柵の向こう
翌朝、エドガーが台所へ降りると、レオンは既に朝食を終えていた。
卓には、パンとチーズが残してある。
「今日は早いな」
「剣を見てもらいに行こうと思って。刃こぼれはないんですけど、少し気になるところがあって」
「鍛冶屋か」
「はい。その後、ギルドへ寄ります」
エドガーは水を飲み、椅子へ座った。
「俺も後で行く」
「じゃあ、会うかもしれませんね」
レオンは食器を片づけ、剣を腰へ下げた。
玄関の扉が閉まる。
エドガーはパンをちぎりながら、窓際の揺れる椅子へ目をやった。
昨夜は少しだけ休むつもりが、レオンに声をかけられるまで寝ていた。
座り心地は申し分ない。
ただ、寝る前の支度は先に済ませた方がよさそうだった。
*
ギルドへ着くと、レオンは受付にいた。
マルクの説明を聞きながら、卓に広げられた紙を見ている。
エドガーに気づくと、手を上げた。
「今、声をかけようと思ってました」
「何かあったか」
「牧場の仕事です。柵を直す間の護衛なんですが」
マルクが紙をこちらへ向けた。
街から北西へ半日ほどの村だった。放牧地に魔物が入り、家畜を囲う柵が二か所壊されている。
「大角鹿が一頭、繰り返し現れているそうです。羊は村の近くへ移しましたが、このままだと放牧地を使えません」
「怪我人は?」
「今のところは。ただ、柵を調べに行った者が追い払われています」
エドガーは依頼書を読んだ。
魔物の討伐と、柵の修理中の警戒。
作業は村人が行い、冒険者が周囲を見る。日程は三日を見込み、延びた場合の報酬も書かれていた。
「大角鹿、見たことはあるか」
レオンに聞くと、頷きが返ってきた。
「遠くからなら。近くで戦ったことはないです」
「雄の角は横にも広い。頭の正面だけ避けたつもりでも引っかかる」
「なるほど」
レオンは討伐対象の欄を見直した。
大角鹿は、普通の鹿よりひと回り以上大きい。成長した雄は枝分かれした太い角を持ち、縄張りへ入った者を追い立てる。
弩で倒せない相手ではないが、近づけたくはなかった。
「前と同じように、こっちで止めればいいですか?」
「まずは近づかせずに済む場所を探す。止めるなら、その後だ」
「分かりました」
マルクが二人を見た。
「組んで受けますか?」
エドガーは日程を確かめた。
ほかの約束はない。
「俺は行ける」
「こちらも大丈夫です」
レオンが答えた。
*
買い出しを済ませ、家へ戻る途中で魚売りの前を通った。
桶の中には、今朝獲れたという川魚が並んでいた。
エドガーが足を止めると、店主が一尾を持ち上げた。
「焼くなら、これがいいよ」
「二尾くれ。腹も出してもらえるか」
「あいよ」
レオンが横から覗き込んだ。
「今夜ですか?」
「ああ。明日から留守にするし、食いきれる物にしよう」
夕方、魚に塩を振って焼くと、皮から脂がにじんだ。
レオンが皿を用意する間に、エドガーは焼けた二尾を火から下ろした。残っていた野菜の汁物を温め直し、パンと一緒に卓へ運ぶ。
「皮、いい色ですね」
レオンは香ばしく焼けた所を少し剥がし、身と一緒に食べた。
エドガーも骨を外しながら頷いた。
「今日のは脂があるな」
「次もあの店で買いましょう」
食後は、前の仕事で分けた道具をもう一度確かめた。
小鍋はレオン、縄はエドガー。
相談は、前より短く済んだ。
*
翌日、村へ着いたのは昼を少し回った頃だった。
畑の間を抜ける道の先に、家々と納屋がまとまっている。村の入口に近い囲いには羊が詰め込まれ、鳴き声が絶えなかった。
水桶を運んでいた女に声をかけると、牧場の主を呼んできてくれた。
主は日に焼けた、痩せた男だった。
エドガーが依頼書を見せると、男は二人を納屋の前へ案内した。そこには柵に使う丸太と横木が積まれている。
「これを上へ運びたいんだが、あいつが出るんじゃ人を出せん」
放牧地は、村から坂を上がった先にあるという。
「最後に見たのは?」
「昨日の夕方だ。柵の内側にいた」
「今日、誰か行ったか?」
「いや。来てもらえると聞いてたから、待ってた」
エドガーは頷いた。
「先に二人で見てくる。修理の人数は?」
「俺を入れて五人。穴を掘り直して、柱を据える。全部で二日は欲しい」
レオンが積まれた丸太を見た。
「古い柱も抜くんですか?」
「ああ。折れた根元が残ってる」
「家でもやりました。抜く方が大変ですよね」
牧場主が、初めて少し表情を緩めた。
「そうなんだ。腐って折れたんなら楽なんだがな。今回はまだ新しい」
レオンは丸太の端へ手を置き、放牧地まで運ぶ道を尋ねた。
牧場主の説明を聞いてから、エドガーへ顔を向ける。
「荷車が通れるのは途中までだそうです。作業中だけじゃなくて、運ぶ時も見ておいた方がよさそうですね」
「ああ。道も確かめよう」
*
納屋で休み、持参した昼食を済ませてから、二人は放牧地へ向かった。
牧場主には村に残ってもらった。
坂道の途中には車輪の跡があったが、上へ行くにつれて細くなる。最後は人と家畜が通る道になり、その先に柵が見えた。
放牧地は林に接していた。
草は短く、柵の内側なら遠くまで見通せる。林から離れれば、弩を使うには悪くない場所だった。
今は魔物の姿がない。
エドガーは周囲を見渡してから、壊れた柵へ近づいた。
横木が外れ、柱が一本、根元から折れている。
「こっちから押したんですね」
レオンが言った。
横木は放牧地の内側へ倒れていた。柱の傷には、硬い物で擦った跡が残っている。
エドガーは足元を見た。
大きな蹄の跡が、柵の切れ目を何度も通っていた。
「穴が空いてからも、ここを使ってるな」
「塞いでも、また来そうですね」
「ああ。先に片づけないと、修理にならん」
二人は柵に沿って歩き、もう一つの破損箇所も確かめた。
こちらは柱が傾き、横木が落ちていた。どちらも林に近い。
レオンは放牧地を振り返った。
「作業の人に下がってもらうなら、入口の方ですね」
「そうだな。材料もそっちへ置いてもらおう」
エドガーは林へ目を戻した。
下草の間に、枝先のようなものが見えた。
動いている。
「来たぞ」
レオンが剣の柄へ手を置いた。
木々の間から、大角鹿が姿を現した。
肩はレオンの胸ほどもある。太い首を起こすと、広がった角が低い枝を揺らした。
鹿は柵の切れ目で止まり、二人を見た。
鼻を鳴らす。
エドガーは弩を上げ、レオンはその横で静かに剣を抜いた。
「柵から離れるぞ」
二人が草地へ下がると、大角鹿は壊れた柵を越えてきた。




