第06話 傲慢の女王
後を追うように移動した私たちの元に、間もなく騎士たちが報告を持って現れた。
――フィデンツィオ様の指示で確保された物は、二つ。
一つは、バルバラの部屋から見つかったという左利き用の裁ちバサミ。
もう一つは、小さな陶器の壺に入れられた、乾燥した薬草根だった。
フィデンツィオ様はその根を手に取り、小刀でカリカリと細かく削る。落ちた粉末を指先で擦り合わせるようにして匂いを確かると、彼はわずかに眉をひそめた。
「これは、ワレリアナ根だ。カモミッラより遥かに強い鎮静作用がある。これを煎じたものを香りの強いカモミッラの薬草酒に混入すれば、飲んだ者は気づかぬまま深い眠りに落ちるだろう」
バルバラが、保温瓶から薬草酒を注いだ手順を思い出す。
一本目から、私とフィオーラの杯に。二本目から、アンネッタと自分の杯に。
「一本目にはただのカモミッラ酒を、二本目にはワレリアナを加えたものを入れておいた。バルバラ本人も同じ二本目から注いで飲んでいたけれど――飲んだふりをしていたのかもしれません」
そういえばアンネッタは、『苦みが出ている』と言っていた。あれはイヤミで言ったのではなくて、ワレリアナの持つ苦味だったのだ。
村長の家までバルバラを連れてこさせると、彼女はいつもと変わらない、自信に満ちた表情を浮かべていた。
「領主様、何かお間違いではございませんか? わたしには、明日の準備が――」
「左利き用の裁ちバサミとワレリアナ根が、お前の部屋から見つかった」
フィデンツィオ様の声は淡々としていたが、有無を言わせぬ響きがある。
バルバラの表情が、ほんの一瞬だけ固まった。けれど、またすぐに微笑を貼りつける。
「……左利きの人間なんて、この村には他にもたくさんおります。ワレリアナ根の効用だって、ちょっと薬草を扱う者なら誰でも知っておりますわ。持っていて何が悪いのでしょう?」
開き直るように、バルバラは言葉を続けた。
「公明正大と名高い、我らが偉大なる領主様に申し上げます。そんなものでは、わたしが犯人だという証拠にはなりません」
「なっ、バルバラ、領主様に何という無礼な口を! そんな屁理屈を言って、通じるとでも思っとるのか!?」
青ざめた村長が声を上げた瞬間――バルバラの口元が、ゆるりと弧を描く。
それは、これまで彼女が見せたことのない質の笑みだった。
「……そもそもが、おかしかったのよ」
――声色が、変わった。
「わたしの方が、あの子より相応しいでしょう? みんなだって、わたしが候補に選ばれるはずだって言ってたじゃない。だからわたしが女王になるのが、順当なの」
いつも明るく、他人の努力を素直に認め、陰口を許さない。
そんな『凛として人望のある娘』の仮面が、ずるりと剥がれ落ちてゆく。
「わたしがやるべきなのよ。春の女王は、わたしが。賛歌も作法も完璧に覚えているし、誰よりも女王に相応しい。そうでしょう?」
あの穏やかだった瞳が、欲望にぎらりと光る。
「アンネッタも、フィオーラも、あんな状態では使いものにならないわ。――完璧な春の女王を演じられるのは、この村にはもう、わたししかいないのよ」
そこまで言って、彼女はくすりと笑った。
「せっかくの、五月祭でしょう? そこにいる聖女様に綻びを直してもらって、ようやく開ける祝祭なの。ねぇ村長、台無しにしたくなければ、もうわたしに頼むしかないのよ」
最後に勝ち誇るような笑みを残して、バルバラはきびすを返す。
「では、わたしは明日の衣装の準備に戻りますわ」
騎士たちが後を追おうとしたが、フィデンツィオ様が片手を上げてそれを止めた。
彼の身分があれば、力ずくで捕らえてしまうのは簡単だ。でもフィデンツィオ様が身分に分け隔てなく公平に裁きを下す御方であるという事実は、長年かけて築いてきた領民たちから彼への『信用』なのだ。バルバラもそれを分かっていて、しらばっくれたのだろう。
(あの完璧な笑顔の裏に、これほどの嫉妬と傲慢が隠されていたなんて……)
背筋が、ぞくりと震えた。
◇ ◇ ◇
バルバラが去った後、残されたのは重い沈黙だった。
アンネッタが呆然と立ち尽くし、やがて駆けつけてきたフィオーラも、すべてを聞いて言葉を失った。村長と長老たちも、バルバラの豹変ぶりに顔を青くしている。
「……まさか、バルバラがあんな娘だったとは」
村長が、うめくように呟いた。
「フィオーラ、疑ってすまなかった……」
口々に謝る村人たちに、フィオーラは小さく「いえ……」とだけ返して、口を閉ざす。
身に覚えのない罪で寄って集って責められて、無理やり髪を切られたのだ。それがどれほどの恐怖だったのか……かつて冤罪で追い詰められた記憶のある私には、痛いほどに分かる。
「でもバルバラの言う通り、確たる証拠がないのに罰を科せば、フィオーラにしたことと同じになってしまうわ……」
私が苦い顔をすると、長老が深い溜息をついた。
「かといって、あのような人間に春の女王を任せるわけにもいかん」
「祭りは今日なんですよ。賛歌を覚えている者が他にいない状況で、どうしたものか……」
村長がちらりとこちらを見て、それからおずおずと口を開いた。
「……聖女様。大変厚かましいお願いなのですが、聖女様に春の女王を務めていただくわけにはまいりませんでしょうか。結界を修復してこの村を救ってくだすった聖女様が女王であれば、演目を多少変えたとしても、皆が納得してくれるかと……」
村人たちの視線が、すがるように私へと向けられた。
何年も自粛を強いられて、ようやく開ける祝祭。それを、こんな形で失いたくないのだろう。
(だからって、私が女王になっても何の解決にもならないわ)
私は目を閉じて、あの前夜祭で見た光景を思い出した。
陰口に傷つきながらも、背筋を伸ばしていたフィオーラ。口は悪いけれど、周囲の目を気にするなと言いに来たアンネッタ。二人とも、この祭りのために積み重ねてきたものがある。
(それを、なかったことにしてはいけない……!)
「引き受けることはできないわ」
場に落胆が広がりかけたのを感じながら、私はゆっくりと目を開けた。
「その代わり、良いことを思いついたの。ぶっつけ本番になるけれど、わたくしを信じてくれる?」




