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50.ニコ・ヴァルタリ

 コールマン学部長はダメだろうな。

 私は教授の研究室へ向かう階段を下りながら、そんなことを考えていた。

 協力は到底望めない。

 考え方がまるで違い過ぎる。

 これでは少々先が思いやられるかもしれない。

 私はネイサンの後に続き、治療学の教授がいる一つの研究室に入った。


「失礼致します。コールマン学部長からこちらで新入生の手続きをしてもらえると伺いましてね」


 すると、そこには小柄な男の人が一人、マグカップを片手にレポートを読んでいるようだった。


「新入生? ああ! 聞いてる聞いてる! ……確か、クレアちゃんだっけ?」


 そう言って笑顔で振り向いたその人は、赤茶色の髪をナチュラルにセットし、背格好も年も私と同じくらいに見えた。


「は、はい、私がクレア・エステルです。新入生と言っても帝都で学院を卒業し、治療師として働いていますので、若くはありませんが」

「いやいや、若すぎても話合わないし、クレアちゃんくらいが丁度良いよ。かわいいし」

「あ、あの、私は入学の手続きに来たので、そろそろご対応頂ける教授をご紹介頂けませんか?」

「ああ、自己紹介がまだだったね。僕はニコ。ニコ・ヴァルタリだ」


 ニコと名乗る青年は白い歯を覗かせ、手を差し出す。

 私は訳が分からずその手をじっと見つめたままだった。


「ど、どうも、ヴァルタリさん。それで、教授は……」

「その教授が僕さ」

「教授って……。ええーー!? だって……たぶん私とあまり変わらない年齢ですよね?」


 私はニコ・ヴァルタリ教授を頭の先から舐めるように視線を這わせる。

 どう見ても教授という年齢ではない。

 帝都の学院では考えられない。

 年功序列の帝都の学院だったら、ヴァルタリ教授は研究生か、せいぜい助教授止まりだ。

 すると、ヴァルタリ教授はさらっとまたすごいことを言う。


「事前にもらっていた経歴書を見る限り、クレアちゃんと同い年だね」

「そ、そうだったんですね。大変失礼致しました。ヴァルタリ教授。それにしても、そんな若さで教授だなんて……」

「まぁ、天才だからね」

「は、はぁ……」


 何を言ってるんだ、この人は。

 と一瞬思ったが、あながち間違いではない気がしてきた。


「それより、クレアちゃんさぁ、ヴァルタリ教授なんかじゃなくて、ニコって呼んでよ。堅苦しいのはキライなんだよね。年も同じなんだし、敬語も抜きでさ」

「え? ……はぁ、そうですか? いや、その前にクレアちゃんという呼び方やめてもらえません!?」

「なんで? 別に馬鹿にしてる訳じゃないよ。親しみを込めて、クレアちゃん。ここもさぁ、男ばっかりで全然出会いなくて。それにしても、珍しいよね。女の人で治療師になって、しかもまた大学に来るなんて。結婚したら無駄になるかもしれないのに」


 またその話か。

 私はムッとして言い返す。


「今は、結婚しようが家庭を持とうが、治療師は続けるつもりです。なので、無駄なことなんて一切ありません。それより今、私にはやらなくてはならないことがあるので、ここに来たんです。これからのノルンのため、私には知識と人脈が必要なんです!」


 しんと静まり返る研究室。

 それを破るようにぼぞりと呟いたニコ。


「……素敵だね」


 くりっとした茶色の瞳でニコは私を真っ直ぐ見つめていた。


「いや、ごめん。他意はなかったんだ。ただ、この国の女性の大多数がそうだからというだけで、つい口にしてしまっただけなんだ。謝るよ」

「い、いえ、ついさっきそういう社会の国だと聞いていたので理解はしていたんですが。ついさっきのことだったので、整理が追いついてなかったです……」

「それなら良かった。でも、正直に言わせてもらうと、すごくカッコ良かったよ。ここではそんな芯のある女性、滅多に見かけないから」

「それはニコが見えてないだけではないですか? 私は単に分かりやすいだけですから」


 すると、ニコは腹を抱えて笑い出した。


「これはやられたな! いや、本当に色んな意味でクレアちゃんにやられたよ! よし! 入学祝いも兼ねて、これから飲み行こう!」

「え? いやいや、手続きは?」

「大丈夫! 大丈夫! 全部やっとくから。明日から普通に授業受けてもらえれば大丈夫だよ!」

「それなら。まぁ。……飲みに行くのは、やぶさかではないですよ?」


 と言うより、この後一人で行く気まんまんだった。

 それが、地元の人が連れて行ってくれるというのだから、願ったり叶ったり、渡りに船だ。

 これでハズレの店を引くことはまずないだろう。


「いやはや、無事クレア嬢の手続きも済んだようで良かったです。では、私はこれで失礼しますよ」


 私は心の中でよだれを拭うと、そう告げるネイサンへ振り返る。


「せっかくですから、一緒に行きませんか?」

「お誘いはありがたいですが、残念ながら私も忙しい身でしてね。またの機会にさせて頂きます。それに、治療師同士の方が会話も弾むでしょうから」

「そうですか……」

「そうそう、宿は海風亭というところに取ってありますから」

「海風亭かー。いいところに泊まるんだなぁ」

「ええ。出世払いですがね。では、彼女のことよろしくお願いします」


 そう言い残すと、ネイサンはお辞儀をして研究室を足早に去って行った。


「色々ありがとうございます!」

「さ、保護者もいなくなったことだし、僕たちも行こうか。美しい女性と過ごす夜はあっという間だからね」


 ニコは上着を羽織ると、私たちも研究室を後にするのだった。

 大学を出ると、港の方に向かい並んで歩く。


「ベイルポートのオススメは何ですか?」

「また敬語だ。堅苦しいのキライなんだってば。ほら、言い直して、クレアちゃん」

「……もう。ベイルポートのオススメは?」


 すると、ニコは満足そうに微笑む。


「オススメはやっぱり海鮮だよね。生の魚介が食べられるのはベイルポートの特権だね。もちろんそのまま網焼き、酒蒸しにしても段違いに美味しい。ただ、朝市にでも行けばどこでも食べられるし、味の違いもそこまでないから、さすがにベイルポート民としては飽きてくる」

「なるほど」

「そこでひと手間加えた美味いシーフード料理を出す店が人気でね。貿易で手に入れたスパイスをふんだんに使ったグリルや、米を使ったパエリアなんかベイルポートならではだよね」


 ごくりと喉が鳴る。

 ノルンに来てからというもの、新鮮な魚介なんてお目にかかる機会すらない。

 あるとしても、燻製か素干しの干物くらいのものだ。

 久々の海鮮に胸が踊る。

 やっぱり旅の醍醐味といえば食事でしょう。

 そして、大通りから少し路地に入ったところにある小ぢんまりとしたレストランまでやって来たのだった。


「ここが僕のお気に入りの店だよ」

「へぇ! 店構えからもう美味しそう!」


 年季の入った建物の前には、かつて漁で使っていたのか、モリやら船具やらがインテリアのように飾られていた。

 綺麗で新しいお店よりも、こうした歴史あるたたずまいな方が美味しい気がする。

 ニコが扉を開け、店へと入る。


「いらっしゃい。……って、先生か」

「やぁ。どうも」


 店の奥から声を掛けたのは、たくましい体にヒゲを生やした、まさに海の男という出で立ちのおじさんだった。


「先生も色男だねぇ! この前と違う、またベッピンな女性連れて来て!」

「余計なことを言わないでくれよ。だから、この店は流行らないんだよ」


 ニコは渋い顔をしながら奥の小さなテーブルへと座るのだった。

 流行ってないとニコは言ったが、満席とまではいかずとも、そこそこ席は埋まっていた。

 客としてはそれぐらいが丁度良い。

 騒がしすぎず、ガラガラよりも色んな意味で安心出来る。

 テーブルに置かれた色ガラスの照明も、ロウソクの光の明滅で落ち着いた雰囲気を醸し出している。


「今日のオススメは?」

「今日はカジキだな。炭火でグリルにしてやるよ」

「じゃあ、それを。あと、彼女、ミッドランド帝国から来たから新鮮な魚介を口にする機会が少なかったみたいでね。前菜で適当に出してもらえるかな?」

「おう、任せな。獲れたてのぶつ切りで盛って出してやる」

「まぁ、シメも、とにかく全部任せるよ」

「任されよう!」


 そうして、豪快に笑うと厨房へと入って行くのだった。


「いいね。行きつけのお店って感じで」

「マスターのあのがさつなところがなければ最高の店なんだけどな。その人にはフラれたから気にしないで」


 フラれた?

 ああ、マスターが言っていた前に連れて来たという女性のことを言っているのか。

 別にそういうつもりで言った訳じゃないのだけど。


「失礼致します。こちら食前酒になります」


 そう言って若いウェイターが、小さなグラスに入ったオレンジ色の食前酒とやらを私とニコの前に置いた。

 なんだかすごくおしゃれじゃないか?


「じゃあ、クレアちゃんの入学を祝って乾杯!」

「あ、ありがとう」


 グラスを軽く掲げるニコ。

 オレンジの綺麗な食前酒に見とれていた私も、慌ててグラスを持つと口にした。


「……ん! おいしっ!」


 それは見た目通り、オレンジの爽やかな柑橘の香りと甘味が鼻を抜け、口いっぱいに広がった後、ワインの引き締まった酸味が追い掛けてきてスッキリとした飲み心地でとても美味しかった。


「この辺はオレンジやブドウなんかの果物の栽培にも適した気候だからね。ミッドランド帝国とはまた違った味わいだろ?」


 すると、ウェイターがまたやって来て、私たちの前へ透明な平皿を置く。


「こちらがそれぞれ、マグロ、タコ、アンチョビのマリネになります。白ワインはソーリネ産でよろしいでしょうか?」

「うん、それで」

「かしこまりました」


 グラスに美しい黄金色の白ワインが注がれる。

 目の前のガラスの皿には、三種のマリネが一口より少し多いくらいずつ並び、その上にはハーブのような香草が乗せられていた。


「いや、ちょっと待って! マスター、さっきぶつ切りで盛って出してやる、ガハハ、みたいなこと言ってなかった!? 何でこんなオシャレなの!?」

「だから、言ってるだろう? がさつなところがなければ最高の店だって」


 ニコはグラスを傾けながら、得意気に笑うのだった。

 私はマグロのマリネを一口食べる。

 レモンの酸味がツナの肉厚で濃厚な旨味を最大限に引き出したかと思うと、さっとマグロの脂を拭い去り、全くくどさや生臭さが残らない。

 そこへ白ワインのフルーティーな生き生きとした果実味が調和し、無限に往復してしまう。

 最高か。


「それにしても、ニコはどうしてその歳で教授になれたの? 天才だっていう一言じゃなくて、詳しく教えてよ」

「僕のことが気になるかい? いいよ。教えよう。まず、天才であることは間違いない。大学入学後、最短で治療学の全学科を修了し、首席で卒業したんだから」

「す、すご! 私なんて帝都の治療師学院ですらお情けで卒業させてもらったのに……」

「そうなの? 優秀って聞いてたけど……。まぁ、いいや。僕が教授になれたのは、成績が良かったというのもあるけど、単純に教授って人気がないからなんだよねー」

「に、人気がない? だって権威あるベイルポート大学の教授でしょ?」

「権威でゴハンは食べられないからねぇ。学部長までいけば別だよ? でも、そんな狭き門目指すくらいなら、開業した方が確実に稼げるからね」

「稼げるって……。ん? 開業ってどういうこと? 卒業したら治療師として治療院に勤めるんじゃないの?」


 すると、ニコは乾いた笑いを見せながら言った。


「そんな自ら奴隷になるような物好きいないよ。ここでは、卒業したらまず皆、船舶治療師になるんだ」

「船舶治療師?」

「ああ。貿易船に乗って数年ね。そこで実際の治療の腕と軍資金を稼ぐ。そうして無事生きて帰れたら、その実績と資金を元手に治療院を開業する。そうすれば患者も安定的にやって来るし、稼ぎは全部自分の物だろ?」


 衝撃だった。

 私が唖然としていると、ニコがこう声を掛ける。


「ミッドランド帝国には治療師協会とかいうのがあると聞いたことがあるけど、まるで違うのかい?」

「……全然違う。確かに治療師は特別な力を持つ人たちしかなれないから高給だし、学院の先生より人気だけど、帝国では個人で開業なんて出来ない。全員、治療師協会という組織に所属して、そこの中で実績を積み上げて、昇給、昇格していくものだから、稼ぐとかそういう認識は全くなかった……」

「へぇ。帝国らしいと言えば帝国らしいね。僕らは自分で自分の身を守るよう教育されてきたから。自分の食い扶持は自分で稼げってね」

「国民全員、商人ってことね。セレニディア共和国は」


 それが良いのかどうかは分からない。

 組織でない以上、内部の派閥争いや権力による腐敗なんかは少ないように思える。

 ある意味、私の望むような実力主義であり弱肉強食の世界なんだろう。

 だけど、患者から見れば、稼ぎを最優先とする治療というのはどうなのか。

 クレイグの画策した偽エリクサーではないが、患者の足元を見て高い治療費を請求したり、安かろう悪かろうの治療が横行したりはしないのだろうか。

 私はこの国のやり方も、何か違う気がしてならなかった。


「それで、ニコはお金儲けには興味なかったの?」

「全然! 僕が興味あるのはただ一つ。この人間の体だけさ」


 そう言って自分の胸に手を当てるニコ。

 そのニヤリと笑う顔にロウソクの光が不気味にゆらめく。


「こんな不可思議で神秘的な物、他にあるかい? しかもこんなに身近、なんてもんじゃない、我が身だと言うのに、どれだけのことを知っている? ほとんど未知に近い。それを僕は解明してやりたいんだ……」

「ガハハ! とか言って興味あるのは女の体だけだろう!? ほれ、カジキとこっちは大海老のグリルだ! 熱いうちに食っちまえよ!」

「マスター!!」


 崩れ落ちるニコをよそに、私は運ばれた料理にほれぼれする。

 白いカジキに様々なスパイスがまぶされ、こんがりとした焼き目が付けられている。

 そこへ香草が添えられ、食欲をそそる匂いがふわりと立ち上がる。

 大海老は真っ二つに切られた半分が豪快に殻ごと乗せられ、赤い殻と白い身のコントラストが非常に映える。

 まずはカジキを一口食べる。

 スパイスの複雑な香り、そして程よい塩味がカジキの肉としての魅力をひと際感じさせる。

 今度は大海老。

 ぷりぷりの食感から噛み締める程に染み出す海老の出汁。

 こんなに大きいのに、これ程濃厚だなんて。

 もう幸せだ。


「……とにかく、マスターの戯言は忘れてもらって、僕は真実を追求したいだけさ」


 真実を追求か。

 どこかで聞いたような言葉だ。


「さ、つまらない話はこれくらいにして、もっと楽しい話をしようよ。今度はクレアちゃんの話が聞きたいな。クレアちゃんはどうして治療師に?」

「あー、私の話はあんまり楽しい話じゃないよ?」

「いいの、いいの。クレアちゃんのことを知れるのが楽しいんだから」


 そう言って、ニコは満面の笑みで私のグラスにワインを注ぐのだった。


「それじゃあ……」


 それから私はこれまでのことをニコに話すのだった。

 そうして夜は更けていき、私の旅の一日目は終わりを告げた。

 一日目にしては中々、濃い内容だった。

 これでセレニディアという国がそこそこ理解出来た気がする。

 でも、まだまだ私の旅は始まったばかりだ。


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