17.隣に立つため
「おはようございます、リィナ様」
半分夢の中にいる私に、優しくかけられた声。前までは声がかかるとすぐに目を覚ましていたんだけど、離宮に戻って来てからは優しく起こしてくれる声に甘えて、少しベッドの中でうとうとしてしまっている。
でも、聞こえてきたのは、ライラのしっとりと落ち着いている声よりもわずかに高い。
「……ライラ?」
「ライラは、食堂で朝食の準備をしています」
他の侍女が私の部屋に、しかも起こしに来ることなんて今まではなかった。それは、私が離宮にやってきてすぐのあれこれがあったからなんだけど。侍女たちとも仲良くなった今でも、ライラが習慣のようなものだと譲ることはなかったのに。
「もう私の声を忘れてしまったのかしら? 悲しいわ」
少しだけ砕けた口調、忘れてしまったと言われて思い当たる人物の名を呼びながら、私はベッドから飛び起きた。
「イザベラ様!」
「昨晩、あれだけ練習なさったのにもう戻っていますのね。目覚めの紅茶を飲んだら、やり直しかしら」
「あ、あはは……。ありがとう、いただきます」
いつも飲んでいるよりも少し集めに淹れられた紅茶を飲んでいると、だんだんと頭が働いてくる。
イザベラ様が離宮にふらりと姿を見せたのは、幻華の蜜の騒動があってからすぐだった。当然、離宮に入れることは出来ないと巡回している騎士たちが止めてから私のところに報告が来た。
報告、というよりも私はどうしたいのかという、意思の確認の意味合いのほうが強かったと思う。
「あ、おいしい……」
「ふふ。気に入っていただけて何よりです。紅茶を淹れることには自信がありますのよ」
ふわりと笑うイザベラ様の表情は、王城のなかでは見ることのなかった穏やかなもの。
竜の花嫁になれなかったイザベラ様と友達になりたいと願ったのは私から。だけど、まさかその次の日にイザベラ様が家を飛び出して、離宮にやって来るとは思ってもいなかった。
そして騎士たちにも王城でのやり取りを説明して、ひとまず離宮で過ごしてもらうことになったまでは、よかった。
イザベラ様は友達ではなくて、私の侍女になることを望んで離宮にやって来たと知ったのが二回目のまさか。
「本日は、僭越ながら私が講師を務めさせていただきます。花嫁についての知識を、自分のものになさりたいのでしょう?」
「……うん。私は、選ばれたからじゃなくて、自分の意志であの人の隣に立つ。そう、決めたの」
紅茶を飲み干して、身支度を整える。その間に手際よく紅茶を片付けているイザベラ様の姿を見て思う。
私としては王都に来て同性の友達がいなかったし、公爵家の令嬢が侍女になるなんて、と思ったから初めはお断りをした。
誰よりもイザベラ様本人の意志が固くて、私が言葉では太刀打ちできないのを見たライラから、妥協案としてひとまずお試し期間を設けてみてはと提案されるまで、結果の出ない不毛なやり取りをしていたくらいだ。
「敵わないわね」
「イザベラさ、イザベラ?」
危ない。また本人を目の前にして名前を連呼するという、私だけが気恥ずかしくなる練習をやらなくてはいけなくなる。私が噛んだり口ごもったりするのを至近距離で見ているのに、涼しい顔を崩さないイザベラ。花嫁のことについても教えてもらいたいけれど、表情の作り方も一緒に教えてもらおうかな。
何かつぶやいていたけれど、私の耳には届かないままイザベラは片付けを終えて、私の移動を促した。
「ならば、時間は大切になさりませんと。さ、食堂へまいりましょう」
「おはようございます、リィナ様」
イザベラの言っていた通り、食堂ではライラが朝食の準備をして待っていてくれた。よく焼けたパンの香りが刺激となって、私の体は空腹を訴える。
温かい具だくさんのスープとオムレツが並ぶテーブルには、果物と小瓶に入った蜜も用意されている。
「おはよう。今日もおいしそう!」
幻華の蜜がこうして当たり前のようにテーブルに並んでいるのは、アズファルド様がその味を気に入ったからだ。
王城にいる国王陛下にはそう説明していたけれど、本当はこうして定期的に蜜を食べていても竜に何の害もないことを知らしめるため。こっそりと料理人が教えてくれた。
「もう少しだけ、お待ちいただけますか」
「……なんだ、もう席についていたのか」
「アズファルド様! おはようございます」
「ああ。おはよう」
ライラが待ったをかけてすぐ、理由は分かった。アズファルド様が食堂に姿を見せたからだ。私が離宮に戻って来てから、アズファルド様は今まで壁を作って距離を縮めようとしなかったのが嘘のように、コミュニケーションを取ってくれるようになった。
朝食を一緒にしてくれるだけではない、中庭の花の手入れをしているときも、書斎で勉強をしているときにだって。気づけばアズファルド様はそこにいて、触れ合おうとしてくる。
今までと比べるまでもなく、ぐいぐいと来るものだから私の方が戸惑ってしまうほどに。それを嬉しいと思う私の気持ちも確かにあるから、結果として受け入れてしまうんだけど。
「今日も、おまえは勉強か」
「はい。ここに立ち続けるためには、足りないものだらけですから」
花嫁に選ばれて日が浅いから、というのは言い訳としても通用しないというのは、この間の一件で痛感した。だからこそ、私は今まで以上に花嫁について学ばなければならない。
アズファルド様の隣に、立ち続けたいと願っているのだから。
「アズファルド様」
「……なんだ」
アズファルド様は、まだイザベラがこの離宮で私の侍女をすることに納得していないようで、少しだけ冷たい。イザベラもそれを当然としているから、二人の対応を見ていると私の方がひやりと感じる時だってある。
この人の花嫁になるためだけに生きてきた、というイザベラがそうして一線を引いた対応が出来るだけで、すごいと思うのに。
「本日、リィナ様には花嫁の儀式についてお教えする予定でございます。よろしければ、ご一緒なさいませんか」
「イザベラ?」
「……おまえが、リィナに教授すると?」
思いがけない提案が飛び出して思わず摘まんでいたパンを落としてしまった。それを拾い上げるよりも早く、アズファルド様の冷たい声がイザベラに刺さる。出来るのかと言わんばかりのアズファルド様に、イザベラはただ淡々と言葉を続けた。
「この身は生まれてから竜の花嫁になるために、と学んでまいりました。リィナ様の講師としては適任かと」
「ほう。ならば同席しよう」
二人の視線にバチバチと火花が飛んでいる幻覚が見えて、慌てて間に入る。おいしい朝食の席、目の前でそんなやり取りをされては、せっかくのオムレツの味も分からなくなってしまう。
「ありがとうございます。私、頑張りますね!」
そう、決意したのはよかったものの。花嫁の儀式についての勉強は、思っていたよりも難航することになった。
というのも、儀式についてイザベラも知っていることは少なく、この離宮にある本の中にだったら詳しいことが書いてあるのではと思っていた上に、アズファルド様に聞けばどうにかなると考えていたからだ。
「……覚えてなど、おらぬ」
その一言でイザベラはがっくりと肩を落とし、アズファルド様はその様子を見てちらりと視線を向けただけで黙り込んでしまったからだ。
これでは話が進まない。
「イザベラ、花嫁の儀式について教えてください」
「私が知っていることは少ないのですが、よろしいでしょうか」
「もちろん! 私も詳しいことは分からないから、少しでも何か知っていたら教えて欲しいの」
そう、竜の花嫁には儀式が必要。聞いてはいたけれど詳しいことを調べるまでは出来ていない。
アズファルド様は黙ったままだけれど、おそらく何かを思い出したら説明してくれるはず。そうであって欲しい。じゃないと、このまま儀式について詳しいことが分からないまま、書斎の蔵書をしらみつぶしに探すはめになってしまう
「竜の花嫁は、守護竜との絆を結ぶ儀式を通じて、国土と竜の力の安定を祈る。
私が聞いているのはその一文のみです。手を尽くしてみても、それ以上の記載がある書物は見つかりませんでしたので、深堀りすることはないと別の分野に手を伸ばしました」
「じゃあ、イザベラがアズファルド様を誘ったのは」
「ええ。守護竜本人であるならば、それ以上の事を知っているだろうとの考えからです。アズファルド様は覚えていらっしゃらないようですが……」
考え込んでいる様子のアズファルド様だけど、たぶんその儀式をしたのはエルセリア様の時だけなのだと思う。
その後の花嫁には、おそらく形式的な当たり障りのない、最初の私のような接し方しかしていないだろうから。
「待って、イザベラ。国土と竜の力の安定を……ってアズファルド様と儀式が出来なかったら、どうなるの?」
「私の考えですが、おそらく国が荒れます。それが、守護竜という存在を失ったからとなるかどうかは、分かりかねますが」
その一言は、何よりも私の胸に刺さった。国が荒れる、よりも守護竜を失うというほうに。どきりとした私が視線を向けたことに気づいて、アズファルド様がすっと近づいてくる。
「今すぐに、国がどうとなることはない。エルセリアがいなくなってもここまで持ったのだ、しばらくは大丈夫だろう」
「リィナ様の不安を取り除くためにも、早めに思い出していただけるようにお願いいたします」
「……言われずとも」
それから三人で書斎を調べてみたけれど、花嫁の儀式についてはそれ以上の情報を手に入れることは出来ずに終わった。
ひとまずはアズファルド様の記憶だよりというところで切り上げたけれど、私の胸には小さな棘が刺さったみたいに、不安が消えることはなかった。




