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49.ベイルポート大学

「いやぁ、ご英断でした」


 馬車の中で書籍を開きながら、何やら忙しなくペンを走らせるネイサンがそう言った。

 あの後、私はセルジュとアルベルトにネイサンからの誘いについて話をしたのだった。


――――――――――――――


「……という訳で、今後のノルンのためにも人脈やコネを作って、最新の知識や人材を獲得出来るようにしておきたいの」

「そうか……。急な話だな……」


 セルジュはどこか不安そうだった。

 アルベルトはもっと不安そうだった。


「君一人でそんな他国に遠征して大丈夫かい? 残念ながら、私もベイルポートでは一介の外国人に過ぎない……」

「それなら大丈夫。向こうの生活や、万が一の護衛なんかはネイサンが全部面倒見てくれるという話になってるから。……ただ、トバコの収益からその分も差し引くという話だけど」

「それは構わない。……俺もやはりノルンを離れる訳にはいかないから付き添うことは難しいし、アルベルト同様、俺が着いて行ったところで微々たる力にしかなれないかもしれない。だが、彼がいるなら下手な奴より信頼出来る。アルベルトはどう思う?」


 アルベルトはうーんと唸りながら答える。


「まぁ、そうだね。なんたってブラウシュヴェールト、シュヴェールト商会の代表であり超一流の商人だ。損得でしか動かない人間だからこそ、逆に信用出来る、か。彼ならベイルポートでも顔が利くだろうし。まず安心か……」


 セルジュとアルベルトの言葉を聞き、私も安堵した。

 綻んだ顔を二人に向ける。


「ありがとう。それじゃあ、準備したらベイルポートに発つね。何かあったらジルベールさんの水晶で連絡して。すぐに帰ってくるから」

「ああ。分かった」

「そうかぁ。クレア君がベイルポートにねぇ。だとすれば、私がノルンに滞在している理由もないな。仕事も溜まってるだろうし、私も帝都に戻るとするかな」

「そうか。なら手土産にキニネイ茶を持って行ってくれ」

「そうかい? では、ありがたく頂こう」

「じゃあ、少しの間だけど、皆お別れだね」


 セルジュとアルベルトが私の方を向き、少し寂しげに笑顔で頷くのだった。


「皆、体に気を付けてね。それじゃあ、行ってきます!」


―――――――――――――――


「さ、もうしばらくで着きますよクレア嬢」


 ネイサンのその言葉を聞くと、私は馬車の窓を開け、ひょいと顔を出した。

 高台から見下ろすベイルポート。

 その石造りの町並みはまるでサンゴ礁のようであり、港の向こうには青い水平線が果てしなく広がり、帆を広げた何艘もの船がゆったり行き来している。

 潮の香りが風に混じり、カモメの声が遠くで響いているようだった。


「これがベイルポート……」


 旅はやっぱりいいものだ。

 新しいものに触れる度、私の中で何かが活き活きとしてくるのを感じる。

 この経験が私の人生の糧になるといいな。

 そんな期待を胸に、ベイルポートの門をくぐるのだった。

 馬車はそのまま大通りを進んで行く。

 やはり活気が違う。

 帝都も人口は多いが、賑わいの雰囲気がまるで違う。

 晴れやかな気候のせいか、行き交う人々が明るく見える。

 そして何より、まるで文化の違う装いの人々が、そこかしこで交流しているのだ。

 さすが貿易で栄えたセレニディア共和国だ。

 多様な人種や民族が入り混じり、商売を行い、財を成す。

 チャンスも多いが、成功も破産も全ては自己責任。

 それがセレニディア流とのことらしい。

 そうこうしている間に、私たちは町の中心部あたりの、一際大きい建物が並ぶあたりまで来ていた。

 その一つの建物の前で馬車が止まる。


「さ、ここがベイルポート大学です。この辺りは行政地区といったところで、役所関係の建物が並んでいます」

「古くて頑丈そうですね……」

「ええ。帝都同様、ここも元々は拠点としての砦でしたから。この辺りはそれをそのまま利用しているそうですよ」

「ミッドランド帝国も喉から手が出る程、欲しかったでしょうね」

「まぁ、彼らにこの町は宝の持ち腐れですよ。帝国の軍事力、支配力は随一かもしれませんが、商売は所詮二流です。ここはセレニディアの領地になるべくしてなったのですよ」


 ネイサンがそう言いながら馬車を降り、私もそれに続いた。


「まずは治療学の学部長に会って手続きをしましょうか。既に話は通してあるので何の問題もありませんよ」


 大きな扉をくぐると、そこは玄関ホールのようになっていた。

 様々な掲示物が貼り出され、イスやテーブルがいくつか置かれたところでは、若者たちが楽しげに会話をしていた。

 そのまま玄関ホールをネイサンが真っ直ぐ突っ切ると、また外に出た。

 そこには中庭が広がっていた。

 校舎は中庭を囲うように円形に建てられているようだ。

 ネイサンは中庭も真っ直ぐ突っ切ると、正面の棟へと入るのだった。

 一階は広めの講堂になっており、誰かが大きな声で話しているのが、扉越しに響いてくる。

 ネイサンは脇目も振らず階段を上っていき、最上階まで辿り着くと、少しばかり息を切らしていた。


「まったく。なぜ、人は地位が高くなると、物理的にも高い場所へ行きたがるのでしょうかね」


 私も息を整えながらネイサンのその意見に同意する。


「偉い人は自己顕示欲の強い人が多いですから」

「そうですね。あなたのヨミは間違ってませんね。学部長は研究熱心な教授ではなく、大学を経営している商人という感じです。なので、尚更自分の体面を気にするきらいがありますから、あなたとは合わないでしょうな」

「……そうですか。……入学早々、退学にならないよう発言には気を付けます」

「是非、お願いしますよ」


そう言ってネイサンが作り笑いで頷くと、目の前の重厚な扉をノックし、ゆっくりと押し開けるのだった。


「失礼致します。コールマン学部長」


 コールマン学部長と呼ばれた背の高い壮年の男性がこちらを振り返ると、カイゼル髭を指でねじりながら言った。


「入りたまえ」

「先日に続き、お忙しいところお時間頂き誠にありがとうございます」

「うむ。彼女が君の話していた治療師の?」

「ええ。非常に優秀な治療師なもので、是非とも由緒あるこちらの大学で治療学をお教え頂きたく。こちらが入学金やら何やら諸々になっています。どうぞお納めください」


 そう言ってネイサンはサインや捺印のある横長の紙をコールマン学部長に手渡した。

 コールマン学部長はそれに目を走らせると、満足そうに頬を緩めた。


「そうか。では、受け取っておこう。それにしても、彼女にそれ程の価値があると? 女性だというのに」


 私は眉をぴくりと動かす。

 それを目ざとく見ていたネイサンが、作り笑いを私に向ける。

 その目は笑ってはいなかった。


「いやはや、私も商人の端くれですから、当然損はしたくありません。ですので、これは総合的に勘案した結果、投資に値すると判断した訳です」

「私としてはもらえるものさえもらえれば、何も文句はないんだがね。ただ、商人の先達として忠告しておこう。女性はいずれ家庭に入る。すなわち、投資に対する利益を得られる機会は少なくなるものだ」

「ご教示頂きありがとうございます。確かに、仰る通りでございます。まだまだ私も未熟でございます。少しでも投資を回収出来るよう、早速入学手続きを行いたいと思いますが……」


 そうネイサンがバカ丁寧に切り出すと、コールマン学部長は追い払うように手を振った。


「実務的な話は教授連中としてくれたまえ。私は忙しいんだ。ああ、だが一つだけ言っておく。習熟度を測るため、学期の然るべき時に試験を行っている。その試験で基準値を満たさなければ、即刻この大学から去ってもらうから、そのつもりでいたまえ」

「承知致しました。よく胸に刻んでおきます。では、我々はこれで」


 だが、コールマン学部長は何も言わず、私たちが入ってきた時と同じように、ぷいと背を向けるのだった。

 ネイサンは私を押し出すように、学部長の部屋から出た。

 そして、扉がガチャリと閉められると、ネイサンがその笑顔を崩す。


「発言には気を付けるよう言ったではないですか!」

「私は何も言ってないじゃないですか!」

「ええ、口には出していませんがね、その表情が雄弁に物語ってますよ!」

「あっ……」


 私は頬に手をやり、気まずそうに笑う。

 ネイサンがため息を吐く。


「やれやれ。直情的なのは良くありませんねぇ。まぁ、それがあなたの魅力の一つなのでしょうが」

「……でも、あの学部長の発言。……女性は役に立たないという風に聞こえて」

「仕方ありません。それが、ベイルポートの文化なのですから。ここでは働く女性は、家庭を持つと仕事を辞めるのが、一般的になっているのです。そうすると、学部長のような組織を経営する者にとっては、いずれ仕事を辞める者に重要な仕事や地位を任せたくはないという考えになってしまうのですよ」


 家庭か。

 私はそれを持ったことがないから、分からなかった。

 今は当然、治療師を辞めるなんて考えられない。

 だけど、自分が実際にそんな状況になった時、どう思うのだろうか。

 その時にはまた、別の決断をするのだろうか。


「だとしても失礼です。人を奴隷か家畜のように言って」

「商人なんてそんなものですよ。特に、ここベイルポートでは使うか、使われるか、それが非常に重要なのです。ミッドランド帝国では商売は商業ギルド、治療は治療師協会とあらゆることが、皇帝を頂点とした組織として体系化されていますから、自由はありませんが、安定はしています。ですが、セレニディア共和国は個々の力によって発展してきた歴史があります。それらの違いを早速痛感出来たのですから、いい勉強になったではありませんか」

「ええ! そうですね!」


 私はムスッとしながら、心を納得させるのだった。


「では、今度は教授に会いに行きましょうか。この下の階が教授の研究室ですよ。今度は、学問をこよなく愛する者が目指す、教授という立場の者ですから。きっとあなたと馬が合うはずですよ」


 そう言って、ハハハと笑いながらネイサンは階段を下りていくのだった。

 一抹の不安はよぎるが、まぁネイサンの言う通り、今度は大丈夫だろう。

 セレニディア共和国、ベイルポート。

 こんな形で異国の洗礼を受けるとは思ってもみなかったが、これも経験か。

 旅は始まったばかりだ。

 これからの出合いに期待するとしよう。


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