144.最たる利を得た人は誰?
ウォーラー侯爵家次期当主予定のセイブル・ウォーラーが王都でしたこと。
これを咎められる者はいないだろう。
会話の中に曖昧な言葉を残して去る。
それだけのことで責められるのであれば、王都は罪人に溢れてしまう。
セイブルはたとえばこう言った。
『あぁ、大怪我だったね。しばらくは不自由していたし、その後も大変だった』
誰が、いつ、どこで、どんな怪我をしたか。
そこを問われても、これ以上は何も話せないというように首を竦めただけ。
すると貴族たちはセイブルの言葉を勝手に解釈して、元々流れていた噂を補強していった。
──怪我をしたのは俺ではなくて、セイブルだったのに。まるで他人事みたいに語ったそうだね、セイブル?
それはまだアシェルがウォーラー侯爵領に来て一年経っていない頃の話。
アシェルは11歳で、セイブルは一つ上の12歳だった。
大事なソフィアを泣かされてアシェルは怒った。
それでも反省もせずヘラヘラ笑うばかりのセイブルに、アシェルは激怒して。
これくらいなら大丈夫だろうという加減で蹴り倒したら──。
セイブルが地面に手を付いた拍子に腕を折った。
アシェルは驚いたし、反省したし、恐ろしくなった。
ソフィアに嫌われたとも思ったし、ウォーラー侯爵領から追い出されることも覚悟して、セイブルと大人たちに頭を下げた。
ところがソフィアはアシェルを庇うし、ウォーラー侯爵家の大人たちもアシェルを叱ったけれど、見放さなかった。
そして驚いたことに、大人たちはセイブルも叱ったのだ。
結果、お互いに頭を下げ合う形になり、その先は仲直り……ではなく、セイブルの怪我の完治も待たずして、アシェルとセイブル、共に仲良く罰を受けることになった。
もう何もかもが、当時のアシェルには想像出来なかったことである。
たかが子爵家の三男のアシェルだ。侯爵家の次期当主になる可能性もある当主の甥に怪我をさせた。それも先に手を出したのだから、アシェルがすべて悪かったとされて、酷い罰を受けるのかと思っていたのに。
受けた罰は、アシェルにとっては罰ではなかった。
加減を身体に叩き込め、受け身を取れるようになれと、早朝にレイラ指導で鍛錬する時間を得たが、次兄から鍛錬と称し長年虐げられてきたアシェルにはご褒美としか思えない時間だった。
という過去を、セイブルは王都の誰にも話さなかったから。
貴族たちは勝手に足りない情報を補完して物語を創り出し、やがて美しい少年のアシェルがウォーラー侯爵領で大怪我をしたことになっていた。
懐かしい話はさておき、この程度のやらかしで終わっていたら、アシェルもセイブルを笑って許しただろう。
しかしセイブルは、次期当主と決まった報告を兼ねて、王都で一通りの貴族に会っている。
そのすべてのとき、貴族たちをセイブルの理想通りの言動へと誘導するよう会話をしていたら?
アシェルはセイブルがそうしたと思っている。
ただしそのほとんどは、実態が分かっていなかった。
セイブルはすべてを明かさないだろう。
貴族たちだって、まだ当主にならない若者に好きなようにされた恥は知られたくないので黙す。
ひとつ分かっていることがある。
それはバージル王子についてだ。
残念ながら王子たち本人は、今でもセイブルにただ挨拶をされただけだと信じているが。
これは王子が頑張って思い出したセイブルとの会話の内容の一部だ。
セイブルは初対面の王子に対し、自ら精神の研究をしていることを知らせていた。
『なんと!人の心を操る研究をしているのか?』
明確にはなっていないが、その発言を引き出すよう言葉を選んだのだろう。
王子さまのこの問いに、セイブルは『洗脳みたいに言いますね。私の研究は許される範囲内ですよ』と笑顔で返したそうだ。
そしてそのとき隣にはジェイク・ニッセルもいたという。
そのうえセイブルは、アカデミー長とも二人だけで話をしている。
これについてはアカデミー長が語ることはなかったし、これから問われることになろうセイブルもまた、正しく回答することはないだろう。
そういう男だと、理解しているのはアシェルだけではない。
──だから領地に閉じ込められる。今こそ王都に行きたかっただろうに。
セイブルは、これからも王都に頻繁に通う予定のローワンに代わって、この領地で当主代理の仕事に明け暮れることになるだろう。
そしてさらに仕事を抱えることになる。と言ってもそれは……。
──罰でなく、ご褒美だよねぇ?
セイブルは大喜びで、元イーガン子爵家当主一家を使い、検証をはじめるだろう。
セイブルにとっては新制度なんて理由はどうでも良くて。
ただ貴族らしい思考を持つ実験体が欲しかっただけなのだ。
だからセイブルは喜々として彼らを使い、平民と肩を並べて起こる弊害を幾パターンにも渡って観察することになるだろう。
そしてその後もやって来る貴族たちを相手に……また知られぬように勝手に研究を楽しむに違いない。
──だから俺たちからも罰をあげるよ。長く領地を不在にするから、俺たちでは研究させない。残念だったね、セイブル?次期当主の仕事も手伝えないよ?
元イーガン子爵家の当主一家に対しては、アシェルを使った彼らの反応も調べたかったことだろう。
そしてアシェルの反応も観察したかったはずだ。
その後にやって来る貴族たちに対しても、ソフィアやアシェルを使ってしたいことがいくらもあろうが。
アシェルもソフィアもしばらくは協力しないと決めた。
──俺のことはいいけれど。ソフィアに色々と吹き込んでいた件、俺は許さないよ、セイブル。
「大変よ、アシェル!凄いのよ!見て!」
聞き慣れた明るい声に、緩やかな坂を上りながらセイブルに報告する内容を整理していたアシェルの思考が、現実へと引き戻された。
「これは……」
アシェルはしばし言葉を失った。
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