それぞれに見えていたもの
「あの時は、まだ左の脚が残ってたからな」
エドガーは卓へ指を置いた。
ヴィクトルが置いた小枝を魔物に見立て、その脇へパンの欠片を一つ置く。
「これがベルタだ。右脚を傷めた後、あいつは左を振る方が多くなった」
「ああ」
ヴィクトルが頷く。
「盾を追って向きを変える時にも、右へ体重をかけるのを嫌がってた。なら、左を大きく振らせれば、戻すまでに隙ができると思った」
エドガーはパンの欠片を動かした。
向かいで、ベルタが器を持ったまま覗き込む。
「それで、こっちへ寄れと言ったのかい」
「最初は射つためだ。あの位置なら、首の横が見えた」
「剣で入るつもりではなかったのか?」
ヴィクトルが尋ねた。
「まだな。矢で止まれば、その方がよかった」
エドガーは匙を取り、煮込んだ豆を口へ運んだ。
冷めかけていたが、塩気がよく利いている。
「壁を頼んだ時には?」
「その時には、入る場所を考えてた。傷めた脚の方へ逃げられると、追うことになる。あの爪のそばで、追いかけっこはしたくなかった」
イレーネが、小枝の横へ指を置いた。
「壁は、もう少し近くでも作れたわ」
「近ければよかったとは限らん。肩が当たる前に気づかれて、こっちへ向き直られたかもしれん」
「それはそうね」
彼女は指を引いた。
エドガーはヴィクトルを見る。
「お前が二人へ力を回したから、槍も盾も間に合った。あれがなければ、同じようには入ってない」
「二人が動くのは分かっていた。だが、最後まで射手を続けると思っていた」
ヴィクトルの指が、小枝の後ろで止まった。
「誰が次に仕留めるかまで分かっていれば、力の配り方も変えられる」
レオンが匙を置いた。
ただ、口は挟まず、卓上の指の動きを見ていた。
*
「俺にも回せたのか」
エドガーが尋ねると、ヴィクトルは頷いた。
「近くにいたし、出来た。ただ、初めて力を受ける相手へ、踏み込む直前にかけるつもりはなかった」
「それでよかった」
返事をすると、ヴィクトルが目を上げた。
「急に足が速くなっても、こっちは加減が分からん。間合いを越えたかもしれない」
「そうだ。だから、慣れている二人を上げた」
マティアスが隣から言った。
「最初は私たちも、合わせるのに時間がかかりました。槍を引くつもりが、思ったより強く引いてしまったり」
「あたしは盾をぶつけた後、余計に一歩出たね」
ベルタがパンを割った。
「強くなった分だけ、好きに動けばいいってものでもないよ」
レオンは自分の膝へ一度目を落とした。
エドガーはそれを見てから、ヴィクトルへ向き直る。
「誰に回すかだけじゃなく、どれだけ回すかも見てるんだな」
「ああ。力を寄せる時は声をかける。下げる時もだ。受け止めるつもりで立っている奴から、黙って力を引くわけにはいかない」
その言葉に、エドガーは頷いた。
盾役へ強化をかけた。
外から見れば、それだけだ。
だが、その盾が何を受け、いつ下がるかまで見ていなければ、強化そのものが危険を作る。
「今日、間に合ったのは、それをやってたからだろう」
「間に合ったことと、全部見えていたことは違う」
ヴィクトルは答えた。
不満というより、自分の見落とした所を確かめる口調だった。
「次も同じように動けるとは思いたくない」
「ああ。それは俺も同じだ」
エドガーは卓上の小枝を少し動かした。
「こいつが左じゃなく、頭から突っ込んできたら、剣では入れなかった。壁を頼んだ後でも、駄目なら下がるつもりだった」
ヴィクトルは小枝を見た。
それから、指を卓から離した。
「分かった。最初から決めていたわけじゃないんだな」
「途中で使えるものが増えた。壁も、槍も、盾もな」
ベルタが笑った。
「使える盾でよかったよ」
「助かった」
エドガーが答えると、彼女は満足そうに頷き、食事へ戻った。
*
翌朝、レオンは森へ入らなかった。
傷口に血は滲んでいなかったが、腕を伸ばすと引きつれるという。救護の男に見てもらい、その日は集落で休むことになった。
「今日は何をしていればいいですか」
レオンが尋ねると、オズワルドは荷車を指した。
「戻った連中の報告を、あそこの帳面へ受けてくれ。名前と帰った時刻、怪我の有無だ。詳しい話は俺が聞く」
「分かりました」
エドガーが荷を背負う頃には、レオンは小さな卓と椅子を借り、帳面を広げていた。
「行ってくる」
「はい」
それ以上のやり取りはしなかった。
ヨストとアデラに合流し、三人で道へ出る。
今日は森の奥へ向かわず、集落と林の間にある草地を確かめる。前を見張る人数が一人減った分、歩く幅を狭めた。
アデラが盾を背から外す。
「昨日までとは、少し勝手が違うね」
「ああ。広がりすぎないで行こう」
ヨストが先へ立った。
*
草地には、羊を集めるための低い石囲いが幾つかあった。
その一つで、牙犬が見つかった。
二頭だった。
石の陰で休んでいたらしく、ヨストが近づく前に耳を立てた。
三人は止まった。
牙犬も、すぐには出てこない。
エドガーは弩を構え、アデラの横へ寄りすぎない位置に立った。
昨日の魔物に比べれば、小さい。
だが、牙が届けば肉は裂ける。
当たり前のことを、わざわざ考える自分がいた。
アデラが盾を前へ出す。
一頭が低く唸り、石囲いから飛び出した。
ヨストの矢が肩へ刺さる。
勢いを落としたところをアデラが盾で逸らし、剣を入れた。
二頭目は反対側へ走った。
エドガーは身体を回し、アデラから離れたことを確かめて射った。
矢を受けた牙犬が草へ転がる。
まだ動いていたため、ヨストが間を取って次の矢を放った。
戦いは短く終わった。
三人で周囲を見てから、ようやく得物を下げる。
「この辺りに残ってたんだね」
アデラが言った。
「ああ。囲いを使う前に見つかってよかった」
エドガーは石の陰を確かめた。
ほかにはいなかった。
寝ていた跡はあるが、巣のように使い込まれた様子でもない。
追い出されて来たのか、獲物を求めて来たのか。
それは分からなかった。
分かったことだけを持ち帰ることにした。
*
昼の集合場所では、別の組からも報告があった。
大きな掘り跡は見つかったものの、新しく掘られたと判断できる場所はなかったという。
ただ、一度歩いた程度で、森のすべてを見たわけではない。
捜索は予定した範囲を一通り回り、午後は荷道の確認へ移った。
逃げた荷運びの男が置いていった荷車も見つかった。片方の車輪が溝へ落ちていたが、荷は大半が残っている。
その場で無理に戻すことはせず、場所と状態を記録した。
持ち主には、回収の護衛を別に頼んでもらう。
エドガーたちが集落へ戻ったのは、陽が傾き始めた頃だった。
レオンが卓から立ち上がる。
「お帰りなさい。怪我は?」
「なし。牙犬を二頭。詳しい話はオズワルドにする」
ヨストが答えた。
レオンが帳面へ書き込む。
文字を書いた後、顔を上げて三人を見た。
返事を聞くだけでなく、自分の目でも確かめているらしかった。
エドガーは弩を下ろした。
「残りは?」
「ヴィクトルさんたちと、荷道の奥へ行った組です。どちらも、もう戻ると連絡がありました」
その言葉どおり、ほどなく二組とも帰ってきた。
新たな負傷者はいなかった。
レオンは最後の名を書き終えると、帳面を閉じずに、もう一度最初から目を通した。
*
夕方、オズワルドが全員を集めた。
予定した三日間の捜索は、今日で終える。
集落に近い草地と荷道では、目撃された牙犬を討伐し、周辺も確認できた。村の者が作業へ戻る際には、当面、見張りを置くことになった。
一方で、森の奥まで安全を確かめたわけではない。
街へ戻って報告をまとめ、継続して見回る場所を決めるという。
「明日の朝、帰る。夜の警戒は今夜も続けるから、担当は後で確かめてくれ」
話が終わると、張っていた空気が少し緩んだ。
荷物をまとめ始める者と、先に飯を食おうとする者に分かれる。
エドガーは道具を置きに羊舎へ戻った。
レオンが少し遅れて入ってくる。
「帳面は渡したか」
「はい。数も合ってました」
レオンは寝床へ腰を下ろし、長く息を吐いた。
「どうした」
「待ってる時間って、長いですね」
エドガーは荷紐を解いた。
レオンは入口の向こうを見ていた。
「戻ると聞いてからも、姿が見えるまでは気になりました。遅れてるわけじゃないのに」
「そうか」
「昨日まで、自分が戻れなくなることばかり考えてました。今日は、誰かが担がれて帰ってくるかもしれないと思って」
そこで、レオンは言葉を止めた。
エドガーも、すぐには返さなかった。
外でベルタが笑っている。
キリアンが何か言い返し、誰かが荷物を倒した音がした。
レオンの視線が、その声のする方へ動いた。
エドガーは最後の紐をほどき、荷を壁へ寄せた。
「皆、自分の脚で帰ってきた」
「はい」
レオンが頷いた。
エドガーは入口を指した。
「飯に行くか」
「行きます」
二人で外へ出る。
レオンは左腕を身体へ寄せ、右手で空いた器を二つ取った。一つをエドガーへ差し出す。
エドガーはそれを受け取り、炊事の列へ並んだ。




