殻を剥いた。
「魔物が一頭いるだけで、こっちは毎日仕事が増える」
エドガーはパンを噛みながら、昨日倒した大角鹿を思い出した。
ギルドで読む依頼書には、柵の破損と家畜への被害が書かれていた。
その間に誰が餌を運び、どの仕事が後回しになっているかまでは、ここへ来なければ分からない。
牧場主は剥いた卵を口へ運び、残った材料の数を目で追っていた。
*
午後、新しい柱を据えるところで、レオンがエドガーを見た。
「少し手を貸してもいいですか」
「ああ。その間は俺が見る。声をかけたら離れろ」
「分かりました」
レオンは剣を邪魔にならない位置へ直し、村人の輪へ入った。
「どこを持てばいいですか?」
言われた所へ手をかける。
柱を持ち上げると、支えていた村人が驚いた声を上げた。
「おい、軽くなったぞ」
「傾きを見てもらえますか。このまま下ろします」
「もう少し、こっちだ」
レオンは指示に合わせて柱を動かした。
穴へ収まると、村人が周囲へ土と石を入れる。その間、レオンは柱をまっすぐに支え続けた。
エドガーは一度だけその様子を見て、林へ視線を戻した。
レオンは、自分の力で作業を進められる。
どこへどう据えるかは、村人に聞いている。
声が弾んでいた。役に立つのが嬉しいのだろう。
「助かった。もう離していいぞ」
やがて牧場主が言った。
レオンは柱から手を放し、土のついた掌を払って戻ってきた。
「今の一本で、随分進みました」
「ああ」
「もう一本も、明日手伝えそうです」
「周りを見てからな」
「はい」
返事をして、レオンはエドガーと反対側へ目を向けた。
*
その日は、一か所目の修理を終えたところで村へ戻った。
夕飯には、豆の汁物と、薄く切って焼いた羊肉が出た。
肉は少し歯応えがあったが、焼き目のついた脂が香ばしい。レオンはパンに載せて食べ、皿に残った汁まで拭った。
食後、借りた納屋へ戻ると、乾いた藁の匂いがした。
エドガーは壁際へ荷物を置き、靴の紐を緩めた。
「今日は、立ってる時間の方が長かったですね」
レオンが手甲を外しながら言った。
「何も来なければ、それでいい仕事だ」
「ええ。明日には羊を戻せそうですし」
レオンは、自分の掌を見ていた。
柱を支えた時についた細かな擦り傷がある。水で洗った時にも確かめていたから、エドガーは何も言わなかった。
「家の手伝いを思い出したか」
「少し。ああいうのを見ると、つい手を出したくなります」
「今日は助かっただろうな」
「なら、よかったです」
レオンは布を畳んでしまった。
外では、羊の鳴き声に混じって、誰かが桶を置く音がした。
明日も朝から作業になる。
エドガーは毛布を広げ、灯りを置く場所を確かめた。
今日は二人とも、早く眠れそうだった。




