新しい台所
翌朝、エドガーは家の裏で、職人の説明を聞いていた。
足元には、蓋を開けた点検口がある。
「この下が処理槽です。中の土とスライムが汚物を分解します」
職人は点検口の縁を指した。
「布や金物は落とさないでください。消えてなくなるわけじゃありませんから」
「洗い水は?」
「便所を掃除する分なら構いません。ただ、薬品を使う時は先に相談してください。中の生き物が弱ることがあります」
エドガーは手帳に書き留めた。
槽に敷かれた土には、汚物の分解を助ける小さな生き物がいるという。職人の説明を聞く限り、前世でいう微生物に近いものらしかった。
そこへ専用のスライムを入れ、状態を保ちながら使う。
大きな屋敷や金に余裕のある宿では使われている設備だが、設置にも維持にも費用がかかる。
「最初の点検は、こちらから伺います。その後の間隔は、使う人数と状態を見て決めましょう」
「長く家を空ける時は?」
「出る前に知らせてもらえれば、それに合わせて見ておきます」
職人が蓋を閉めた。
エドガーは便所の戸を開け、改めて中を見た。
掃除のしやすい床に、きちんと閉まる蓋。換気のための小窓もある。
初めて内見した時とは、まるで違っていた。
金はかかった。
だが、ここを惜しむ気はなかった。
*
寝台が届いたのは、その二日後だった。
ブルーノが階段の下で指示を出し、エドガーとトマスが部材を運ぶ。大きな物は工房で分けてあり、二階で組み上げることになっていた。
「そっちを上げろ。もう少し」
「これくらいか?」
「そうだ。壁に寄せるなよ」
言われたとおりに向きを変える。
踊り場を抜けたところで、トマスが息を吐いた。
「一つのままじゃ、通りませんでしたね」
「だから分けてきたんだ」
ブルーノは当たり前のように答え、道具袋を持って上がってきた。
寝台を置く位置は、先に決めてある。窓を開ける邪魔にならず、壁との間には掃除ができる隙間を残した。
組み上がった寝台へ、エドガーは試しに腰を下ろした。
軋みはしない。
「長さは足りるか?」
「横になってみないと分からんな」
「そのまま寝ないでくださいよ。まだ下に荷物があります」
トマスに言われ、エドガーは立ち上がった。
「分かってる。先に片づけよう」
*
宿から持ってくる物は、それほど多くなかった。
服と道具、鍋や食器。買い足した椅子と小さな卓を入れても、一階の部屋には余裕がある。
それでも、棚へ物を置き、外套を掛け、寝床へ毛布を広げると、空き家だった時とは違って見えた。
ブルーノは最後に窓と戸を確かめた。
「建具が重くなったり、変な隙間が出たりしたら呼べ。使い始めてから分かることもある」
「ああ。世話になった」
「残りの勘定も忘れるなよ」
「それは覚えてる」
ブルーノは笑い、道具をまとめた。
「飯を食っていかないか。これから作る」
「今日は帰る。家で待ってるからな」
それなら引き止めるわけにもいかない。
「今度、何か持っていく」
「手ぶらで来い。直したい物を持ち込むなら、先に言え」
棟梁を見送ると、エドガーは台所へ戻った。
トマスが空になった箱を壁際へ寄せている。
「お前は時間があるだろ?」
「飯の約束を忘れられたら、どうしようかと思ってました」
「働かせて追い出すほど薄情じゃない」
「じゃあ、皿を出します」
トマスは袖をまくった。
*
肉は朝のうちに買っておいた。
塩を振り、熱した鉄鍋へ並べる。脂の焼ける音が台所に広がった。
エドガーは火加減を見ながら、刻んでおいた根菜を別の鍋へ入れた。そちらには少し水を加え、蓋をする。
包丁を置き、棚へ手を伸ばす。
トマスが持ってきた香草は、もう小さな壺へ移してあった。
取るために屈まなくていい。背中を曲げずに肉を返せる。
それだけのことが、妙に嬉しかった。
「何か手伝います?」
「パンを切ってくれ。そこの板を使っていい」
「これ、前からあった作業台ですか」
「ああ。削って、脚を替えた」
「綺麗になりましたね」
エドガーは端に残る焦げ跡を見た。
「全部新しくするつもりだったんだが、残してよかった」
「丈夫そうですしね」
トマスがパンを切り分ける。
エドガーは肉を皿へ移し、鍋に残った脂へ刻んだ玉葱を入れた。しんなりしたところで少量の酒を加え、香草と一緒に煮詰める。
味を見てから、肉へかけた。
根菜の鍋も開ける。柔らかくなっていたので、塩で味を整えた。
「運ぶぞ」
「はい」
二人で皿を卓へ並べた。
*
「うまいですね」
トマスは肉を一口食べると、もう一度皿を見た。
「この香草ですか?」
「ああ。貰ったやつだ」
「持ってきてよかった」
エドガーも食べた。
肉には焼き色がつき、中は硬くなりすぎていない。玉葱の甘みと香草の匂いも、ちょうどよかった。
自分の台所で、誰にもかまどを譲らずに作った最初の夕食だった。
しばらくは、食器の触れ合う音だけがした。
窓の外から、荷車の通る音が聞こえる。夕方になり、近くの工房も片づけを始めたらしかった。
「今日、御者に会いましたよ」
トマスがパンを手に取った。
「もう歩いてたのか?」
「杖を使って、店先までです。仕事はまだだって言ってました」
「なら、いい」
「馬の方が先に働いてるそうです。自分だけ休んでるって、ぼやいてました」
「あの足じゃ、仕方ないだろう」
トマスが笑う。
「店の人にも、そう言われてました」
エドガーは根菜を口へ運んだ。
あの男が店先で愚痴を言えるなら、捜しに行った甲斐があった。
*
皿の肉が半分ほどになった頃、トマスが尋ねた。
「岩鎧熊は、やっぱり遠くからですか?」
エドガーは杯を置いた。
「ああ。近くでやり合う相手じゃない」
「あの外皮、厄介そうでしたからね」
「手間をかけるところを選んだだけだ。探して待つ方に時間を使った」
間違ったことは言っていない。
トマスは頷き、肉にかかっていた玉葱をパンで拾った。
「俺たちで行った時、追わずに戻ってよかったですね」
「そうだな」
「場所も分かったし、親方にも説明できました。闇雲に人数を集めるより、話が早かったでしょう」
「ああ。助かったよ」
トマスはそれで満足したようだった。
弩でどうやって仕留めたのかとも、どんなスキルを使ったのかとも聞かなかった。
エドガーは手元の杯を見た。
用意しかけた言い訳は、口に出す必要がなかった。
「肉、まだあるぞ」
「貰います。もう入らないと言うには、少し早いので」
皿を差し出され、エドガーは立ち上がった。
*
食後、トマスは皿洗いを引き受けた。
エドガーが拭き、棚へ戻す。二人で片づけると、すぐに卓の上が空いた。
「ごちそうさまでした。また呼んでください」
「次は引っ越しの手伝い抜きでな」
「それはありがたいです」
外は暗くなっていた。
戸口まで見送り、エドガーは通りへ出たトマスに声をかけた。
「仕事、詰めすぎるなよ」
「エドさんもですよ。今日はちゃんと寝てください」
「ああ。長い寝台を買ったからな」
トマスは笑って手を上げ、宿の方へ歩いていった。
その姿を見送ってから、戸を閉める。
家の中は静かだった。
*
エドガーは台所へ戻った。
鍋は洗って伏せてある。棚には食器が二人分並び、香草の壺がその隣に収まっていた。
窓を閉め、かまどの火を確かめる。
庭へ出る戸にも鍵を掛けた。
明日は急いでギルドへ行く必要はない。朝飯を作り、道具を手入れして、足りない物を買いに行けばいい。
その次は、近場の依頼でも探そう。
エドガーは灯りを持って二階へ上がった。
新しい寝台に横になり、脚を伸ばす。
足先がつかえない。
寝返りを打っても、軋まなかった。
「いいな」
小さく言って、灯りを消した。
自分で選んだ家での、最初の夜だった。




