20.儀式の幕開け
「明日、共に行ってもらいたい場所がある」
「難しい顔をしないといけないところ、ですか?」
儀式の事について調べていても、なかなか有力な手掛かりが見つからない。気分を変えればと提案されて、そうかもしれないと思い離宮の散歩や花嫁とは関係のない本の読書、中庭の花を楽しんで手慰みのように組み紐を編む。
そんな一日を過ごして、湯浴みをして火照った体をバルコニーで休ませていた時にかけられた声。
昼前から姿を見ていなかったアズファルド様は、眉間にしわを寄せている。ここしばらくはずっと穏やかに微笑んでいる顔しか見ていなかったから、余計に気になってしまう。
「ああ。王城へ。
……儀式の方法が、判明した」
その一言でうとうとしていた私から、一気に眠気が吹き飛んだ。どうしてアズファルド様が難しい顔をして、もうすぐ私が寝るだろうと分かっている時間に部屋にやって来たのかも理解した。
「心の準備をさせる時間がなくてすまない。明日、俺と花嫁の儀式を行ってくれるだろうか」
「準備は、とっくにできています。だからそんな顔をしないで」
不安を、少しの強がりで包んで返事をする。アズファルド様の頬に触れたくてそっと手を伸ばす。ピクリと反応をしたけれど、そのまま抵抗することなく私の手を受け入れてくれた。
何の手入れもしていないと言っていたのにするりとした感触の肌、外に出る機会は私よりも多いはずなのに白いままなことには、少しだけうらやましいとすら思ってしまう。
何の迷いもなく私の手にすり寄るように、頬を寄せてくれたアズファルド様。こんな関係を築けていることが嬉しくて、そうなりたいと思った日に決めたことを改めて思い返した。
「あなたの方が不安そうな顔をしています、アズファルド様」
「そうだった。我が花嫁は、強いのだったな」
「私が強いと思うなら、あなたのおかげ。アズファルド様の隣にいたいと願っていた私を、受け入れてくれたからです」
「感謝している。リィナが花嫁で、本当に良かった」
願っているだけでは届かなかった。だから行動した私を、受け入れてくれたアズファルド様がいたから今がある。
そう伝えたかった私の心は、どうやらきちんと届いたようだ。部屋に来た時よりもアズファルド様の表情はずいぶんと柔らかくなった。
普段は釣り目に見える金の瞳が力を抜いて楽になるように、目じりを下げて笑う。
「夜分にすまなかった。緊張もあるだろうが、ゆっくり休め」
「はい。アズファルド様も。お休みなさいませ」
緊張も不安も、もちろんある。けれどそれ以上にアズファルド様の気持ちにまた一つ触れられたことが嬉しくて、思わず笑ってしまった。
ふふっと漏れた小さな声は、ベッドの中に消えていく。そして私は、夢も見ないほどにぐっすりと眠った。
「こういうときこそ、普段通りの生活が大事です。さ、今日はマーサおばあさまのパンを焼いてくれましたよ」
「ありがとう!」
朝、起こしに来てくれたのはライラだった。儀式があるから朝食の後にもう一度着替えるのだ、と説明されたけれど、それ以外はいつもと同じ朝。私が緊張しないように、と使用人たち総出で気遣ってくれたのだと思う。
不思議そうな顔をしていた私に、ライラが何でもないようなことのように教えてくれた。だから、だろうか。この生活に戻ってくるために、儀式を無事に終わらせなければならないと強く思った。
「それじゃあ、行ってきます」
「リィナ様」
「イザベラ?」
着替えを終えて、迎えに来てくれたアズファルド様と一緒に離宮を出るために挨拶をしていたら、短くかけられた声。
いつもと同じと言いながらも、結局バタバタと動き回っていたから話せるタイミングはなかったな、と今更ながらに思った。
竜の花嫁について勉強をしていたイザベラだったら、儀式のやり方や内容は分からなくても、心構えのようなものを知っているかもしれない。
けれど、かけられた言葉はそのどれとも違っていた。
「あの男に、プロンコールに気を付けなさい。きっとどんな手を使ってでも邪魔をするわ。そういう男よ」
隣にいたアズファルド様だって、もちろん聞こえていた。ピクリと反応をしたアズファルド様だったけれど、それ以上の深追いはすることなく。
直前に不安にさせるようなことを言って申し訳ないとイザベラは謝っていたけれど、私は聞けて良かったと思っている。儀式の事で頭がいっぱいになっていて、そこまで考えることができていなかったから。
添えられていた腕にぎゅっと力がこもったアズファルド様も、きっと同じ。
「よくぞ参られた。守護竜アズファルド様、そして縁を繋ぐ花嫁よ」
「……国王陛下?」
そうして少しどころかしっかりと緊張を感じるようになった私を出迎えてくれたのは、ついこの間もお顔を拝見した方。
儀式のためアズファルド様の色をまとっている私に合わせるような装いが、大変よくお似合いだ。
「仰々しい真似をするな、と言っておいたはずだが」
「そう言うな。なにせ花嫁の儀式は、この数代前まで遡っても行われていないのだ。
ならば、私の言動も記録に残る可能性があるだろう?」
いつか聞いたような軽い口調の会話の中、そんな調子で話してはいけないような情報が飛び交っている。すっと示した先にフードを被った人物が立っていた。手には分厚い紙の束があるから、きっとあの人が今回の儀式を記録してくれるのだろう。
国王の持つ資料を遡っても記録にない竜の花嫁の儀式。どれだけ探しても見つからなかったわけだ、とこんなタイミングなのに納得した。
アズファルド様は嫌そうな顔をしていたけれど、今回の儀式を記録に残してくれるのは賛成だ。竜と人間に流れる時間の早さは違う。どれだけ願っても、私はアズファルド様を置いていく。かつてエルセリア様がそうだったように。
今回の記録が残れば、次の花嫁が困ることはひとつ減るはずだ。そして、私という存在もアズファルド様の心の中だけではないところに、残っていく。
「竜語の巫女、エルセリア様の作り出した魔術が、花嫁を選んでいるとは前に少しだけ話をしたと思うが」
その時の事を思い出して小さく頷く。コツコツと音を立てる足元は、自分たちの姿を反射するほどに磨かれている。
ゆっくりと歩き始めた国王陛下、その先にある扉には、竜の文様が彫り込まれている。遠目からでも分かるほどに大きなその扉は、アズファルド様が竜の姿を取ったとしても簡単に潜り抜けられるほどに高く作られている。
「それがあるのが、この先の部屋だ。王族の中でも、入ることを許されているのはごくわずか」
そっと扉に手を当てた国王陛下の視線が、私に向けられる。その視線の強さにドキリとして一瞬後ずさりしそうになった。
隣でそっと支えてくれているアズファルド様のぬくもりを感じて、どうにか踏みとどまる。
けれど口から出たのは、不安と緊張と弱気、いろんなものを混ぜた言葉。
「そのような部屋に、私が入ってもいいのでしょうか」
「守護竜と花嫁にこそ、使ってもらわねば。さて、準備はよろしいか」
「リィナ、行こう」
それぞれの言葉は短かったけれど、そこにこもった想いはとても優しい。私の吐いた弱気を拒絶するのではなく、認めてくれるような言葉に、不安だった気持ちがふわりと軽くなる。
そうだ、アズファルド様の隣に立つと決めた。そのためになるのなら、きっとどんなことが待っていてもやりきれる。
あれだけ大きかったのに、扉は音もなく開いて私達を受け入れた。どういう原理なのかは分からない、と国王陛下は子供のように無邪気に笑う。
部屋の中央には祭壇があり、そこには人の顔ほどの大きさの水晶玉が鎮座している。霞がかった光がまるでカーテンのように揺れて、この部屋の印象を神聖なものにしている。
水晶の前に案内されたとき、静かな空気は突如として破られた。
「緊急事態です! 国境のルーセが襲撃を受けていると一報が!」
どんどんと扉を叩く音、次いで聞こえたのは扉の向こうで叫ぶ声。閉まった扉を再び開くため、国王陛下は祭壇から駆け下りた。
「……まさか、デルマリスか!?」
「誰が動いた?」
国王陛下が扉を開くと、伝令の兵士が転がり込んできた。荒い息をしている彼は、呼吸を整える間も惜しいといった様子でアズファルド様の問いかけに答える。
「まだ断定はできませんが、おそらくレオニス殿下と思われます」
「デルマリスの第三王女は、政治に興味などなかったはず!」
「レオニス殿下って……」
「プロンコールの甥だ。牢でおとなしくしていると思っていたが、いつの間にこんな手筈を整えた!」
隣国デルマリスは、知っている。けれど、どうしてこの国に襲撃など。アルセリオンは守護竜アズファルド様がいるからこそ、他国からの襲撃を受けることなどない。アルセリオンに手を出せば、竜の報復が待っているからだ。
それなのにこのタイミングでの襲撃、それからプロンコール大臣の身内の名前が飛び出したことで、イザベラの忠告が現実になってしまった。
国王陛下もこのような事態は想像していなかったのかもしれない。ぎり、と握った拳が自分を責めているように、白くなっている。
「陛下、至急お戻りを!」
伝令の兵士が叫ぶ。もちろん、こんな緊急事態なのだから王が不在などあり得ない。けれど、国王陛下は迷っているようだ。儀式を始めようとしたからか、それともアズファルド様の力に頼ることにか。
しんと静まり返った部屋に、アズファルド様の声が響く。
「リィナ」
「分かっています。……行くんでしょう?」
添えられていただけの手は、いつの間にかぎゅっと指を組む形に変えて。互いの指を絡ませて感じる熱が、告げていた。
「ああ。アルセリオンを、この国を守る。それが、守護竜たる私の役目だ」
「そんなアズファルド様だから、私は好きになりました。私は、ここで待っています」
アズファルド様は、花嫁と儀式を交わすことよりも国を守ることを選ぶ。
だけど、それが他人を拒絶しようとも役目からは逃げようとしなかった、痛みを抱えながらもこの国を守ることを選び続けていた強い人。私が好きになった、アズファルド様。
だから、私は今まで感じたことのない不安の重さに押しつぶされそうだったとしても、笑ってそう言える。
「……竜の花嫁よ」
フードを被ってずっと後ろに控えていた人が、初めて話した。しっとりとした声色は、襲撃の一報を受けて上がった熱を冷ましてくれるような、そんな響きがあった。
ばさりとフードを脱いで顔を見せたのは、妙齢の女性。
「王妃、素性は明かさないのではなかったか」
「国王が不在になるのでしたら、この場を見守るのは私の役目かと存じます」
王妃殿下と国王陛下が交わした言葉はそれだけ。けれど、お二人にはそれだけで十分だったようだ。国王陛下はそのまま伝令と共に部屋を出て行った。
「儀式は、あなたの意志さえあれば始められる。けれど、不安ならやめても構いません。決めるのは、花嫁。あなたです」
王妃殿下の言葉に、アズファルド様は絡めた指を解いた。国王陛下が退室した時に、アズファルド様だって本当ならついていったほうが良かったのだろう。
ぎゅっと一度抱きしめられてから、熱が離れていく。そうして、手に残ったのはひんやりと冷たく、つるりとした感触のなにか。
「これを。俺の鱗だ。護符代わり程度なら使えるだろう。
俺は、お前を信じている。だから、信じてくれ。リィナ」
「ありがとうございます。私は、あなたを信じています。アズファルド様、行ってください」
大丈夫。私の手の中に残されたのは、アズファルド様の気持ちだ。
空へ駆けあがるアズファルド様の風を感じながら、私は心の中でそう呟いた。どれだけ遠くの空へ飛び立つのだとしても、その姿が見えなくなっても。
私達は、繋がっている。
鱗をもう一度握りしめて、私は王妃殿下が待つ祭壇へと向き合った。




