第04話 前夜祭の凶刃
バルバラの後ろ姿を見送って、私もサルビアを探しに農場の方へと歩き出した。すれ違う娘たちが、笑顔で小さく腰を落として礼を執る。私も挨拶を返しつつ、歩くほどに軽くなってゆく足取りで花畑へと向かった。
王都にいた頃は、こんなふうに夜の野原を歩くことなど想像もしていなかった。一緒に親や使用人たちの目をかいくぐり、屋敷を抜け出しては叱られていた友人たちは、元気だろうか。
しばらく歩くと、無数のサルビアが群生している場所に出た。バルバラが言った通り薄紫色で、私の白くなったまま一向に元に戻りそうにない髪色にも、よく似合いそうだ。
花畑にしゃがみ込み、茎が編みやすい長さになるよう丁寧に根元から摘み取ってゆく。まもなく慣れない姿勢に足がしびれて、私は草原に腰を下ろした。
少しお酒が回って来たのか、火照った頬に涼しい夜風が心地よい。
空を見上げると、満天の星――。
何もかも忘れて、ぼーっとしていた……そのとき。
夜の静寂を切り裂くように、甲高い悲鳴が上がった。
それまで楽しげに響いていた歌声も、笑い声も、ぴたりと止んだ。
一瞬だけ丘の上の空気が凍りつき、間もなくざわめきが広がってゆく。
私は瞬時に覚醒し、サルビアの束をその場に置いたまま立ち上がった。法衣の裾をしっかりとつかみ上げ、夜の野を走り出す。
声がした方角に目星をつけて、私は東の斜面を駆け降りた。そこにはすでに数人の娘たちが集まっていて、ただならぬ様子で顔を見合わせている。
「何があったの!?」
私の声に、娘たちが怯えた目を向けた。
月明かりに照らされた花畑の中に、アンネッタが横たわっている。
咲き乱れる青い花の中で、目を閉じて眠っているようだ。
だが異様だったのは、バラバラに辺りに散乱している金色の髪――。
腰の下まであった見事な金髪が、無惨にも短く刈り取られている。切り口はひどく不揃いで、残された髪は肩までも届かない。
青い花の上に散らばる黄金の毛束が、月光を受けて鈍く輝いた。
「アンネッタ……!」
駆け寄ろうとした私より先に、横から走り込んできたのはバルバラだった。
「アンネッタ! しっかりして!」
バルバラはアンネッタの傍らに膝をつくと、その肩をつかんで激しく揺さぶった。
「待って、バルバラ。まず状況の確認を――!」
(もしも事件だったなら、現場の痕跡を乱さないようにしなきゃ……!)
そう考えた私の制止は、間に合わず――揺さぶられたアンネッタのまつ毛が震え、ゆっくりとまぶたが持ち上がる。
「……ん、んん……?」
最悪の事態は免れていたようで、私はほっと胸をなで下ろす。
アンネッタに近づくと、焦点の合わない目が、寝ぼけたようにこちらを見上げた。まるで深い眠りの底から無理やり引き上げられたかのように、ぼんやりとしている。
「どうしたの? みんなあつまって」
バルバラに支えられるようにして上体を起こしたアンネッタは、しばらく虚ろにあたりを見回して――地面に散らばる、金色の毛に目をとめた。
震える手を、自らの頭へと伸ばす。指先が触れたのは、不揃いに刈り込まれた毛先だった。
アンネッタの顔から、一気に血の気が引いてゆく。
「――いやああああっ!」
夜空を引き裂くような、鋭い悲鳴が響いた。アンネッタは散乱した自分の髪を掻き集めるように地に伏せながら、何度も何度も首を横に振る。
「うそ……うそよ! あたしの髪……髪がっ……!」
涙が、とめどなく頬を流れ落ちてゆく。
そのとき、集まった娘の一人が声を上げた。
「――ねえ、これ。何か落ちてる」
指差した先に、月光を反射して鈍く光るものがある。
大ぶりの裁ちバサミを拾い上げた娘が、顔色を変えた。
「まさか、このハサミで切ったの……?」
「一体誰の……」
「それ、フィオーラのじゃない?」
別の娘が、声を上げる。
「間違いないって。柄のところに花文字で『F』の刻印があるでしょ? 裁縫の集まりで使ってるの、何度も見たことあるもの」
「あたしも見たわ。これ絶対、フィオーラのハサミだって」
「でもなんで、それがこんなところに落ちてるの……?」
口々に上がる証言に、場の空気が一変した。大きなざわめきが広がって、娘たちの視線が一斉に、騒ぎを聞いたらしく駆けて来たフィオーラへと向けられた。
息を切らせたフィオーラは、地面に座り込んだアンネッタの横に膝をつく。
「アンネッタ、大丈夫!?」
「触らないで!」
手を跳ねのけられて困惑するフィオーラに、娘の一人がハサミを突き付けた。
「これ、フィオーラの裁ちバサミでしょ?」
その意味に気づいたフィオーラの顔が、一瞬で青ざめる。
「なぜこんな酷いことをしたの!?」
そこへすかさず叫んだのは、バルバラだった。涙で顔をぐしゃぐしゃにしたアンネッタの背を撫でながら、フィオーラへ鋭い目を向ける。
「違う……! 私はそんなこと――」
「どうせ、春の女王の座が目当てでしょ!」
娘たちの声が畳みかけるように重なった。
「そうよ、勝ち目がないって分かってたから、アンネッタを潰そうとしたんじゃない!?」
「違う!」
フィオーラの悲痛な声が、夜の空気を震わせる。
「私はやってない! 私をハメようとして、犯人が私のハサミを落として行ったのよ!」
「言い訳してもムダよ!」
「そうよ、あんたの他に、誰がやるっていうのよ!」
「待って、まだフィオーラがやったと決まったわけでは――」
私は強く声を上げたけど、興奮した娘たちの怒号にかき消されてしまった。
フィオーラは、春の女王の候補としてアンネッタと競い合っていた。でも見た目では、とても勝ち目がない。だからアンネッタの髪を切り、イメージを悪くしようとした。――それが、村娘たちが出した結論だった。
この地域における断髪刑は、不倫や売春した者への見せしめとして科される罰則の一種だ。だから年頃の娘に悪印象を一瞬で与える方法として、効果的なのだろう。
「私は、やってない」
フィオーラは、何度もそう毅然と繰り返した。だがその言葉に耳を傾ける者は、この場にはほとんどいなかった。
どんどん糾弾が加熱してゆく娘たちには、『聖女』の声も届かない。
(このままじゃ、危ない!)
急いで村長たち村の年長者を呼んで戻って来た私が目にしたのは……三つ編みを根元から切り落とされて座り込む、フィオーラの姿だった。
「あなたたち、一体何てことをしたの!?」
「聖女様……だってこの娘が卑怯なことしたから、同じ目にあわせてやろうって……」
さすがに、少し冷静になったのだろうか。
きまり悪げに顔を見合わせる娘たちに、私は声を張り上げた。
「現イルネーロ公爵は、領内での私刑を許していないはずよ!」
「で、でも、髪の毛ぐらい……」
「その『髪の毛ぐらい』を、本当にフィオーラが切ったという確証はあるの!? それで、そんな酷いことをしたの!?」
「それは……」
青ざめた娘たちが、目を泳がせてうなだれる。
ようやく、やりすぎてしまったことに気づいたのだろう。
「……アンネッタ、フィオーラ。二人は先に家へ帰って、少し休むといいわ」
私が声をかけると、アンネッタは泣き腫らした顔を伏せ、その場をのろのろと離れていった。
フィオーラもまるで幽鬼のような姿で、無言で暗がりへと消えてゆく。
話を聞いた村長が、残された娘たちへ青い顔を向けた。
「それじゃあ……今年の春の女王は、どうするんだ? 春の女王は、古代語で賛歌を捧げねばならんのだぞ。今から他の誰かに覚えさせるなんて、無理だろうが……!」
村娘たちの間に、一瞬でざわめきが広がった。
「でも、卑怯な手を使ったヤツが得するなんてありえないし!」
娘の一人が反論したが、村長は頭を抱えて声を荒らげる。
「でももなにも、ようやく完全に開ける五月祭だったのに、主役がおらねば始まらんだろう!」
村長たち年長者の間でも、娘たちの間でも、再び議論が紛糾し始めた。結界が不安定だったここ数年、この村は五月祭を満足に開くことすらできなかった。ようやく結界が修復されて、久しぶりの祝祭だというのに……まさかその主役が、いなくなるなんて。
実をいえば――私が術を使えば、二人の髪を元に戻して、事件自体を無かったことにするのは簡単だ。
(でも、ただ元のように髪を伸ばしたところで……二人の心が晴れなければ何の解決にもならないわよね)
どうにかできないかと、私も頭を悩ませていた――そのとき。
落ち着いた、けれど夜闇によく通る声が響いた。
「わたしでよければ」
声の主は、バルバラだった。




