第02話 五月の祝祭
街道から再び馬車に乗り換え、近隣では最も人口の多い村へと戻った頃――太陽はすでに、西の山並みに傾きかけていた。
宿に戻って早めの夕食をいただき、のんびりとした時間を過ごす。食後の香草茶をゆっくり飲んでいると、村の長老を名乗る老女が数名の村娘たちと共に訪れて、恭しく礼を述べた。
「――聖女様が結界を修復してくだすったおかげで、今年はようやく安心して前夜祭ができると、皆たいそう喜んでおります」
「前夜祭……そういえば、明日は五月祭ね」
「ええ。この村では、その前夜に若い娘たちが野原に集まり、祭りでかぶる花冠を編む習わしがあるのです。ここ数年は結界を抜けてくる魔物が多く、夜に外で集まるなんてとても出来んでおったのですが」
そこで長老は、少し潤んだ目をしょぼしょぼと瞬かせて言った。
「聖女様が綻びを直してくださったおかげで、今年はようやく安心して前夜祭ができるようになりました。どうか聖女様も、祭りにお出ましいただけませんでしょうか」
手放しの賞賛はまだ少し気恥ずかしいけれど、役に立てたと思えば胸のうちに暖かなものがこみ上げてくる。
「ぜひ、参加させてもらえるかしら」
迷うことなく答えると、わっと歓声が上がったのだった。
◇ ◇ ◇
案内されたのは、村外れの小高い丘の上に広がる草地だった。
気づけば王都では見たことのないほどの数の星が、漆黒の空を埋め尽くしている。
草地の中央にはいくつものかがり火が焚かれ、その周りに多くの村娘たちが集まっていた。膝の上に色とりどりの花を広げて冠を編む者に、輪になり歌いながら踊る者。笑い声とにぎやかな歌声が、夜風に乗って響いている。
「聖女様がいらしたわ!」
同年代も多い娘たちの視線が集まって、私は少々気恥ずかしくなった。でもその賑やかな歓迎に、自然と笑みが浮かんでしまう。
案内されてかがり火の近くに腰を下ろすと、近くにいた娘たちが話しかけてきた。
「聖女様、お忙しいとは存じますけれど、ぜひ明日の五月祭本番もご覧になって行ってくださいね。春の女王を選んで、村人たち総出で歌や踊りで春を祝うんです」
「春の女王って?」
「五月祭の主役です。村の娘たちの中から歌の上手な娘が一人選ばれて、女神様へ春の訪れを感謝する賛歌を捧げるんです。発表は明日の朝なんですけど――」
娘はそう言って、かがり火の向こうに目をやった。
「今年の候補は、あちらの二人ですね。アンネッタと、フィオーラ」
彼女の視線の先で、まず目を引かれたのは金色に輝く髪を持つ娘だった。豊かな胸を堂々と張り、華やかな笑顔を周囲に振りまいている。長い金髪は腰のあたりまで流れ落ち、動くたびにさらさらと光を弾いていた。
「あの金髪の方がアンネッタ。気は強いけどここらじゃ一番の美人だし、歌もすごく上手いんです。もう一人のフィオーラは――」
娘が言いかけたところで、別の娘がくすくすと笑いながら口を挟んだ。
「ねえ、てっきりもう一人の候補はバルバラだと思ってたのに。フィオーラみたいな地味な子が、なんで候補に選ばれたんだろ」
「単に名前が花の女神だからってことじゃない? ほら、どうせ今年の春の女王はアンネッタで決まりだし、もう一人の枠なんて数合わせでしょ」
「そうよねえ。あの子が女王様だなんて、ちょっと想像できないし」
娘たちの遠慮のない笑い声に、私は思わず眉を曇らせた。
(候補に選ばれたということは、それだけの理由があるはずなのに……)
自分たちと同列か、それ以下かと思っていた娘が思いがけず抜擢された……それに対するやっかみも、多分に含んでいるのだろうか。
部外者が口を挟んでいいことか迷っている間も、陰口は続く。
さすがの私も声を上げかけた――そのとき。
「――あなたたち、やめなさい」
凛とした声が、嘲笑をぴしゃりと断ち切った。
振り返ると、一人の娘が悠然とこちらへ歩いてくるところだった。豊かに背を覆う黒髪は、闇夜にもその美しさが際立っている。涼やかな目元と、通った鼻筋。整った容貌には、見る者を自然と黙らせるような魅力があった。
「そんなこと、言うもんじゃないわ」
黒髪の娘の鋭い視線を浴びて、陰口を叩いていた娘たちが少したじろぐ。だがそのうちの一人が顔を上げ、負けじと言い返した。
「バルバラ、きれいごと言ってるけどさ。みんなあんたがもう一人の候補になると思ってたのよ? あんただって負けないぐらい歌は上手いのに、フィオーラなんかに役を取られて腹の中じゃ悔しくてたまんないんでしょ!」
「フィオーラがどれだけ歌に思いを込めてきたか、あなたたち知らないでしょう。何年も前から毎日欠かさず練習しているの。その努力が認められて候補に選ばれたんだから、文句なんてないわ」
バルバラと呼ばれた黒髪の娘は、声を荒げることもなく、ただ静かに、けれど有無を言わせぬ調子で言い切った。その堂々とした態度に、娘たちはばつが悪そうに唇を閉じる。
(――すごい)
あれだけ遠慮なく噂していた娘たちを、一瞬で黙らせてしまった。日々積み重ねてきた人望があるのだろうか。それだけの説得力が、バルバラの言葉にはあるようだ。
「ありがとう、バルバラ」
そのとき。小さな、けれどはっきりとした声がした。
目をやると、いつの間にか背後に一人の娘が立っている。
アンネッタの華やかさやバルバラの凛とした美しさに比べると、確かに地味な印象だ。でもその穏やかな佇まいには、不思議と人を安心させるような雰囲気をまとっている。腰まで伸びた茶色の髪は、きっちりとした三つ編みにまとめられていた。
(この娘が、フィオーラかしら)
きっと、陰口が聞こえていたのだろう。困ったように微笑んではいるけれど、それでも折れない強さがあるらしい。大人しそうだけどしなやかな芯が、一本通っているようだ。
バルバラはフィオーラへ振り返ると、にこやかに笑いかけた。
「気にしなくていいわ。あなたが選ばれたのだから、胸を張ってればいいのよ」
「やっぱりバルバラは素敵よね」
「ほんと、少しぐらい歌をがんばったからって、春の女王に一番大事なのは見ばえでしょ」
「そうそう、長老たちの見る目がないっての」
娘たちはまだひそひそと囁き合っていたが、バルバラが冷たい視線を向けると、さすがにそれ以上は口にせず、それぞれの手元に目を落とした。
バルバラは困ったように笑うと、私の方へ向き直る。
「聖女様、お見苦しいところをお見せしてしまってすみません。そうだ、聖女様もおひとつ花冠を編んでみてはいかがでしょう? わたしでよければ、編み方をお教えしますけど」
「まあ、ありがとう。ぜひお願いするわ」
こうして残っていた花材で編み方を教えてもらうことになり、私は素直にこの時間を楽しみ始めた。バルバラたちの手つきは慣れたもので、細い茎を器用に編み込んでゆく。
しばらく見入っていると、後ろから鋭い声がした。
「ちょっとフィオーラ。あんた、その花冠の編み方はなに?」
振り向くと金髪のアンネッタが、腰に手を当てフィオーラを見下ろしていた。




