52.息子
図書館での盗み聞きから一週間程経った頃には、もうそんなことは忘れかけていた。
断じて盗み聞きするつもりなんかなく、声が大きいから聞こえてしまっただけなのだが、これも盗み聞きになってしまうのだろう。
ただ、講義と読書でそれどころではなかった。
ニコは相変わらずのハイペースで講義を進めるので、私はそれを必死で頭に叩き込む。
「……と、まぁ、人間の体に悪影響を及ぼす病気というものは様々ある訳だよ。君たちの自慢の治癒魔法を持ってしても、治せるのは傷口を塞ぐことや折れた骨をくっつけるくらいのものさ。だから、人間の体の仕組みというものを良く理解する必要がある。さぁ、座学はこれくらいにして、これからお待ちかねの実習だよ!」
生徒たちは実習という言葉に、不安や未知への期待が入り混じり、どこかそわそわしていた。
かくいう私もその一人だ。
帝国では絶対に体験出来ないことが、ここでは許されている。
「じゃあ、解剖室に行くから着いてきて」
ニコを先頭に講堂を出ると、ぞろぞろと廊下を歩きながら地下へと向かう。
薄暗く、すえた臭いのする地下は、ノルンの治療院の地下室を思い出す。
地下にある大きな部屋の一つに入ると、そこにはいくつかの台が並べられ、その上には布が被せられていた。
「それじゃあ、これから何人かのグループに分かれて人体解剖の実習をするよー」
人体解剖。
帝国ではモーリアン教の教義から、遺体の損壊はタブーとされていた。
そのため、治療師協会においても大々的に全ての治療師が解剖を行える訳ではなく、一部の上層部のみがその権利を有し、多くの治療師は解剖図だけで、それらの知識を得ていた。
つまり、私はこれから治療師協会の特権階級しか体得出来なかった経験を積むのだ。
ニコがグループごとに生徒の名前を呼び、それぞれの台に着かせている。
私は自分の名前が呼ばれるのを、今か今かとワクワクしながら待っていた。
「……で、最後のグループは、クレアちゃん!」
「はい!」
「後のメンバーは、アンジェロとカルロ、それとダリオとナナイの五人だねー。クレアちゃんが年長者だし、実務経験もあるから色々教えてあげてもらえると助かるなー」
ビクリと体が強張る。
今、ニコは何て言った?
ダリオとナナイ?
図書館で盗み聞きしてしまった、あの二人なのか?
四人の男が、私の立つ解剖台の方へと近付いて来る。
そして、一番派手な格好をした男が、相変わらずの大きな声で呼び掛ける。
「あんたがミッドランド帝国から留学に来たっていう治療師か」
間違いない。
この聞き覚えのある声。
こいつがダリオだ。
ダリオは冷ややかに笑いながら続けた。
「女が治療師なんかやってるなんて、帝国もとうとう落ちぶれたか? いずれお前の部下になるかもしれねぇなぁ? ナナイ?」
すると、ナナイと呼ばれた華奢な男の子がそっぽを向きながら小さい声で呟いた。
「……興味ないな」
「ハハハ! まぁいい。おい、ねぇちゃん。こいつは帝国の治療師協会にいる師長の息子だ。挨拶しといた方がいいんじゃないかい?」
ダリオの口の利き方は生意気だが、ナナイに治療師協会のコネがあるというのは、そういうことだったのか。
私はナナイに声を掛ける。
「初めまして。クレア・エステルです」
ナナイは私をちらと見ると、またそっぽを向いて言った。
「……どうも」
「あの、お父上はどなたでしょうか。もしかしたら、知り合いかもしれませんよ?」
すると、ナナイは気だるそうにため息を吐く。
「……それが何だって言うんです? 父と関係があろうがなかろうが、自分には関係ないと思いますが」
「え、ええ。それはまぁ、そうですが……」
何なんだ、この子は。
異国で出会った母国の人で、しかも共通の話題があるから話を振っただけなのに。
これではコミュニケーションの取りようがないではないか。
そこへダリオが、ガシッとナナイの肩を抱きながら、内緒話でもしているかのような仕草で語る。
だけど、やっぱり声が大きいので、こちらにも丸聞こえなのだ。
「おいおい、別に減るもんじゃねぇんだからいいじゃねぇか。それに、女って言っても治療師協会の正式な治療師なんだろ? 何かの役に立つかもしれないし。お前と一緒に今回の仕事させるつもりだから、仲良くしとけ」
仕事をさせる?
何を馬鹿なことを言っているんだ。
そんないかにも怪しいこと。
それに私にはそんな暇はない。
ナナイはやれやれといった様子で肩をすくませると、私にその純真そうな瞳を向ける。
「自分のファミリーネームはウォーレンスです。ナナイ・ウォーレンス。父はデルス・ウォーレンスです」
「デルス……ウォーレンス?」
私は目を丸く見開いていた。
この華奢で、まだ幼さの残る中性的な顔立ちの男の子が、あのデルスの息子だって?
散々私をこき下ろした上司の息子と、異国の地で出会うなど、誰が想像出来ただろうか。
そんな私の様子を見て、訝しむナナイ。
「……どうかしましたか?」
「い、いえ! まさかウォーレンス師長のご子息様だとは。お父上とは、少しお仕事をご一緒させて頂いたことがありまして……。それで、ナナイ様もお父上の跡を継ぐため、こちらにご留学されておられるのですね」
まさかナナイも本当に自分の父親と知り合いだったとは思ってもみなかったようで、驚いた表情を見せた。
だが、すぐに元のつまらなそうな顔に戻ると、吐き捨てるように言った。
「……自分は継ぎたいなんて思ってませんがね」
ん? そうなの?
そこらの貴族なんかじゃあ、ベイルポートに留学なんて逆立ちしても無理な話だが、ウォーレンス家は別だ。
代々、優秀な治療師の家系で、ミッドランド帝国きっての侯爵家だからだ。
それでも、留学となれば負担が大きいのは間違いないはずだから、デルスの期待も相当なものだろう。
それなのに、ナナイ本人は継ぎたくないだなんて。
そんなことを思っていると、ダリオが高笑いする。
「ほら、言ってみるもんだろ? これで少しは仕事もやりやすいだろ? ねぇちゃん、俺はダリオ。ダリオ・ガリアーノだ。そんで、同じ実習グループのアンジェロとカルロは俺の部下だ」
そう言って、ダリオが両脇に立っている生徒を親指で示す。
名前を呼んだ順番とジェスチャーのタイミングから、細見で病的に青白い顔の方がアンジェロ、肥満気味で巨体を揺らしているのがカルロだろう。
「……どうも」
「……はらへった」
ダリオとナナイ含め、なんと可愛げのない連中だろう。
部下だなんて偉そうに。
まぁ、どうせ今だけのグループなんだ。
貴重な解剖の経験を存分に積ませてもらおう。
「クレア・エステルです。皆さん、よろしくお願いします。早速ですが、始めましょうか」
私は解剖台に掛けられた布をめくる。
すると、そこには遺体が横たえられていた。
少しの間、目をつむり、冥福を祈る。
その後、トレーに入っていた短刀をおもむろに手に取ると、私はそれを遺体の頸部へ走らせた。
良く研がれた刃は、スッと筋肉を裂いていく。
それから顎の方へと刃を向け、喉を開く。
それを見たダリオが騒がしい声を上げる。
「うげぇ。死体は見馴れてるが、これは中々だな……」
あからさまに口には出していないが、部下だというアンジェロとカルロもその表情から、同じ様なことを感じているようだ。
だが、ナナイだけは相変わらず澄ました顔をしていた。
「気持ちは分かりますが、こんな貴重な経験、滅多に出来るものではないですから。優秀な治療師になるためにも、一緒に参加された方が良いですよ」
単なる社交辞令ではあったが、治療師の先輩として当たり前の助言をしたつもりだった。
治療師を目指すため、皆ここにいるのだから。
だけど、私の想像とは違う答えが、ダリオの口から返ってきた。
「いいよ。あんたが好きなだけやってくれて。卒業資格取るのに、実習の出席が必須だから俺らは来ただけたからよ」
訳が分からなかった。
卒業資格を取るということは治療師になるのではないのか?
「卒業後に治療院を開くのであれば、色々な治療学の知識があった方が、他の治療院と比較された時に優位に働くと思いますが……」
すると、ダリオはケタケタと笑い出す。
「ハハハ! 意外と優しいじゃねぇか、ねぇちゃん。だけど、そいつは大きなお世話だ。もちろん、治療院を開くために資格が必要だから、こうして貴重な時間を割いて通学してるが、別に俺が誰かを実際に治療するつもりは、さらさらねぇ。勘違いするなよ? 俺は紛れもない治癒魔法の魔力持ちだ。だが、治療院はあくまでビジネスの一つに過ぎないってだけだ。俺はガリアーノファミリー初の魔力持ちでな。ようやくこの業界にも参入出来るって親父は大喜びさ」
「……治療院が、ビジネスですか。でも、あなたが治療をしないのであれば、誰が治療をするのです? この国の方々は誰かに使われるのが嫌で、個人で治療院を立ち上げていると聞きましたが、あなたの治療院で働く治療師はいるのでしょうか?」
その言葉を聞いたダリオは少し驚いた顔をすると、心底楽しげにニヤリと口元を歪ませる。
「……女だてらに中々キレるじゃねぇか。あんたが治療師になれたってのも納得だ。せっかくだから教えてやるよ。この国はなぁ、自由を謳っちゃいるが、実のところそんなものは幻想だ。結局は金を持つ奴が、持たざる者を支配してるのさ。例えば、成功する治療院は、優秀な治療師がいる治療院じゃねぇ。商売の上手い奴がやってる治療院さ。すると、どうなると思う? 立ち行かなくなった治療院は廃業になって、そこの治療師は食うために、命の危険を伴う船舶治療師に逆戻りか、儲かってる治療院で働かざるを得ない。理想はあんたの言う通りだが、これがこの国の現実だ」
ニコから聞いた時に抱いたこの国の違和感。
それがようやく分かった。
これは私の考える実力主義なんかではない。
ある意味、生きる上での本当の実力主義なのかもしれないが、とにかく私の考えとは違うのだ。
私の考える実力主義とは、とにかく治療師の技術や知識が優れた者が評価されるというものだ。
しかし、ここではそれだけではない様々な要素により、お金という形での評価を受けるのだ。
自由を求めるための対価。
それはあまりにもハイリスクハイリターンなものだった。
「まぁ、俺のビジネスってのは、優秀だが普通の治療院では雇わない、スネに傷があるような後ろ暗い奴らや、借金のカタにはめられた奴らの足元を見て、こき使うっていう、いわゆるスキマ産業ってやつだな」
「スキマ産業って……。それ、ただ人の心のスキマとか弱味につけ込んでるだけですから、違うと思いますけど……」
「いやいや、滅多なことを言うなよ、ねぇちゃん。本当だったら、野垂れ死んでるか、浮浪者になってる連中に食い扶持を与えてやるんだ。むしろ慈善事業と言ったっていいくらいだぜ?」
「……きちんと報酬支払ってたらね」
聞こえないよう、私はぼそりと呟くのだった。
しかし、このビジネスといい、図書館なんかでコソコソと話していたことといい、このダリオ・ガリアーノ、ガリアーノファミリーとやらは世間に顔向けができないことを色々としていそうだ。
これ以上、関わり合いにならない方が賢明だろう。
私が解剖の続きに戻ろうとした、その時。
ふと気付けば横にナナイが立っていた。
そして、解剖途中の遺体をまじまじと眺めながら、ぼそりと言った。
「……続き、やられないんですか?」
「え? ああ、やりますよ」
頸部を確認した後、今度は上腕を短刀で切り開く。
その様子をナナイは後ろ手を組みながら、じっと見つめているだけだった。
「……興味があるのでしたら、ご自身でもいかがですか? 治療の際にきっと役立つはずですよ」
「……さっきも言いましたが、自分は治療師を継ぐ気はありません。ただ、学問として興味があるだけです」
可愛げがないどころか、変わり者ばかりだ。
それから私たちは黙々と遺体の解剖を行っていくのだった。




