留守のあいだ
レオンが出かけた翌朝、エドガーも家を出た。
戸締まりを確かめ、鍵をしまう。
庭の椅子には布を掛けてあった。ブルーノに頼んでいる曲がった脚が届けば、ようやく形になる。
帰ってからでいい。
エドガーは背負い袋を掛け直し、南門へ向かった。
*
布を積んだ荷車は、二台とも既に着いていた。
顔見知りの御者に挨拶し、もう一人の護衛と引き合わされる。日に焼けた、槍持ちの男だった。
互いの名前を告げ、前後の配置を決める。
ほどなく門が開き、荷車は街道へ出た。
車輪の軋む音を聞きながら歩く。
御者は道の悪い所をよく知っていて、窪みの手前で馬を緩めた。休憩も、以前と同じ水場で取った。
慣れた仕事だった。
向こうの町へ着くまでに魔物と出会うことはなく、二日目の夕方には宿へ入れた。
翌日は商人が布を卸し、帰りの荷を積む。
エドガーたちは交代で荷車を見張り、空いた時間に道具の手入れを済ませた。
*
帰り道の朝、細かな雨が降った。
荷には覆いが掛かっていたが、道のぬかるみまでは防げない。御者は急がず、昼の休憩も短く切り上げなかった。
その分、宿へ入ったのは遅い時刻になった。
エドガーは濡れた外套を吊るし、靴についた泥を落とした。
食堂では、豆と燻製肉の煮込みが出た。
向かいの護衛は早々に食べ終え、明日の道について御者と話している。
エドガーは残った汁をパンで拭いながら、今頃レオンは家へ戻っているはずだと思った。
水路の仕事も、雨になる前に終わっていればいい。
ガレスたちと組んだのだから、何かあればギルドへ知らせが入るだろう。
それ以上考える材料もなく、水を一口飲んだ。
隣の卓へ、焼き菓子の皿が運ばれていく。
薄い生地に胡桃が載っていた。
前にこの宿へ泊まった時にも食べた。甘さは控えめだが、胡桃が香ばしかった覚えがある。
エドガーは給仕を呼んだ。
「あれ、明日持っていけるか」
「包んでおきましょうか」
「ああ。二つ頼む」
*
フェルデンへ戻ったのは、予定していた五日目の午後だった。
商人の倉庫まで荷を届け、ギルドで報告を済ませる。
家へ向かう道は乾いていた。こちらでは雨が降らなかったらしく、通りにはいつものように露店が並んでいる。
角を曲がると、自分の家の窓が開いているのが見えた。
庭から、木槌を打つ音がした。
エドガーは門を開け、そのまま庭へ回った。
「戻ったぞ」
レオンが顔を上げた。
作業台のそばには、前掛け姿のブルーノもいる。
「おかえりなさい」
「ちょうどいいところに帰ってきたな」
ブルーノが言った。
作りかけだった椅子には、曲線を描く二本の脚が取り付けられていた。
座面や肘掛けは見慣れている。それでも脚がつくと、別の物に見えた。
「今日、届いたのか」
「ああ。こいつが戻ってるって聞いたんで、持ってきた」
ブルーノは接合部を指で押し、ぐらつきがないか確かめた。
「留めるところは終わった。後は磨いて仕上げだ」
「座っても?」
「そのために置いてある。ゆっくりな」
エドガーは荷物を下ろした。
肘掛けに手を置いて腰を下ろすと、椅子がわずかに後ろへ動いた。
思わず足へ力が入る。
「倒れませんよ」
レオンが言った。
「分かってる」
言いながら、もう一度背を預けた。
椅子は小さく揺れ、自然に戻ってきた。
背中を支える板の角度も、肘を置く高さも悪くない。長く歩いた脚から力が抜けた。
ブルーノが横から覗き込む。
「どこか当たるか?」
「いや。ちょうどいい」
「立ってみろ。そっちも確かめる」
もう少し座っていたかったが、エドガーは立った。
ブルーノは一通り確かめると、レオンへ残りの作業を伝えた。
「角を磨く時、削りすぎるなよ。形はもう出来てる」
「はい」
「仕上げを塗ったら、乾くまで使わんことだ」
エドガーも頷いた。
使えるようになるのは、もう少し先だった。
*
ブルーノを見送った後、エドガーは上着を脱ぎ、手と顔を洗った。
台所へ戻ると、湯が沸いていた。
レオンが茶を淹れ、卓へ運んでくる。
「仕事、予定どおりでした?」
「ああ。昨日は雨だったがな。そっちは?」
「三日で終わりました。泥には入りましたけど」
エドガーは顔を上げた。
「ガレスが言ってたとおりか」
「作業の人が、泥に足を取られたんです。腕を引いたら、その人の靴だけ残って」
レオンは椅子へ座り、両手で杯を包んだ。
「靴も拾おうとしたら、ミラさんに止められました。棒を使えって」
「正しいな」
「結構深かったんですよ。見た目だと分からなくて」
ガレスが長い棒を借り、引っかけて取ったのだという。
魔物は、水際に小さなものが二度出た程度だった。
それより、離れて作業しようとする者を呼び戻したり、休憩の間も水辺を見ていたりする方が忙しかったらしい。
「草がなくなると、岸の端がよく見えるようになるんです。初日と最後じゃ、歩きやすさも違いました」
「毎年頼むだけのことはあるな」
「ええ。また人が足りなかったら呼ぶって、ガレスさんが」
レオンは茶を飲んだ。
エドガーも自分の杯へ手を伸ばす。
留守の間にも、レオンの仕事相手は増えていた。
話す内容も、自分が見てきたものとは違う。
「そうだ。買ってきた物がある」
エドガーは荷物から焼き菓子の包みを出した。
道中で少し欠けていたが、潰れてはいなかった。
「胡桃ですか?」
「ああ。泊まった宿で焼いてる」
「いただきます」
皿へ分けると、レオンは一口かじり、残りの断面を眺めた。
「これ、うまいですね」
「前に食って、覚えてた」
「次にその町へ行ったら、宿を教えてください」
エドガーは宿の場所を話した。
市場の近くで、裏庭に荷車を入れられる。夕飯は早めに頼まないと、出来上がるまで待つことになる。
レオンは菓子を食べながら聞いていた。
*
揺れる椅子を使い始めたのは、それから数日後だった。
レオンは自分の仕事の合間に仕上げを済ませ、十分に乾かしてから、エドガーと二人で家へ運び込んだ。
窓のそばに置き、前後に動かしても壁や卓へ当たらないことを確かめる。
夕食の後、エドガーはそこへ腰を下ろした。
昼の熱が抜けた風が窓から入り、干した布の端を揺らしていた。
レオンは、先に買い取った低い椅子に座っている。
膝には書きかけの手紙があった。
「実家か?」
「今日は、前の仲間に。椅子が二つ出来たって書こうと思って」
レオンは紙へ目を落とした。
エドガーは椅子を軽く揺らした。
買った家に、長さを合わせた寝台と、使いやすい台所が出来た。
今度は、自分の身体に合う椅子まである。
思っていたより、居心地がよくなっていた。
「どうですか」
レオンが顔を上げた。
「いいな。長く座ってても疲れなさそうだ」
「よかった」
そう言って、また手紙へ戻る。
エドガーは続きを書く邪魔をしないよう、杯を静かに置いた。
しばらく、紙の上を筆が走る音だけがした。
何か話さなければと思うことはなかった。
レオンも、こちらを気にしている様子はない。
エドガーは背もたれへ身体を預け、目を閉じた。
少し休んだら、明日の支度をしよう。
そう考えたところで、椅子の揺れがゆっくり止まった。




