よその街から
ギルドへ入ると、トマスが窓際の卓にいた。
向かいには、見知らぬ若い男が座っている。
二十歳くらいだろうか。短い茶色の髪に、旅の汚れが少し残った上着。革の手甲を外して卓へ置き、トマスの描いているものを覗き込んでいた。
「その橋を渡ったら、川沿いですか」
「いや、川から離れる方。水車小屋の手前で曲がる。川沿いにも道はあるけど、荷車を通すには狭い」
「なるほど。聞いといてよかった」
男は紙を引き寄せ、道の脇に印を書き足した。
エドガーが近づくと、トマスが顔を上げた。
「エドさん。仕事ですか」
「ああ。報告だけだ。そっちは?」
「道案内を少し」
向かいの男が振り返った。
「宿で聞いた、家を買った人?」
「そう。そのエドさん」
知らないところで、家を買った男として話が通っていたらしい。
トマスが二人を順に見た。
「こちら、エドガーさん。前から世話になってる冒険者です。こっちはレオン。今、同じ宿に泊まってるんです」
「レオンです。よろしくお願いします」
青年は椅子から立ち上がり、頭を下げた。
「エドガーだ。座ってていい」
「一緒にどうです?」
「先に報告してくる」
窓口へ向かう背中に、二人が道の話へ戻る声が聞こえた。
*
報告を済ませて戻ると、地図は畳まれていた。
エドガーが椅子を引く間に、レオンは手甲を袋へしまった。
「この街へ来たばかりか」
「四日前です。仲間を故郷まで送って、その帰りに寄りました」
「仲間は帰省か?」
「家の仕事を継ぐんです。別の奴も帰ることになって、そこで解散しました」
レオンは寂しそうには言わなかった。
「皆で各地を回ってたんですけど、途中から、帰ったら何をしようって話が増えて。続けたいのは俺くらいだったので」
「お前は帰らなかったのか」
「まだ行きたい所があるんで。親には、たまには顔を見せろって言われてます」
トマスが笑った。
「昨日も、北の街の話を聞いてましたよ」
「大きい市場があるって聞いたから。ここで少し稼いでから、行ってみようかと」
「すぐ出るのか?」
「それも決めてないです。この街、店が多いでしょう。見て回るだけでも、結構かかりそうだし」
落ち着きのない旅人というより、目についたものを一つずつ確かめたがる男らしかった。
エドガーは卓に残った紙の切れ端を見た。
「さっきの道は、仕事か」
「明後日の護衛です。隣の村まで、鍛冶屋の荷を運びます」
「一人で?」
「もう一人。依頼を受ける時に組みました。午後、荷物と道を確認しに行くんです」
その辺りは、心得ているようだった。
レオンがトマスへ向き直った。
「途中で馬を休ませる場所も聞けたので、助かりました。地図だけだと分からなくて」
「水場があっても、岸まで荷車を寄せられるとは限らないからな」
「ええ。相方にも伝えときます」
*
昼を少し過ぎていた。
トマスが宿へ戻って食事をすると言うので、エドガーもついていくことにした。レオンは同じ宿なのだから、自然と三人になった。
食堂では、女将が長椅子の端を拭いていた。
「今日は煮込みと焼き魚。どっちにする?」
「魚で」
トマスが答えると、レオンも同じものを頼んだ。
エドガーは煮込みにした。
「魚、苦手なんですか」
座るなりレオンが尋ねた。
「好きだが、ここの煮込みも悪くない」
「じゃあ明日はそっちにしようかな」
「明日も同じとは限らんぞ」
「それなら今日、少しもらえばよかった」
「まだ来てもいないだろ」
トマスが笑い、レオンもつられて笑った。
皿が運ばれてくると、レオンはまず焼き魚の皮を食べた。続いて身を口へ運び、満足そうに頷く。
誰とでも、こんなふうに話すのだろう。
トマスの手元へ目を向けても、すぐに手助けを申し出たりはしなかった。左手で食べるのを見慣れているらしい。
「午後は、また治療院ですか」
レオンが聞いた。
「今日は違う。家に出す手紙を頼みに行く」
「返事ですか」
「ああ。帰った場合の仕事を、もう少し聞いておきたくて」
エドガーは匙を止めた。
先日の話を、進めるつもりになったらしい。
「兄貴にか」
「ええ。こっちで勝手に考えてても、実際に何が必要なのか分からないんで」
トマスはそう答え、魚の骨を皿の端へ寄せた。
レオンが二人を見た。
「故郷へ帰るんですか」
「まだ決めてない。ただ、冒険者を続ける以外のことも考えてる」
「手が治るか、まだ分からないんですよね?」
「ああ」
「だったら、もう少し待ってもいいんじゃないですか」
声は明るかった。
「道にも詳しいし、依頼の選び方も分かってる。昨日聞いた話だって、俺は考えてなかったことがありました。それだけできるなら、剣を使わない仕事もありますよ」
「そうだな。そういう仕事もある」
トマスは頷いた。
レオンは少し身を乗り出した。
「俺も今、一人なんです。手が落ち着いたら、一緒に何か受けませんか。前に出るのは俺がやりますから」
トマスの左手が止まった。
「誘ってくれるのは、ありがたいけどな」
「戦う方は得意なんです。前の仲間にも、そこは任せてもらってました。トマスさんが道や周りを見てくれたら、俺も助かります」
レオンは笑っていた。
気休めで言っている様子はなかった。実際に自分と組めばいいと考え、その場で仕事の分担まで思い描いているようだった。
エドガーは匙を皿へ置いた。
「レオン」
「はい」
「先に、こいつの話を聞こう」
レオンが口を閉じた。
エドガーはトマスへ目を向けた。
「家の仕事を聞いてみることにしたんだろ。何を確かめたいんだ?」
*
トマスはフォークを置き、少し考えた。
「兄が売り先を回る間、家の方を任せられる人が欲しいのか。それとも、一緒に外を回る方が助かるのか。その辺りです」
「山へ入る仕事とは別なんですね」
レオンが言った。
「ああ。木は伐った後にも仕事があるからな。数を合わせて、注文ごとに分けて、運ぶ相手と話をつける」
トマスは右手を膝へ下ろした。
「手の具合で、できることは変わると思う。でも、昔手伝ってた頃より、分かることは増えてるはずなんだ」
「……そっちを、やってみたいんですか」
「そういう気持ちもある」
トマスが頷く。
「剣が持てないから仕方なく帰る、だけじゃないんだよ。家のことも気になるし、村で暮らすのも悪くないと思ってる」
レオンは自分の皿を見た。
何か言いかけたが、一度口を閉じる。
「そうだったんですね」
「ああ。ただ、まだ迷ってる。だから手紙で聞いてみる」
「……分かりました」
返事は、先ほどより静かだった。
トマスがフォークを持ち直した。
「誘ってくれたのは嬉しいよ。そこは本当だ」
レオンは顔を上げ、小さく頷いた。
*
食事を終えると、トマスは部屋へ紙を取りに行った。
エドガーも席を立とうとしたが、レオンに声をかけられた。
「少し、いいですか」
椅子へ座り直す。
レオンは空になった皿を脇へ寄せ、卓の上で両手を組んだ。
「続けられる方法があるなら、先に知ってもらった方がいいと思ったんです」
「ああ」
「怪我をしたからって、今までやってきたことまで、やめなくてもいいんじゃないかって」
エドガーは青年の顔を見た。
不満というより、まだ腑に落ちていない顔だった。
「今までやってきたことは、帰っても使える。お前も、道のことを教わっただろ」
「それは、そうですけど」
「家の仕事で人や荷を動かす時にも、役に立つだろうな」
レオンは組んでいた手をほどいた。
階段の方から足音が聞こえた。紙を持ったトマスが、女将に呼び止められている。
エドガーはそちらを一度見てから、レオンへ向き直った。
「お前、午後は鍛冶屋だったな」
「はい。まだ少し時間はあります」
「なら、途中まで歩くか」
レオンは頷き、椅子の横に置いた袋を持ち上げた。




