椅子の置き場所
レオンが作業に来る日は、前もってギルドで話をするようになった。
互いに仕事があるので、毎日ではない。
朝から来る日もあれば、昼過ぎに材料を運んでくるだけの日もあった。雨が降れば、無理に道具を広げず、台所で図を見直した。
エドガーは、そのたびに予定を確かめた。
家に人がいる間は、生成した刃物を使わない。
それさえ気をつければ、困ることはなかった。
*
椅子作りを始めて十日ほど経った午後、ブルーノが裏庭へ来た。
レオンの椅子は、ようやく形になっていた。
工房で教わりながら加工した部材を、何度も合わせ直した物だ。座面は低く、肘掛けの内側には十分な幅がある。
ブルーノは背もたれに手を掛け、脚のつなぎ目を順に見た。
「ここ、削り直したな」
「少し、きつすぎたので」
「今度は削りすぎなかったか」
「端材で試してからにしました」
ブルーノは頷き、椅子を平らな石敷きへ移した。
座り、体重を掛ける位置を変える。立ち上がってから、もう一度裏側を覗いた。
「よし。これなら使える」
レオンが大きく息を吐いた。
「ありがとうございます」
「塗った油が落ち着くまで、敷物は載せるなよ。それと、使って緩みが出たら持ってこい」
「はい」
エドガーは家の戸口から、そのやり取りを見ていた。
「俺の方は?」
「脚は工房にある。こっちが片づいたら、続きだ」
ブルーノが答えた。
「待ちきれんか」
「座る場所が欲しくて頼んだんだからな」
「今ある椅子で、もう少し我慢しろ」
*
数日後、レオンは椅子に敷くための厚い座布団を持ってきた。
町の古道具屋で見つけた物に、新しい布を掛けたという。
エドガーが家の戸を押さえ、レオンが椅子を中へ運ぶ。肘掛けを少し斜めにすると、入口を無事に通った。
「通ったな」
「測りましたから」
「何度もな」
レオンは笑い、窓際へ椅子を置いた。
座布団を載せ、背中にも小さなクッションを当てる。
まず自分で座った。
靴を脱ぎ、脚を座面へ上げる。少し身体を動かしてから、深く背を預けた。
「ああ、いい」
思わず漏れたような声だった。
エドガーは肘掛けへ手を置いた。
「俺も座っていいか」
「どうぞ」
レオンが席を譲る。
エドガーは腰を下ろした。
座面は思ったより低い。だが、背を預けると、腿の下に窮屈なところがなかった。肘を置けば肩の力も抜ける。
前へ足を伸ばした。
「……これは楽だな」
「もう少し背もたれを倒すか迷ったんですけど、起き上がりにくくなりそうだったので」
「ああ。これくらいでいい」
エドガーはしばらく座っていた。
レオンが卓から図を持ってくる。出来上がった物と見比べているのを、椅子の上から眺めた。
「宿には聞いたのか」
「はい。部屋に置くなら、今ある椅子を下げてくれるそうです。ただ、これを置くと、荷物を広げる場所があまりなくて」
「だろうな」
「食堂に置く話もしたんですけど、同じ場所に二人座れる長椅子があるからって」
レオンは肘掛けを撫でた。
「できたのは嬉しいんですけどね」
エドガーは背もたれから身体を起こした。
「なら、これを買わせてくれないか」
レオンが顔を上げる。
「これを、ですか」
「ああ。気に入った」
「でも、揺れる方も作りますよ」
「それも頼む。こっちは客が来た時にも使えるし、気分で座り替えたっていいだろ」
レオンは少し考え、椅子と部屋を見比べた。
「使ってもらえるなら、俺も嬉しいです」
「値段を決めよう。材料代と、作った分の手間賃だな」
「手間賃って言っても、教わりながらですし」
「だからといって、材料代だけじゃ売ることにならん」
エドガーが言うと、レオンは困ったように笑った。
「いくらにしたらいいのか、分からなくて」
「それなら、ブルーノに聞いてみるか」
レオンは頷いた。
*
次に工房へ行った時、ブルーノは話を聞くなり笑った。
「置き場所が決まったか」
「ここまで来たら、宿へ運ぶより楽ですし」
レオンが答える。
「楽だから買うわけじゃないぞ」
エドガーが言うと、レオンは慌てて頷いた。
「分かってます。気に入ってもらえたのは、本当に嬉しいです」
費用を書き留めた紙を出し、三人で額を確かめた。
ブルーノは仕上げの粗いところも挙げたが、座る分には問題ないことも、はっきりと言った。
相談して決めた額に、二人とも納得した。
家へ戻って代金を渡すと、レオンは硬貨を確かめてから袋へ収めた。
「ありがとうございます」
「次に来た時も、座っていいぞ」
「買ってもらったのに?」
「客用にもすると言っただろ」
レオンは笑った。
*
揺れる椅子の方は、まだ作業が残っていた。
ただ、エドガーが仕事で留守にする日が続くと、庭を使える日も空いてしまう。
その日、レオンは片づけを終えてから、裏庭の材料へ布を掛けた。
「次は、いつ頃いますか」
「明日から三日は出る。戻った翌日は休むつもりだ」
「俺、その日は護衛なんです。じゃあ、もう少し先ですね」
「急がんでいい」
「はい。宿も、もうしばらく延ばそうと思ってるので」
エドガーは戸口に置いた道具箱を持ち上げた。
「北の街へ行く話は?」
「いずれは。今はこっちで仕事もありますし、椅子も仕上げたいので」
レオンは自分の袋を肩へ掛けた。
エドガーは、道具箱を床へ置いた。
「だったら、上の部屋を使うか」
言ってから、レオンの顔を見た。
「……泊まるってことですか」
「しばらくこの街にいるなら、宿の代わりにだ。空いてる」
レオンは階段へ目を向けた。
「助かりますけど、いいんですか。一人の方が気楽でしょう」
気楽ではある。
帰る時間を伝える必要もない。何を作り、何を消しても、自分さえ気をつければ済む。
だが、このところ、昼飯の時間になると庭へ声をかけていた。道具の音が止まり、レオンが手を洗いに来る。
そのくらいのことを、不自由だとは思わなかった。
「飯を食う相手がいるのも悪くない」
エドガーは答えた。
「部屋代はもらうぞ。食費と薪代も、そこは相談だ」
「それは払います。家の仕事も分けましょう」
「まず部屋を見てから決めろ。寝台はまだない」
レオンの顔に笑みが戻った。
「そこからですね」
*
空き部屋の窓を開けると、裏庭が見えた。
壁際に箱が二つあるだけで、他には何もない。エドガーが使わない毛布を置いていたが、それも片づければ済んだ。
レオンは部屋へ入り、窓からの光を見た。
「十分です」
「荷物は置けそうか」
「余りますよ。今の宿より広いです」
部屋代を話し、食費はまず共同で使う分を出し合うことにした。
掃除も水汲みも、一人へ任せきりにしない。留守にする時は、帰る予定を伝える。
仕事は、これまでどおり別々に受ける。
一つずつ話すと、レオンも自分の希望を言った。
エドガーは聞き、必要なところだけ相談した。
日本語の文字を見たことは、口にしなかった。
*
荷物を移すのは、二人の仕事が済んでからになった。
その間に寝台を手配し、部屋を掃いた。レオンは宿へ話を通し、残りの宿代を精算した。
引っ越しは一往復で終わった。
袋と寝具を運び込み、レオンが階段を下りてくる。
「これで全部です」
「じゃあ、飯にするか」
「先に何か手伝います?」
「皿を出してくれ」
レオンが棚から二枚取り出す。
エドガーは鍋の蓋を開けた。
いつもと同じ煮込みだった。パンも、通りの店で買った物だ。
卓につく前に、レオンが窓際の椅子を見た。
「結局、ここで使えることになりましたね」
「飯はこっちで食えよ。あっちは低すぎる」
「分かってます」
レオンは笑い、食卓の椅子を引いた。
食事が終わっても、宿へ帰る時間を気にする必要はなかった。




