指示の先にあったもの
報告を終える頃には、エドガーの喉は乾いていた。
オズワルドは魔物の形と戦い方を聞き終えると、討伐した場所へ印をつけた。
「これで牙犬が散った理由も説明できそうだが、まだ決めつけるわけにはいかんな」
「ああ。あいつが何頭いるかも分かってない」
「残りの捜索は続ける。ただ、今日は深く入れない。明日の朝、周辺の跡を調べ直す」
エドガーは頷いた。
大物を一頭倒したからといって、道を開けてよいことにはならない。森の縁には牙犬が残っている。
その確認までが、今回の仕事だった。
「お前たちは休んでくれ。午後の警戒は別の組を出す」
「分かった」
外へ出ると、陽が眩しかった。
エドガーは目を細め、羊舎へ戻った。
*
寝床のそばでコートを脱ぐと、裾から乾いた土が落ちた。
肩にも、袖にも入り込んでいる。
魔物の爪が砕いた土壁を、近くで浴びていた。襟を払うと、また細かな欠片がこぼれた。
「ずいぶん汚れましたね」
レオンが言った。
「壁が一枚、目の前で砕けたからな」
エドガーは外へ出て、コートをはたいた。
レオンも入口まで来たが、手伝おうとはしなかった。包帯を巻いた腕を庇い、柱へ軽く背を預ける。
「土の壁ですか?」
「ああ。イレーネの魔法だ。あれがなければ、ベルタも下がりにくかった」
「爪を止められたんですね」
「一度はな。次に掻かれた時には崩れた。それでも、退く時間は作れた」
エドガーはコートの裏を返した。
レオンは土の落ちた地面を見ている。
「俺たちの時より、近くで戦ったんですか」
「そうだな。前に盾と槍がいた。あいつらが動きを止める間は、射つ場所も選べた」
最後に袖口を払う。
汚れは残ったが、着られないほどではなかった。
「剣も使ったと聞きました」
エドガーはレオンへ目を向けた。
「ヨストか」
「はい。戻ってきた時に、最後はエドガーさんが斬ったって」
「ああ。首が下がったんでな」
レオンは腰の剣を見た。
今、鞘に収まっているのは、街で買った剣だった。
その視線に気づき、エドガーは声を少し落とした。
「細かいことは、二人の時に話す」
「……はい」
レオンはそれ以上聞かなかった。
ちょうどその時、炊事を手伝っていた村の男が、食事の用意ができたと呼びに来た。
*
食事は羊舎の前に並べた卓で取った。
麦粥に煮た肉が載り、塩を振った蕪が添えられている。パンは大きな籠に入れられ、足りない者が自分で取るようになっていた。
エドガーはレオンと並んで座った。
向かいでは、ベルタが盾を足元へ置いている。表の土は落としてあるが、新しい擦り傷が何本も残っていた。
「その盾、また直すんですか?」
レオンが尋ねる。
「表だけなら、このままでも使えるよ。縁は戻ったら見てもらうけどね」
ベルタはパンを割った。
「今日は壁に助けられた。あれを二度もまともに受けたくはないね」
「二度も受けさせる前に、下がってほしいんだけど」
隣に座ったイレーネが言った。
「あたしは下がっただろう?」
「壁の破片は浴びたでしょう」
「それは避けきれなかった」
ベルタが笑う。
エドガーも肩についた土を払い、粥を食べた。
少し離れた席では、キリアンが肉の残った鍋を覗いている。
戦っている時の声は鋭かったが、今は、もう一杯よそってよいか真剣に聞いていた。
レオンはその様子を見て笑い、それからベルタへ尋ねた。
「強化を受けると、盾で支える時も違うんですか?」
「違うよ。脚も腕も利くようになる。ただ、立ち方が悪ければ押し倒される。盾が丈夫になるわけでもないしね」
レオンは頷いた。
エドガーは黙って聞いた。
ベルタは匙を置き、自分の膝を叩いた。
「だから、受けられそうでも逃がす。ヴィクトルだって、いつまでもあたしだけ強くしてられないから」
イレーネが隣で頷く。
レオンの視線が、盾から自分の左腕へ落ちた。
すぐに顔を上げ、ベルタの話へ戻ったが、エドガーはその動きを見ていた。
何かを言う場面ではなかった。
空になった器を持ち、エドガーは立ち上がった。
「水を替えてくる」
「ああ、ついでにこの器も頼めるかい」
ベルタから器を受け取り、炊事場へ向かった。
*
水を入れた桶を運んで戻ると、レオンの向かいにマティアスが座っていた。
ヴィクトルもその脇に立ち、片手に器を持っている。
「……普段も、あんなふうに前へ出るのか?」
マティアスの声が聞こえた。
エドガーは少し離れた台へ桶を置いた。
「いえ。普段は弩で、後ろから見てもらうことが多いです」
レオンが答える。
「そうか。こちらが頭を押さえた時には、もう横まで来ていたからな。随分、合わせやすかった」
エドガーは桶の取っ手から手を離した。
戻るつもりだったが、自分の話へ割り込むのも妙だった。
台に置かれた布を取り、手を拭く。
「途中から、自分で仕留めるつもりだったんだろう」
ヴィクトルが言った。
マティアスが彼を見る。
「最後に言っていただろう」
「その前からだ。盾を寄せるよう頼んだ時には、もう逆へ回り始めていた」
ヴィクトルは器を卓へ置いた。
「俺は、弩の射線を空けたいんだと思った。実際、それで矢も入った。だが、あの位置にベルタを置いたから、最後に左の脚を振らせやすくなった」
レオンは黙って聞いている。
ヴィクトルの指が、卓上を動いた。
盾の位置。槍の位置。
見えない魔物を挟むように、二か所を示す。
「壁を欲しがった時もそうだ。こちらが出した指示が、そのままあの人の踏み込む場所を作っていた。最後から逆に考えて、動いていた気がする」
「途中で見つけたんじゃないか?」
マティアスが言った。
「ベルタが右脚を傷めた。そこを見て、決めたのかもしれない」
「かもしれんな」
ヴィクトルは否定しなかった。
「ただ、こちらはその場の攻撃を捌くので、手を使っていた。あの人が次に欲しいものまで、先には読めていなかった」
エドガーは手を拭くのをやめた。
すべてを最初から決めていたわけではない。
肩へ矢が通らず、前脚が傷み、壁が攻撃を止めた。
一つずつ見て、出来ることを繋げた。
だが、それを今、説明する気にはならなかった。
「指示は通っていたし、間に合ってたぞ」
マティアスが言った。
「ああ。だが、気づければ、もう少し早く力を回せた」
ヴィクトルは自分の手を見た。
「前に立つ者を強くしておけばいいわけじゃない。次に動く者が誰なのか、そっちまで見ないとな」
レオンが小さく頷いた。
マティアスは少し考えてから、口元を緩めた。
「次は、本人に聞いてみたらどうだ」
「そうする」
ヴィクトルが器を取った。
そこで顔を上げ、エドガーに気づいた。
エドガーは拭いた布を台へ戻した。
「水は、ここでいいか」
「ああ。助かる」
それ以上の話にはならなかった。
*
午後、森へ出ていた者たちが戻った。
大きな魔物の周辺では、同じ幅の掘り跡が幾つか見つかったという。牙犬の食い残しもあった。
一方、別の大型個体を見たという報告はなかった。
オズワルドは全員を集め、翌日の範囲を伝えた。
「明日は予定どおり、最後の捜索日だ。牙犬の残っている場所と、荷道を確認する。大物がもういないと決めて歩くな。新しい掘り跡があれば知らせろ」
エドガーたちにも持ち場が割り振られた。
レオンの出動は、朝の傷の状態を見てから。
本人は異を唱えなかった。
話が終わると、エドガーはヨストと道順を確かめた。前日の続きではなく、集落に近い草地を回る。
その間に、ヴィクトルは仲間を集めていた。
短い枝を地面へ置き、ベルタとマティアスに何かを聞いている。
ベルタが盾を持つ腕を動かし、イレーネが枝の位置を直した。
エドガーはしばらくその様子を見た。
自分の指示を振り返れる指揮役と、思ったことを言える仲間。
あの五人が名を知られるようになったのは、スキルだけのためではなさそうだった。
*
夕方、エドガーは羊舎の外で弩の手入れをした。
土を拭き取り、弦を確かめる。
レオンが隣へ腰を下ろした。
「ヴィクトルさんたちと、話しました」
エドガーは手を止めずに答えた。
「ああ」
「エドガーさんの動きを、後から考え直してました。指示を出す方でも、そういうことがあるんですね」
布を返し、汚れていない面で金具を拭く。
「相手も仲間も動くからな。全部分かって指示を出せる時ばかりじゃない」
「はい」
レオンは、遠くに見える五人へ目を向けた。
「最後は、作った剣ですか?」
周りに人がいないことを確かめてからの、小さな声だった。
「ああ。首へ通した」
「そうですか」
驚くような返事ではなかった。
レオンは武器生成のことを知っている。その刃が、ただの剣ではないことも。
それでも、少し間を置いて言った。
「剣が強いだけじゃ、あそこへは入れませんよね」
エドガーは顔を上げた。
「入れるように、皆が動いてくれた」
「マティアスさんも、似たことを言ってました。エドガーさんが合わせてくれたからって」
エドガーは布を畳んだ。
レオンはそれ以上、言葉を重ねなかった。
羊舎の中で、誰かが毛布を払う音がする。
エドガーは弩を膝へ置き、口を開いた。
「昨日、お前が前へ出た時、俺も任せられると思った」
「……はい」
「何が出来る相手かも分からんのに、お前の速さで間に合うと考えた。そこは、俺も同じだ」
レオンがこちらを見る。
「お前の判断まで、俺のせいにする気はない。ただ、自分には関係ない顔で話すのも違うと思った」
言ってから、エドガーは息を吐いた。
レオンはすぐには答えなかった。
左手の指を軽く動かし、それから頷く。
「俺も、次は分からないところを残したまま、足りるって決めないようにします」
「ああ。俺もだ」
エドガーは弩を壁へ立てかけた。
遠くから、夕食を知らせる声がした。
レオンが先に立ち、エドガーも続いた。
卓へ向かう途中、マティアスが空いている席を示した。
「ここ、二人分空いてますよ」
レオンが礼を言って腰を下ろす。
エドガーも隣へ座った。
向かいには、ヴィクトルがいた。
彼は器を脇へ寄せ、卓の上に一本の小枝を置いた。
「食いながらでいい。今日の、盾を動かした時のことを聞きたい」
エドガーは枝を見て、それから若い指揮官へ目を戻した。
「あの時は、まだ左の脚が残ってたからな」
そう答えて、自分の指を卓へ置いた。




