16.花開く想い
「おかえりなさいませ、リィナ様」
「……ただいま!」
出迎えてくれたその声を聞いた瞬間、胸にじんとしたものがこみ上げる。離れていた時間はそこまで長くなかったし、村で過ごした日数よりも短いのに、いつの間にかここが帰る場所になっていたみたいだ。
泣きそうになった私を抱き寄せて、背中をポンポンと叩いてくれるライラの胸を借りて、ここしばらく我慢していた涙を流す。
「……落ち着けたか?」
「ありがとうございました。だいぶ、落ち着きました」
私が泣いて侍女たちや騎士の皆さんにお礼を伝え回っている間、アズファルド様はずっと待っていてくれた。背を向けていた私は分からなかったけれど、ライラはアズファルド様がそわそわしているのをずっと見ていたようだ。
泣いて赤くなった目を優しく拭ってくれる時に、そっと教えてくれた。
その証拠、と言わんばかりにライラから離れてすぐに私の手を取ったアズファルド様を微笑ましく見ていたのだから、私は何とも言えない表情を浮かべるしかなかった。
「迎えに来てくれて、ありがとうございました」
それから手を掴まれて、連れ出されたのは離宮の中庭。穏やかな風に乗って、花の香りが届く。
そういえば、あの花の香りはアズファルド様の好みではなかったのだった。少しだったらいい香りだと思っていたから残念な気持ちもあったけれど、離宮に戻ったら処分しようと思っていた花。
私が何かを指示する前に、仕事のできる侍女たちによって離宮の花たちの肥料になっていたとは知らず、まずはアズファルド様に頭を下げる。
「あの、手紙も……嬉しかったです。とても」
本来であれば離宮の外を警護する騎士たちも、私を出迎えてくれた。私のところに殴りこんできたあの日焼けした騎士は、姿を見せなかったけれど。
「手紙?」
「迎えに行く、って伝えてくれましたよね? 騎士の一人にお願いしてくれて」
これはもしかして。アズファルド様が頼んだものではなかったのだろうか。だったら、どうしてあの騎士はわざわざ王城の私のところにやって来て、自分が恨まれるはずの行動を取ったのか。
ひとつの考えに思い至った時は、もう私の足は動き始めていた。
怪訝そうに私を見ていたアズファルド様だったけれど、行先に覚えがあるようで先導するように前に出てくれた。
「この離宮の使用人の管理は、私の仕事だ。侍女も庭師も料理人も、そして騎士もだ」
「ありがとう、ございますっ!」
走りながら弾む声、けれどそれはちゃんとにアズファルド様まで届いている。私は、自分の声が誰にも届かないなんて、もう考える必要はないのだから。
***
「よかった。あの人、辞めるつもりだったんですね」
「そうでなかったら、あのような行動は取れぬだろう」
中庭に戻ってきた私たちは、一角にあるガゼボで息を整えていた。と言っても、肩を揺らしているのは私だけで、アズファルド様は同じ距離を私よりも速く走ってたのに息の一つも切れてはいない。
騎士は離宮の外を警護してくれているけれど、休憩に使ったりする場所は離宮の中にある。場所を知らない私はアズファルド様の先導のおかげで、最短距離で辿り着いたはずだったのに。
事情を話して、アズファルド様直々にあの騎士を引き留めたから、周りは騒然としてしまってちょっとした騒ぎになった。
「今からあれほどの技量を持つ騎士を育て上げるなど、手間がかかるからな」
「時間はあるのに、ですか?」
「時間があるからこそ、だな。私とお前たちに流れる時間の早さは、違う」
それは、国王陛下と話すアズファルド様を見て感じたのと同じ、寂しさ。雪が積もるように、髪に白い物が混じっていた国王陛下の、小さい頃を知っているかのような発言を聞いて、思った。
アズファルド様が過ごす時間が、私達よりも長いのは知っているつもりだった。けれど、流れ方だて私達よりもゆったりとしたものなのではないかと。
「お前に、話しておきたいことがある。エルセリアの事だ
……聞いてくれるか、リィナ」
静かな声で初めて聞いた自分の名前は、心臓を跳ねさせる。それは、アズファルド様との距離が縮まったことへの喜びか、エルセリア様についての不安か。
どちらにせよ、長い話になるだろう。心臓を落ち着かせるように、私はふうと長く息を吐いた。
「エルセリアは、竜語の巫女としてこの国と竜の間を繋いでいた。人でありながら、竜との共存を望んだ彼女は、いつしか竜と心を交わすことのできる、特別な存在となっていたからだ」
その名前を口にするとき、アズファルド様は決まって懐かしそうに目を細める。それと同時に、どこかまだ塞がっていない傷の痛みを思い起こさせるようにも。
最初の花嫁、前に見た黒ずんだ指輪。そのどれもがエルセリア様の名前と結びついているからこそ、分かってしまう。
アズファルド様は、エルセリア様をとても大切にしていたのだと。
「彼女は、俺の唯一の理解者だった。誰にも届かない言葉を、彼女だけが拾い上げて聞いてくれた。
……そんな彼女を、俺はきっと、愛していた」
覚悟はしていたけれど、改めて言葉で聞くとその感情はあまりにも重い。花嫁という制度を作り出したのがエルセリア様だったら、きっと彼女は分かっていたのだろう。流れる時間が違うからこそ、アズファルド様を置いて逝ってしまうのだと。
「彼女は、花嫁である前に巫女であろうとした。竜語を聞けることが役目なのだと。
そうして、エルセリアは俺の目の前で倒れた。治癒の魔術も、手厚い看護も、彼女が旅立つのを引き留められなかった」
そこまで話したアズファルド様は、一度口を引き結ぶ。ただ聞いているだけの私でも、泣いてしまいそうになるのだ。大切な人が目の前で倒れて何もできなかったアズファルド様の当時の気持ちは、想像するよりもずっとつらかったのだろう。
両親を亡くした時にまだ小さかった私だって、あの時の気持ちは覚えているのだから。
「そうして、俺は二度と人と深く関わるまいと決めた。守護竜として必要な花嫁という制度さえ、ただの形式として受け入れた。
それが、誰かを――お前を傷つけるとも思わずに」
アズファルド様は、冷たい人ではない。それは離宮に来た時に何となく感じたことだ。私の直感は間違っていなかった。そして、花嫁に選ばれたことも。
どうして、と思ったことなど数えきれないほどあった。冷たい態度を取られるたびに、合わない視線を感じるたびに村に帰りたいとだって願った。
けれど今、アズファルド様の心の内側にある想いに触れて、あの時投げ出さなかった私を褒めたい気分だ。
「お前の瞳は、エルセリアと同じ色。あの時を思い出したくなくて、今までよりも頑なに拒否をしていた。
言葉一つで済むとは思っていない。だが、謝らせて欲しい。
今まで、すまなかった。リィナ」
深々と頭を下げたアズファルド様の、きらきらした銀髪が風に揺れる。視界いっぱいに染まるその色は、とても綺麗だと心から思う。
そっと伸ばした手が触れた髪は、思っていた以上にさらりと指の間からこぼれていく。自分の栗色の髪も嫌いではないし、この離宮に来てから侍女たちの手入れのおかげで、村にいた時よりも艶やかになった。
それでも、私の指をくすぐるこの感触には負けるけど。
「リィナ……?」
「私は、エルセリア様にはなれません」
亡くなった人に会えないように。どれだけ願っても、記憶から薄れていくように。私は、エルセリア様のようにはふるまえない。けれど、隣でぬくもりを分けることは、今生きている私だからできること。
「けれど、アズファルド様の隣にいたいと思った。アズファルド様が誰にも言えずに抱え込んでいたことを、私に話してくれた。
だから、もうそれで充分なんです」
これ以上、謝る必要などないのだと、アズファルド様に理解してもらいたい。髪に絡めて遊ばせていた手を、アズファルド様のところへ持っていく。
驚いたように引っ込めようとしたその手を掴んで、ひんやりとしているアズファルド様に体温を移すようにぎゅっと握った。
「だから、ここから私たち、もう一度始めませんか」
「ああ。今度こそ、俺の花嫁を大切にすると誓う。共に、歩んでくれるか。リィナ・シーリス」
「もちろんです。私の時間のある限り、あなたの隣にいます」
手を握って、ガゼボに座ったまま私達は、ようやく新たな一歩を踏み出すことが出来た。
そっと唇に触れたぬくもりを、私はこれから先何度だって思い出すだろう。




