最終話 二人の女王
五月祭の始まりは、抜けるような青空だった。
村の広場には大勢の人々が集まり、色とりどりの花で飾られた柱が立ち並んでいる。食べ物の屋台からは甘い香りが漂って、楽師たちが調弦する音があちこちで響いていた。
けれど、人々の顔にはどこか不安げな影が見える。昨夜の騒動は、すでに村中に知れ渡っているのだろう。
春の女王の発表を待つ群衆の前で、私は広場に組み上げられた舞台へ上がった。少し遅れて、華やかな花冠をかぶったアンネッタとフィオーラが、私の左右に並び立つ。
二人とも緊張に指先まで白くして震えていたが、不揃いに切られたままの髪を堂々と衆目に晒していた。
大勢の人がいるにもかかわらず、広場には不気味な静寂が広がっている。
私は両手を二人の候補それぞれの背にかざし、静かに術の構成を始めた。
(二つ同時に効果を発現させたことはないけれど、理論上は、いけるはず……!)
「――修復!」
力ある言葉と共に、両手から光の粒があふれ出す。
光が、二人の娘たちを取り巻いた瞬間――。
「髪が……!」
群衆から、声が上がった。アンネッタの明るい金色の髪が、フィオーラの優しい茶色の髪が、するすると伸びてゆく。
すっかり元の長さに戻った二人の髪は、五月の陽光を受けて眩しく輝いていた。
「聖女様の、奇跡だ!」
一瞬の静寂に包まれた後――広場に、割れんばかりの歓声が沸き起こった。
アンネッタは両手で髪を掬い上げ、何度も指の間からさらさらと流している。フィオーラも目を見開いて、少し波がかった自分の髪を、確かめるように撫でていた。
「皆のもの、聞け!」
私が声を張り上げた瞬間、広場が静まり返る。
「今年の春の女王を、女神アウラの名のもとに選出する」
ざわめきが起きる。どちらが選ばれるのかと固唾を呑む人々に向かい、私は告げた。
「――アンネッタと、フィオーラ。二人を、今年の春の女王とする!」
驚きの声が上がった。前例のないことだと、年長者たちが顔を見合わせる。
だが村長が、すぐさま深く頷いて声を上げた。
「聖女様のお言葉であれば、異論があろうはずもございません……!」
その言葉を皮切りに、広場のあちこちから賛同の声が上がった。
やがて、大きな拍手へと変わる。
――そのとき。私は群衆の中に、ひときわ目立つ艶やかな黒髪を見つけた。
群衆の合間から、こちらを凝視する一人の娘。
思惑通りに祭りが台無しになる瞬間を、見届けに来たのだろうか。
それとも、最後まで「女王になってくれ」と泣きつかれることを、期待していたのか。
彼女が長年かけて築いてきた人望という名の『信用』は、何よりの財産だったはず。それを、ただいっときの嫉妬と傲慢のために、失ってしまった。
(私にだって、嫉妬することはある。でもだからって、人を傷つけていいものじゃないわ)
バルバラの涼やかだった瞳が大きく揺らぎ、唇がきつく結ばれる。
次に目を向けたときには、彼女の姿は群衆の向こうに消えていた――。
◇ ◇ ◇
アンネッタとフィオーラが並んで花冠を戴く姿は、誰もが見惚れるほど美しいものだった。
黄金の髪に青い矢車菊の冠。大地の髪に色とりどりの野花の冠。
対照的な二人が並び立つと、それぞれの美しさがいっそう引き立って見えた。
二人の女王が声を合わせて古代語の賛歌を捧げるあいだ、人々は無言で頭から帽子を取った。
アンネッタの華やかで伸びやかな歌声と、フィオーラの澄みわたる丁寧な歌声。重なり合った二つの声は、一人では生まれ得ない豊かな響きとなって、青い空に吸い込まれてゆく。
音が消えた瞬間、盛大な歓声と拍手が沸き起こった。
花びらが宙を舞い、楽師たちが陽気な曲を奏で始め、子どもたちが歓声を上げて走り回る。何年も我慢を重ねてきた村人たちの喜びが、至るところからあふれ出していた。
「……悪くなかったわよ、あんたの歌」
アンネッタが、ぷいっと横を向きながらボソッと言う。
フィオーラは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。
「ありがとう、アンネッタ。あなたの歌も、すごく綺麗だった」
「当たり前でしょ。誰の歌だと思ってるのよ」
アンネッタはそう言いながらも、口元がほんの少しだけ緩んでいる。
(もう大丈夫ね)
二人の女王を残して舞台裏へ下りると、フィデンツィオ様が待っていた。
「二人を女王に立てたのは、いい判断だった」
「貴方が疑いを晴らしてくださったおかげです。あのまま間違った罪を着せられたままだったなら、フィオーラの一生に深い傷痕を残すところでした」
「……私は事実を問い直しただけで、真実を糺すには不十分だった。だが君は、証拠を突き付け断罪する、その先を見ていた」
「それでも」
私が一歩近づきフィデンツィオ様を見つめると、彼は少し面食らったように、瞬きをする。
「あのとき私が叩いた扉を、貴方はすぐに開いてくれた。冤罪を、晴らしてくれた。フィデンツィオ様、貴方がいなければ、私はただ悔しい思いを抱えたまま祝祭の始まりを迎えていたはずです。……本当に、ありがとうございます」
私が満面の笑みを向けると、彼は一瞬何か言いたげな顔をして……けれど結局口を閉ざし、視線を外す。
ややあって、再び口を開いた。
「……なぜそれほどまでに、君は私を肯定ばかりする」
「それは貴方が先に、私を肯定してくれたから……」
「先に? 一体、いつの話だ」
その眉は困ったようにゆがめられているけれど、耳の先がほんのり赤く染まっているのは気のせいばかりではないだろう。
春風が、花の香りを運んでくる。二人の女王が手を取り合い、広場の中央で踊り始めた。
人々が周りを取り囲み、踊りの輪が広がってゆく。
私は彼の問いにあえて答えないまま、勇気を出して手を取った。
「ほら、みんなとっても楽しそうですよ。私たちも行きましょう!」
遠慮がちに、でもしっかりと握り返された手を引いて――私たちは祝祭の輪に加わった。
◆ ◆ ◆
君に手を引かれながらも、私はまだその言葉を信じきれないでいた。
――なぜ愚直だとすら思わせるほどに、私を肯定できるのか。
『貴方が先に、私を肯定してくれたから』
そう君は言ったが、残念ながら私には心当たりがない。そして君がたまに口走る、『先生』という存在――。
『もしや、人違いではないか』
その問いを何度も口にしかけて、そのたびに私は言葉を呑み込んだ。
真っ直ぐに私を見つめる瞳には、一片の翳りもない。そして次々と紡がれる、私にとって都合のよい、甘い言葉の数々――。
だからこそ、恐ろしいのだ。それを失ってしまったとき、その瞳が拒絶の色を帯びたとき。果たして私は、喪失に耐えきれるだろうか。
――絶対に溺れては、ならない。
だが今だけは、ただ黙って君の笑顔を守ることを……どうか許して欲しい。
このささやかな日々の幸せが、永遠に続くなら――そう、願ってやまないのだ。
了
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!
もしお楽しみいただけましたなら、どうぞ遠慮なく★1つから、評価をご入力いただけますと幸いです。反応いただけることが、何よりの励みになります。
異世界転生の新連載も始めました!よければ読んでみてください。
◆前世の記憶で搾取に気づいた元王女、婚約破棄もされたことだし、男装して宝石工房始めます
https://ncode.syosetu.com/n6743mi/




